黙祷

[最後に追記あり。

人は、たとえそれが自発的になされたのではないとしても、ある日ある時なにかのきっかけで時の流れに区切りを設けたくなることもある。私にもそういうときがある。そしてそれは、「音楽」と呼ばれる営みと、少なくとも私にとっては無関係であるとは思えない。]

午後、慌ただしく西宮の県立芸文センターへ到着して客席へ座ると、本プロの演奏前に指揮者の井上道義さんとPACオーケストラの楽員さんが楽器をもたずに舞台へ整列。スケジュールに追われていて、このときようやく、今日がどういう日か思い出しました。

ここは阪神淡路大震災の復興の象徴とされるホール。前半の曲目はショスタコーヴィチの交響曲第14番「死者の歌」……。

去年の3月11日は大阪音大(たしか入試当日だった)へ何かの資料を探しに行って、年度末に退職されることになっている先生と研究室で話し込んでそれと気づかないままに、「あのとき」が通り過ぎたのでした。

(部屋の窓が妙にガタガタと鳴ったような気がする、という、かすかな記憶があるだけです。私は「3.11」を直接の主題として語る権利を持たない人間であると認識しております。)

そのあと地元茨木へ戻り、午後4時から、3月半ばで閉鎖になる駅前のホテルのロビーコンサートの裏方のお手伝いをして(このコンサートの主催は来年「赤い陣羽織」をやることになっている茨木市音楽芸術協会)、夜7時過ぎに帰宅して、テレビを観て、ようやく何が起きているのか知り、愕然としました。

その日の前も後も、今日に至るまでずっと複数の仕事が平行して動いて、起きている時間はとりあえず次の何かの準備をしなければならない慌ただしい状態に陥り続けていますが、

それでも、無理矢理隙間をこじあけて時間を作るようにして、この一年で色々なことを考えたような気がします。ブログを書きながら色々なことを考える時間と、ここにはあまり書かないまま日々慌ただしく続く様々な仕事が乖離して、特別に長い一年、だったように思います。

http://twitter.com/#!/smasuda/status/179076311325745154

[以上の文章は(少なくともこの文章の書き手にとって)表題の単語と関連しますが、どのように関連するかを明示的に説明するつもりもありません。そしてこの文章の書き手が表題の行為をこの文章を投稿した日に行ったか否かということに言及するつもりもありません。

そしてさらに付け加えると。わたくし白石知雄の自宅は昨年夏に地上波放送が停止して以来、テレビを見る手段がなく、わたくしは、この文章を投稿した日に広域放送の電波を通じて表題の行為を促されることもありませんでした。

以上、それがどうした、と言われれば、もちろん、別にどうもしない、と答えるしかないまったくの蛇足なのは言うまでもありませんが、ともあれ、駄文ご容赦。]