承前:《作品名》問題を先端的ゲーム研究から考える

[4/1 関連するわたくし自身の体験を最後にいくつか書き足し。3/30 ヨーロッパの出版譜の麗々しい表紙記載から「曲名」を切り出すときの諸問題を最後に追記しています。]

2つ前のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120328)の続きです。

そういえば、『音楽学』の編集委員でもある立命館の吉田寛さんが、朝日新聞からゲーム研究について取材を受けた際、研究対象にしていらっしゃるゲームをどう表記するか(「コンピュータゲーム」か「デジタルゲーム」か「ビデオゲーム」か)で葛藤というか折衝があった、と書いていらっしゃったのを思い出しました。

新しい領域へ知的にアプローチしようとするときに、その領域をどのような名前で呼ぶか、というのは研究者の態度と関わるデリケートで大事な問題だ、ということだと思います。

http://d.hatena.ne.jp/aesthetica/20111007

藝術作品の名前を《》という専用の記号で囲むという、今となってはばかばかしい方針が大真面目で書式規定になってしまっている経緯は、今現在の先端領域研究を参考にして考えると、ニュアンスをつかみやすいかもしれない、と思いました。

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おそらく、音楽(藝術)を単に実践・愛好するのではなく「研究」する藝術諸学を日本に根づかせようとするときにも、現在のゲーム研究と、規模は全然違うにせよ、それなりの似た苦心があったのではないかと思われます。

たとえば、「うた」の研究というと、長らく、文学の視点からの歌詞の収集・分析が中心で、リズムと抑揚(メロディー)を記録・検討する視点が弱かった。音楽学は、「うた」の音楽面を扱う新しい学問である、という風にアピールせねばならない局面があったのではないでしょうか?

音楽学は、たとえば歌曲「魔王」について、文豪ゲーテの偉大な文藝が正しく音楽化されているか、というように文学へ依存して論じる立場に留まるものではない。我々は、シューベルトの《音楽》としての「魔王」を論じる。音楽学の対象は、ゲーテの「魔王」ではなく、シューベルトの《魔王》なのである!

これは音楽学会の初期の頃の先生方の論調を思い出しながらモノマネででっちあげた文章ですが、音楽作品に、通常の「」や『』ではない記号を使いたい情熱の由来は、おおよそ、こういうことだったのではないでしょうか。音楽は、文学(言葉)と隣接・連携しながら、そこへ従属しているとは言い切れない差異を抱えている。そうした文学との差異をエクリチュールへ反映させたい、という思いが、人文学としての音楽学(藝術諸学)における約物の使い分け戦略だったのではないか?

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ゲーム研究も、今は対象領域の呼び名をめぐる折衝の段階みたいですが、いずれその感性的体験を個別に論じるような各論が充実してくると、

「我々がここで論究しているのは、物語としての『ゼルダの伝説』ではない何ものかである」

というような議論になるかもしれない。

そしてそのような何ものかを名指すときに、『ゼルダの伝説』とは別の表記を用いるのがレトリックとして効果的である、と思える局面が訪れるかもしれません。

(《》は藝術作品に取られちゃったので、〔ゼルダの伝説〕とか【ゼルダの伝説】とか、あるいは派手派手しく、★ゼルダの伝説☆、◆ゼルダの伝説◇とかになるのでしょうか?)

音楽学の対象は、ゲーテの「魔王」ではなく、シューベルトの《魔王》である! そしてビデオゲーム研究は、「ゼルダの伝説」という物語ではなく、ゲーム体験としての★ゼルダの伝説☆を究明するのである!

映像論序説―“デジタル/アナログ”を越えて

映像論序説―“デジタル/アナログ”を越えて

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意図は意図として尊重するとして、勢いで押し切ってしまうと弊害が出ることがある。

一口に「(藝術)作品」と言っても、実装・表現の媒体によって何らかの違いがあるのは確かですが、言葉(文字)による作品(『』)とそれ以外の感覚・媒体による作品(《》)で約物を変える、というようなことを認めると、新しい媒体が出現するたびに新たに約物を考えなければいけなくなるし、固有の約物を付与される媒体と、既存の約物を流用する媒体が出てきたりして、約物の取り合いになってしまいそうです。

マンガ、アニメ、ビデオゲーム、ソーシャルゲーム、初音ミク……それぞれが、独自の領域だから固有の約物を使わせろ、と言い出したら収拾がつかなくなりそうです。これって、まるで、電波周波数の割り当てをめぐる関連業界の争いみたいですよね(笑)。

言葉(文字)以外の媒体による作品を固有・特別な約物で表示したい、という戦後藝術諸学の野望は、知的活動のための書き言葉の設計として、筋が悪かったと総括せざるをえないし、そのような《既得権》(←敢えて《》で囲んでみた(笑))は、そろそろ謹んで返上するのがフェアだと、私は思うのです。

最新の『音楽学』では、雑誌の編集や大会運営をフラットでシンプルにする方針が模索されているようですが、そうなると、早晩、書式も検討課題にならざるを得ないと思うんですよね。

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[追記]

さらに言えば、ちょうど最新の『音楽学』の巻頭がショパンのピアノ曲のパリの音楽雑誌におけるレビューの分析ですが、18、19世紀の出版譜の表紙の記述は、やたら仰々しく長いです。

ジャンル名を示す単語(たいてい、大きな活字でエレガントなレタリングで一番目立つ)の前後に、「pour [楽器編成]」とか「compose par [作曲者名]」とか、前置詞・過去分詞をくっつける形で、ずらすらずらっと説明がくっついています。

(パリのシュレザンジェではないですが、父で創業者のマルティン・シュレジンガーがわたくしの以前調べていたウェーバーの版元で、その初版現物だったら、前にいくつか見たことがあります。19世紀のウェーバーの各国での出版譜も、ウェーバー目録を作ったイェーンズのコレクションを閲覧させてもらったことがあります。)

初版の現物を確認したわけではないですが、たとえば、ショパンの場合も、たぶん、文字の並びを直訳するとこんな感じになっているのだろうと思います。

「大変奏曲/ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルトにより作曲されたオペラ「ドン・ジョヴァンニ」のなかの/「そこで互いに手を取り合って」の主題により/ピアノフォルテ・ソロのために/大管弦楽を伴い/フランソワ・ショパン氏によって作曲された/第2番目の作品/モーリス・シュレザンジェとその会社により発行された」

欧米の出版譜の表紙の書式は、今でもこのスタイルが基本ですが、冷静に考えると、ここに記載されている文言には、「曲名」として切り出すことができる以上の過剰なほどの情報が載っています。

おそらく王侯貴族に作品を献上するときの麗々しい表書きの書式あたりが起源になっていて(ドイツなどでも楽譜の表書きがしばしばフランス語なのはフランス語が宮廷の公用語だった時代を継承・模倣しているような気がします)、楽譜商に置かれたり、商品カタログにリストアップされたときには、表紙が広告・内容表示を兼ねていたのだろうと思います。

テレビ番組のタイトル&サブタイトルがやたら長くて、新聞の番組欄が番宣の役目を担っているのと似た状況ですね。

(なお、出版譜にはしばしば献辞が含まれていて、この曲の場合は、どうやら友人ティトゥスに献呈されたらしいのですが、出版譜に献辞があるのか、友人への献辞が出版譜にまで記載されているのか、未確認。ショパンは作品の筆写譜と出版譜を別の人へ献呈するといったこともあったようで、著作権・版権の考え方が今とは違ったこの時代に、献呈と言っても何を捧げるのか、そして献呈という行為が具体的に何を指すのか、作品や楽譜に関する何らかの権利の譲渡を伴うのか、私はあまりよく理解できていません。バッハやベートーヴェンが貴族へ作品・楽譜を献上した場合とは、また少し違っていたはずですし。)

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我々が目にする作品目録や事典に出ている「曲名」「献呈者」「作品番号」等々は、このずらずらと続けて記載されている文字列を、編集者が事後的に切り分けたものに過ぎません。

(「Op. 2」等々のいわゆる作品番号も、こうした伝統的な表紙書式のなかでは、「○○氏の作曲した第2番目の作品」と前後に続けて読み下すことができるようになっています。)

表紙をめくった楽譜本体の上段の記載は、表紙の記述と一致している場合もあれば、その要約である場合もあります。

そしてこの長たらしい記載は、自筆資料に由来する場合もあるし、そうではない場合もあり、版を改めたときに記述が変わったりするし、同じ曲でも出版社が違えば記載には差があったりします。

ここからここまでが「曲名」であると作者・出版者が意識しているのがわかる事例もありますが、判然としない場合もあります。

そしてどこまでをタイトルとみなすか、というのは、同じ作品であっても、後世の判断が変わってきたりもします。

たとえば、「ソナタ/ピアノとチェロのために/ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンにより作曲された……」等々と表紙に記載されていた(と思われる)作品(現物を確認したわけではありませんが)は、ながらく、「チェロ・ソナタ」と通称されてきましたが、最近では、ピアノという単語をチェロという単語より先に書いたことに意味がある(ブラームスの場合は「チェロとピアノのために」という語順であり、この違いが重要だ!)、との意見が出てきて、CDやコンサートでベートーヴェンについては、「ピアノとチェロのためのソナタ」と表示されることが増えているようです。

ベートーヴェン以前には、「ソナタ/ピアノのために/ヴァイオリンのオブリガートを伴う」といった表記がしばしばあった、とか、20世紀になって、特殊な楽器編成の作品については、楽器編成込みで「曲名」と見なすことが多くなった事情を反映しているのだと思います。(バルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」とか。)

絵画の「画題」が曖昧であるように(ヨーロッパで画家が自ら題を付ける習慣が一般化したのは、展覧会という制度ができた19世紀以後、とりわけ、画商が絵画を単品で売買するようになった印象派以後だ、とされているようです、日本には「讃」を添えるというような、別の習慣がもっと前からあるらしいので、またちょっと事情が違うのかも知れませんが)、音楽の「名前」は曖昧です。

(実は、以前、大阪音大で3年くらい、大学主催のすべての演奏会の曲名表記を校正する、という仕事を請け負っていたことがあり、この種の悩ましい曲名は何がどうなっていて、どう扱ったらいいのか、色々と勉強させていただきました。)

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さて、そして『音楽学』では、(おそらくそれぞれの領域の専門家でなければ、何を「曲名」とすればいいのか、適切に判断できないからだと思いますが)どこからどこまでを《》で囲むか、について、運用は緩やかであるようにも見えます。

《ドン・ジョヴァンニ変奏曲》 《リュドヴィック変奏曲》

というように、通称を使うのもオッケーみたいです。

伝え聞くところでは、《ドン・ジョヴァンニ》変奏曲、《リュドヴィック》変奏曲、のように、固有名部分だけを《》で囲む、という流派もあるらしいのですが(そしてこの流派では《ピアノソナタ「悲愴」》等ではなく、ピアノソナタ《悲愴》となるらしい)、『音楽学』はそういう細則が決まっているわけでもなさそうです。

でも、そこまで緩いのであれば、例えば通称などは、地の文章に、約物なしで埋め込んでも差し支えなさそうな気がするんですよね。

ロベルト・シューマンは、『ライプチヒ総合音楽新聞』にショパンのドン・ジョヴァンニ変奏曲の批評を発表した。

と書いて、何か問題が起きるとは思われません。あるいは、

ロベルト・シューマンが『ライプチヒ総合音楽新聞』に批評を掲載したことでも知られるショパンのピアノと管弦楽のための変奏曲は、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の有名な二重唱の旋律を用いている。

でいいじゃないですか。音楽作品に言及するときには、かならず《》というタグを付ける、というのはちょっと官僚的・学校的すぎる。

文脈によって、「作品」の同定が厳密になされるべき場合もあれば、そうではない場合もある。ヴァリエーションというのは、流行の旋律をひょいとすくい上げたり、ひとつのメロディーに様々な方向から光を当てることで(サイードがブラームスの変奏曲をめぐるエッセイで上手に書いていましたが)多彩な連想を編み上げたりする愉しみのはずで(私はそういうピアノ独奏のためのヴァリエーションが大好きで、修士論文のテーマはシューベルトの変奏技法でしたし、ウェーバーについても、変奏曲に焦点を絞れば何か作文できるかもしれないと思っています、どこかで「ヴァリエーションの諸相」を共同研究とかしてもいいのではないか、社交における音楽の同一性と間テクスト性とか、色々言えそうな気がするのですけれど……、閑話休題)、ガチガチに個々の《作品》を囲い込むエクリチュールは、対象の記述に不適切である場合が出てくると思うんですよね。

(なお、ここでは塚田さんの論文に出てくるショパンを例として取り上げましたが、私ごときが申し上げるまでもなくとても興味深かったですし、ここで書いたことは塚田さんの論文自体への感想ではなく、あくまで一般論のつもりです。

ただ、論文のなかの「構築主義」という文言は、この研究では、入れなくてもよかったのではないか、という気がしますけれど(笑)。

問題は、そんな党派的流行をすりぬけて広がりそうですし、そういう言葉が紛れ込んでいるのを読むと、「ああ、この人も志願兵として銃を手に戦うのか。お若い方、命を粗末にしてはいけませんよ」と老人のように呟きたくなってしまいます。)

音楽のエラボレーション

音楽のエラボレーション

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これは、対象への「愛着」というだけの話ではなく(教条主義的な社会科学者は、しばしば、人文学を「趣味的」だと言うけれど……)、書き言葉というメディアで文化を記述する方法の問題だと思います。

単語を切り出し、分類して、タグを付ける、という発想をすり抜けるような言葉の運用が知的活動を促進する局面がある、というだけの話で、そこを過小評価したり、阻害するようなルールを研究者団体が設けるのはいかがなものか。

カクカクした言葉を使っていると、研究自体が角張って、柔軟性を欠くことになる危険があると思うんですよね。場合によっては。

[追記1]

そういえば今思い出しましたが、昔修論の例会発表要旨を『音楽学』が掲載するというので送ったら、シューベルトのB-durのロザムンデ主題による即興曲(←非音楽学会的な約物のない表記(笑))の“Tema”という語(自筆譜にもとづく表記です)を勝手に“Thema”と書き換えて出されたのでした。誰がこういう余計なお節介をしたのか、さっぱりわからない「顔の見えない」編集でした。

2度目に機関誌へ寄稿したのは、編集部から寄稿依頼があって、ウェーバー研究書の書評を出したときですが、このときには、こちらの原稿に対して編集部からの修正意見コメントが送られてきました。前にも書いた記憶がありますが、正直、言いがかりみたいな内容で(評者はダンツィの作品を今では忘れられたと書いているが、そんなことはないとの意見が出た、云々、室内楽作品のことをオレは知ってるぞ、と言う人が編集委員にいた模様です、こっちはオペラの話をしているのに)、しょうがないので、「今では上演される機会のないダンツィのオペラ」と書き直したのですが、出来上がった掲載誌を見ると、修正稿ではなく、最初の原稿がそのまま載っていました。何なんだ、一体!

ということで、少なくとも20年前の機関誌編集委員会は、わたくしにとって、かなり印象悪かったです。

[追記2]

他の学会誌でも最近は同様の傾向があるのかもしれませんが、

日本音楽学会の機関誌に掲載される論文は、現在、博士論文の要約や博士論文を準備する予備論文がほとんどです。

「学位を授与されるに値する研究者による論文を掲載することで雑誌のクオリティが保証される」

と美しく形容することもできるでしょうけれど、内実は、要するにこれは、レフェリー・査読の形骸化だと思います。研究指導や論文の質の維持を各研究機関に丸投げして、学位取得者もしくは学位申請者であれば身元が大丈夫であろう、ということで論文を採用しているのに等しい(ように見えます)。

こういうものは相乗効果が働きますから、本当は広く投稿を募っているのだとしても、結果として、そのような論文だけしか掲載されない状態が続けば、そういう雑誌なのだな、と思われて、該当者以外は誰も投稿しなくなる。そういうスパイラルに嵌っているのかなあ、という風にも思われます。

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私自身が院生自体に遭遇した編集委員会の奇妙な対応は、「どこの馬の骨とも知れない関西の文学部院生」の作文がナメられて、いいかげんに扱われたのであろう、と解釈しています。(「この人はThemaの綴りも知らないのか……。なんて可哀想な人なのでしょう。こっそり直しておいてあげましょう。私って、なんて親切なのかしら(ハート)」みたいな優越感とともにお節介な編集がなされたのであろう、と。)

そしてそのような予断と裁量が横行すれば、当然、雑誌としての独立したレフェリーなどなし崩しに不可能になっていくように思います。

体制の見直し・再出発を編集後記で宣言していらっしゃるので、何かが変わるのかもしれませんが、指導している学生に効率よく博士号を取らせるためのしくみ(指導している学生の業績を効率よく増やすためのしくみ)以上の何かとして、この学会(誌)が機能する可能性があるのかどうか。

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また、関西では、例会でも飛び込みで発表のエントリーの希望を出すと、なんとなく曖昧に追い払われてしまう事態が発生したりして、その一方で、委員のお知り合いのガイジンさんが来日するときには、接待の講演会が、あっという間に学会の催しとしてセッティングされたりするようです。

お友達クラブでいくのか(だったら会費など取るなと言いたい、学会誌を希望者に実費で販売すればいい)、一定のルールと公正さを担保するソサエティなのか(←「担保」という社会科学者が好きな単語の使い方が合っているのか自信はないが)、ちゃんとしたほうがいいように思います。

会のそういった曖昧な運用のなかで、先代か先々代かが決めた「書式」だけが責任の所在がはっきりしないまま有効であり続けているわけで……。

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これと関連して、もうひとつ自分の体験を書きます。

実は、「音楽評論家が学会で発表をさせろ、などと言ってくるのは、ヤクザが因縁をつけているようなものだから、自分の大学に呼んで一回話をさせて、ゲスト講師として小遣い銭を払っておけばいい、それがオトナの穏便な対応というものだ」と言わんばかりに処遇されたことがありまして(←昨年呼んでくださった関学様ではもちろんありません、念のため!)、

それは、「世間」というのは本当にそういう応対をするものなのだ、研究者と評論家の間の越えてはならない一線がある、と今も信じる人が大学にはいるのだなあ、と思わずにいられない貴重な体験でむしろ面白かったのですが、

そのときの話の内容をまとめた論文をその大学の研究室が出している定期刊行物に出したら、研究室の先生の内部査読があって、その査読結果は、私の文章のなかの作品名すべてに《》を付ける、というものでした。手書きで全部チェックする律儀さは感動的でございました。

それを見て、「《》の呪い」のようなものを感じ、これは早く除霊したほうがいい、と思ったのです(笑)。

内輪の勝手な決め事を対外的な「ルール」として流通させておくと、こういう風に末端へ波及するようです。編集委員会の皆さまの今後のご参考になれば。