ドイツ音楽のなかの饒舌(モーツァルト、ウェーバー、リヒャルト・シュトラウス)

[「ドイツ的饒舌」(仮称)とポロネーズの関係をめぐる妄想を付記。]

大栗裕の能弁・饒舌でびっしり目の詰まった音楽はどこから来たのだろう、とつらつら考えて、ふと頭に浮かんだのがモーツァルトの一節。

大阪フィルが4月の定期でもとりあげるモーツァッルトのピアノ協奏曲第23番の終楽章。第1主題の感動的に元気溌剌なピアノを受けて、オーケストラは、弦と管とバスが入り乱れてワアワア言い出して、遂に第1ヴァイオリンが「会話」の主導権を握るところです。

いちおう、この下では、先行する4小節のゆるやかに下降する木管(e-d-cis...)をバスが模倣していて、ヴァイオリンはその対位、埋め草的なオブリガートという位置づけですが、

束縛の緩い、いわばフリーの立場であるのをいいことに、ほぼ何いってるんだかわからない、とんでもないことになっています(笑)。分節不可能な状態で3小節まくしたてる素晴らしいパッセージ、オーケストラが輝かしいヴィルトゥオーソぶりを発揮する箇所だと思います。

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この種の、何が何だかわからないことをまくしたてるジェスチュアは、ベートーヴェンにもあって(「エロイカ」終楽章の冒頭とか)、ウェーバーの「オイリュアンテ」序曲は、いきなり曲の最初から猛ダッシュをかけます。

モーツァルトの場合は、主題が徐々に盛り上がった「最後」にまくしたてるのだけれど、ウェーバーは幕が開いた瞬間から(正確には、序曲なので、まだ幕が開いていない段階から)トップギアで飛ばすんですね。

(チャールズ・ローゼンの言う「ロマン派は最初からハイ・テンション」説の一例にもなりそうです。)

音楽と感情

音楽と感情

そしてモーツァルト同様、分節不能なジグザグの動きが、見事に「何言ってるのかわからない」状態を実現しております。オペラ作曲家としてのウェーバーのトレードマークかもしれない「ハッタリ」の効いたパッセージです。

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一方、ワーグナーの「ローエングリン」は、おそらく第1幕の前奏曲が「オイリュアンテ」の幽霊の音楽(序曲の中間に挿入されている弦楽合奏の部分)を踏まえていて、第3幕の有名な輝かしい前奏曲が「オイリュアンテ」の序曲冒頭を下敷きにしつつ乗り越えようとした音楽なのだと思います。(三連符で和音をラタタターッ!と駆け上がるのは、まったく同じですね。)

参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120327/p1

でも、譜例は揚げませんでしたが、ワーグナーの音楽は弧を描くメロディーラインを把握できたり、同じ楽句を別のリズムで変奏したり、フレーズ同士が同じ付点リズムで韻を踏んでいたり、というように分節可能、要素に分解して脈絡を想定できます。

非合理的なものの到来を待望しながら、音楽家自身は骨の髄まで理性化されている、というか、19世紀ドイツの教養市民社会は、藝術家といえども我を忘れることを許さない、という感じがします。

ワーグナーは、まくしたてて観客を圧倒するときですら理屈っぽいです(笑)。

むしろ、ポスト・ワーグナー世代のリヒャルト・シュトラウスのほうが、「ドン・ファン」のかっちょいい冒頭などで、見事に分節不能な「まくしたて」をやってくれます。

ただし面白いのは、ここで引用したヴァイオリンの急上昇/急下降はモーツァルト、ウェーバー以来の、わけのわからない饒舌ですが、この間には、引用しませんでしたが、金管の付点リズムで「動機」として同定可能な音型が挟まっているんですよね(「ミファ#ソシ〜〜ミファ#ソ」という歌いやすいファンファーレ)。

既に陳腐化しかかっている素材やアイデアをゴテゴテと並べて、極上のオーケストレーションで目新しく陶酔的なサウンドに仕立てる世紀転換期の「現代性(モダニティ)」だなあ、と思います。忘我の陶酔の極致なのだけれども、あまりにもハマりすぎていて偽装、作り物めいてくる。

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ということで、わたくしが思うにドイツ音楽には(にも)ドイツ音楽なりの「饒舌」の系譜のようなものがありそうです。

騎士道への憧れとカサノヴァ/ドン・ファン幻想とブルジョワ社会を生き抜く社交術が混淆した感じですが、寡黙で不器用な高倉健とか、「草食系」とかでなく、弁舌さわやかな男の魅力みたいなイメージがあって、いいオペラが書ける作曲家は、そういう引き出しを持っていたようですね。(そしてゲルマンの北方神話へこだわるワーグナーは、ドイツ・オペラのなかでもちょっと異質な方向性が強いかもしれません。)

オーケストラで育った大栗裕は、以前に書いたポリリズム的な遊びのほかに(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120316/p1)、こういう古典音楽のなかの饒舌を当然知っていて、それが「大阪風」の饒舌と混ざり合っているように思います。

(傍証的に言えば、ホルン奏者だった大栗裕にとって、ウェーバー、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスはホルンを活躍させてくれる、職業的によく知っていなければならない作曲家だったと思われます。

また、大栗裕は関響の定期演奏会に(予定した出演者がキャンセルした代役で)一度だけソリストで出たことがあって、その曲目はモーツァルトの協奏曲でした。そして大栗裕が作曲家デビューした直後の1956年、関響は(大原総一郎がスポンサーだったらしいのですが)モーツァルトの生誕二百年記念のピアノ協奏曲全曲演奏会を「世界初の試み」(←本当でしょうか?)としてやっています。同じ年に武智鉄二が演出した「魔笛」公演もありまして、この頃、大栗裕はモーツァルト的饒舌と集中的に取り組む機会があった、とも言えそうです。そしてその後、関学マンドリン・クラブを指導するようになると、「リンツ」交響曲を全曲マンドリン・オーケストラに自ら編曲したりもしています。)

今度の没後30年演奏会でやる各種ファンファーレや式典音楽では、ドイツの後期ロマン派風に輝かしい「調性音楽のなかの饒舌」がそのまま出てきますし、「俗謡」の譜面は、アーティキュレーションの記譜法だけに着目すると、意外に端正なクラシック音楽風だったりします。そしてホルン・アンサンブルのための「馬子唄変装曲」というのは、本番でお聞きいただくのが一番ですが、ホルンがまくしたてられるパッセージのカタログ集のような曲なのです。

音楽言語的に、一種の混血ですが、外国の血を抜いて、純粋土着な部分を取り出すというだけでなく、混血の脈絡をたどってはじめて見えてくる「らしさ」みたいなものもありそうですね。

(特にオチはありませんが、ふと思いついたので、以上、概略をメモ。年度のはじめに、景気の良い音楽の譜面を載せたかっただけ、という説はあるが……。)

[付記]

ここで仮に「ドイツ的饒舌」と見立てたジェスチュアは、表層的・装飾的ではありますが、カッチョイイ、勇壮なところがあって、ロココ調の自然体(植物的?)で感傷的な装飾性とは質が違うかもしれない、と思います。

ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスになると、カイゼル髭で勲章をたくさん下げたプロイセン=ドイツ帝国の将校のイメージにつながっていきそうです。

源流がどのあたりかと考えると、もしかしたら、テレマンやバッハの後期バロックで流行したとされるポロネーズのクリシェとどこかでつながったのではないか、という気もします。ポーランドの北方十字軍騎士団のイメージですね。モーツァルトはもっとインターナショナルで、オペラ本来のラテン系・地中海世界とのつながりがまだ強そうですが、ベートーヴェンやウェーバーは実際にポロネーズを書いていますし……。

昔ウェーバーを起点にポロネーズの歴史を調べようかと思ったことがあるのですが、ポーランドに手が出せなくて無理でした。

ショパンやシマノフスキを研究している方が、サブテーマでポロネーズの音楽文化史をお調べになると、面白いのではないでしょうか。

ロココ調(=いわばヴェルサイユと啓蒙主義)に回収できないドイツ・東欧の装飾性の系譜が、音楽にもあると思うんですよね。

そこを探り当てると、ショパンやメンデルスゾーンの音楽の装飾性の見え方も変わってくると思いますし、上手くやれば、『「ポーランド化」するドイツ』とか、言えるかもしれません(笑)。音楽におけるエレガンスを独占するフランスの文化帝国主義を打倒せよ!?

(だいたい、1830年代パリで活躍しているのはイタリアやドイツや東欧から来た外国人音楽家ばっかりですし、塚田さんの『音楽学』論文によると、ショパンの「芸術性」を雑誌で主張した書き手のほうも、シュレジンガー/シュレザンジェ社がベルリンから派遣した人だったそうですから、どこがいったい「フランス的」なのか? 百年後の「花の都」もロシアから亡命した人たちとか、北米から来た人とかがたくさんいますし。)