前にも書いた気がしますが、2001年に朝比奈隆が死んだときに伊東信宏さんが朝日新聞に追悼文を書いて、そのあと会ったときに、私がとても面白かったと感想を述べたら、「本当は本人が生きている間に言わないとダメなんだ……」と言われた。
私は馬鹿正直なので、以来、評論家は生きている人に面と向かって物を言う仕事なんだ、と固く信じて生きております。
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朝日新聞の2012年5月28日の朝刊文化面。
長木誠司さんのコメントは、二十世紀音楽研究所とは何であったか、という事実だけを述べる形になっていて、死んだ評論家について、実質的には何も言っていないところが凄い。(もしかしたら、もっと色々なメッセージを新聞社へ伝えたのかもしれませんが、それが一切使えない内容だったということでしょうか。だとしたら、さらに凄い。)
そして「新潮社でサラリーマンのための音楽論を書いた人」という事実は、片山杜秀さんのように、「戦後市民の規範的な生き方を示した人」と変換すれば朝日新聞のコメントになるのだということがわかった。
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110822/p1
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丹念な編集で「ボク」を作り上げた人が、最後に『永遠の故郷』で文芸誌の連載をそのまま単行本化できるところへたどりついた。
四部作を完成して死んだ作家といえば三島由紀夫がいます。三島より12年早く生まれて、今年は昭和45年から42年目なので数字の上では54年、満年齢で53歳分長く、およそ二倍長生きした計算になりますね。
(「豊饒の海」と「永遠の故郷」は、ワーグナーの指輪とバイエルくらい規模が違いますけれど(http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2012-05-27)、二人の文筆家としてのデビューはほぼ同じ1946年。三島が文壇を睥睨した時代には、「吉田秀和が音楽評論を文学へ高めた」なんて誰も思っていなかったはず。お前さん、そりゃ一体どこのどういう「文学」なの?という話になってしまうから……。)
平岡公威の母方の曾祖母は水戸藩と親戚筋の松平家のお姫様でした。吉田秀和が22日に亡くなって、密葬を終え、27日昼の一斉報道・情報解禁という段取りを仕切ったのは、どうやら、彼が館長を務める水戸芸術館だったように思われます。各紙各局の27日の第一報は、小澤征爾のコメントに至るまで、ほぼ水戸芸術館のプレスリリースをそのままなぞっていますから。
http://arttowermito.or.jp/other/other.html?id=277
ノーベル文学賞が欲しかったに違いない三島由紀夫=平岡公威は水戸藩ゆかりの家に生まれ、文化勲章を授与された吉田秀和は水戸の公人として死にました。長い長い道のりでした。お疲れ様でした。
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