アドルノと金沢

例の「突破のファンファーレ」はコラールのかたちを取るが、この場合には、いわば治外法権的に独立したものとしてではなく、主題との関連によって音楽の中にきちんと収まっている。その効果たるや絶大だ。とはいえ、それは、現にそのように構成されている音楽のあり方のためだけではない。ブルックナーの第五交響曲終結部のやり方を踏襲し、それを通してコラールというものが持つ確固たる権威をも持ち出してきたことにもよるのだ。そして、だからこそはっきりしている。これでは、いかに熟練の手腕をもってしても、そのコラールに続いて起こりそうなことを、そのまま起こすわけにはいかない、ということが。

アドルノの『マーラー』はやはり難しいー――その「翻訳」もまた――(2) ( イラストレーション ) - Le plaisir de la musique 音楽の歓び - Yahoo!ブログ

ブルックナーのコラールは、神の栄光、いと高きところにホザンナ、なんだけど、マーラーがそれをパクると、スゲーッと思いつつ萎えるよね、とアドルノは言いたいらしい。

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アドルノが、その萎える感じを「可能なるものの不可能性」というレトリックで、すぐには意味が取れないようにしてしまったのは、パクりやパロディとはそういうものだ、とか、「歴史は悲劇を茶番として繰り返す」というような教訓としてわかりやすく流通させていいのか、それとも、歯ごたえのある一回的な出来事として玩味すべきなのか、アドルノ本人にも判断がつかなかったんじゃないか、と思う。

アドルノは「ドイツ人よりドイツ人らしく」同化したユダヤ人成功者のお手本のような家の出身で、ところが、第一次世界大戦の「西欧の没落」で、いわば、梯子をハズされた格好になって、この依拠すべき中心が喪失した感じを新ウィーン楽派の無調と重ね合わせて、一生の指針にした人だ、とひとまず言えると思います。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101225/p1

マーラーは、ウィーンにおけるシェーンベルク一派の庇護者のような人で、とりわけアドルノが「師事」(とまで言えるのか私は疑っているが)したウィーンのインテリ、アルバン・ベルクにとって、マーラーは直接の師匠シェーンベルクと同じかそれ以上に重要な「昨日の世界」の文化的シンボルだったので、アドルノも、まとまった文章を残しておきたかったのでしょう。

[付記]

ちなみに、こうしたアドルノの指摘をもうちょっと使いやすい分析概念へ仕上げる試みが既にあります。

コラールの働きをブルックナーから借りてくる、というのが、旋律やリズムの引用という素材レベルの貸し借りとは違う水準の事態なのはおわかりいただけますよね? そこでこれを、「既存の素材」の運用(=引用)ではなく、「既存の形式機能」の運用と捉えようというアイデアです。

そして「既存の形式機能」を自由に運用する発想がマーラーにあったのではないか、と想定して作品を見直すと、たとえば、そろそろ終盤かと思えたところで、「展開」という曲の中間に出てくることが期待される「形式機能」が、フィニッシュ直前に中折れ(笑)してもう一回やり直し、みたいな感じではじまったり、「コーダ」という「形式機能」が曲の最初の前技段階にいきなり登場して、「もう終わりかよ!お前は早漏か(笑)」と戸惑わせたり(マーラーにはありがちですよね、そういえば、ロマンチックにしっとり濡れていない乾いた響きが彼のひとつの特徴でもあったりするが……)、という事態を、コラールが唐突だったり周到だったりする文脈で出てくること(遊女は菩薩である、という男の身勝手な妄想というのがあるそうですね)などとまとめて議論することができそうです。

Arno Forchertは、このような、いわばメタレヴェルでの形式機能の操作がマーラーやR. シュトラウスの特徴だと見ていたようです。

(R. シュトラウスのほうが成金のプレイボーイ風で(なんといっても「ドン・ファン」ですから)、マーラーはボヘミア訛りがあったりして、「もてない男」風ですが、マーラーがトホホな男の音楽であることは、才女アルマへのミソジニー的な態度からも推察されましょう。そしてこのあたりの「非ヴィクトリア朝的」なところが「ルル」の作曲家アルバン・ベルクを惹きつけたのではないかと思われますし、バーンスタインや大植英次がマーラーと異様に共振するのも、このあたりを無視しては考えられないでしょう。語の正確な意味でエッチ(変態)を視野に入れた音楽だと思います。

そして余談になりますが、ジム・サムスンが後掲の書籍でショパンの第2ソナタの再現部が第2主題ではじまることにさほど戸惑っていないのは、著者が後期ロマン派の「メタ」で変則的(変態的?)な形式操作になじんでいたからではないかと思います。教科書的な形式論では捉えられない事態が19世紀の音楽に出てくるのは、さほど驚くことではない、と。

ただし、ショパンに関しては、「メタな変態」というよりも、ワルシャワ時代に、「ソナタ形式」などというドイツ教養市民風の図式で思考するのではない伝統的な器楽書法を身につけていたからではないか、18世紀以来の古い伝統をパリのサロン向けに大胆に演出したのではないか、と私は思います。ソナタを書くショパンは対位法を愛していますし、提示部・展開部・再現部の3区分ではなく、リピート記号と一致する2区分でソナタ冒頭楽章を構想して目覚ましい効果を生み出す類例は、ショパンが高く評価していたウェーバーのソナタにもありますから。)

[付記おわり]

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東大美学では、まだこの研究室に「日本の文化の指導者たるべし」という自負と気概があった1970年代後半から1980年代前半に、根岸一美がブルックナー、渡辺裕がマーラーというように、当時、日本のクラシック業界が本格的に取り組みつつあった作曲家の研究に周到に人材が配備されたわけですが、

(渡辺裕が出てくる前には、根岸一美や庄野進がマーラーやアドルノに取り組んでいた時期もあり、ともかく1980年前後の東大美学音楽系では、ポスト・ワーグナーを誰かやれ、ということになっていた節がある、結局、それは渡辺裕だ、ということになって、ふと気がつくと、同じ頃阪大からマーラーの盟友リヒャルト・シュトラウス大好きな岡田暁生が出現して、まあ、これだけいれば十分だろうということになったように見える、立派な大学の優秀な若手さんの研究テーマの選定には、陣地取りのようなところがある(あった?)。)

渡辺先生にとっては、「萎える人マーラー」というのが共感ポイントだったのではないか。どこまで意識的だったのかは知りませんが、結果論的にそう判断されても仕方のないところがあるような気がします。

少なくとも、彼の周りには、ある時期、「屹立したくない男の子」が群れ集まっていました。

大久保賢さんは、(ブログに自ら書いていらっしゃったので、隠していらっしゃるわけではないと思うので書きますが)お父様が事業に失敗して失踪されてしまうような、あまり常識的な意味で「家長」的ではない方であるらしく、大阪へやって来たら、今度は、学問上の「父」である渡辺先生が、学問上の子供たちを置いて、東京へ失踪してしまったわけですから、渡辺裕の周囲に醸造されていた父権的でない雰囲気を濃厚に身にまとっていらっしゃる、と言っていいような気がします。

そんな「父」を大久保さんは嫌いではないのだそうですし、研究テーマが「音楽ゲーム論」なのですから、事態は抜き差しならないものであったのだろう、と、周囲からは見えました。

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さてしかし、ショパンの翻訳が出て、これだけアケスケにアドルノ/マーラーを語るのは、何かの潮目が変わりつつあるような感じがします。

ショパン 孤高の創造者 人・作品・イメージ

ショパン 孤高の創造者 人・作品・イメージ

先ほど気づいたのですが、大久保さんのみならず、輪島裕介さんも金沢のお生まれなのだそうで。男の子を萎えさせ、低迷させるお江戸の渡辺裕の呪いの力は、ピンポイントで加賀百万石のご城下に対して効力を発揮するかのようにも思えたのですが、それも過去の挿話となりつつあるのでしょう。(ヒロシくん、寝覚めの悪い結末にならなくてよかったね(棒読み)。)

そういえば、大久保さんや輪島さんの生まれ故郷のオーケストラでは、およそ渡辺裕の呪文で萎えてしまうことなどありえないと思われる人が常任指揮者としてご活躍ですから(彼は「5億、6億だったら、ボクが○○を買ったのに」と言ったとか言わなかったとか(笑))、そういう意味でも、今、金沢が来てるかもしれませんね。

東京の皆さん、大阪は勝手にやるので(明日にも街が滅びるかのような風評ばかり立てられては話がややこしくなるばかりですし(笑))、これからは、金沢へ行きましょう!

P. S.

先日、大栗裕の最晩年の入院中の写真、告別式の写真を見せていただく機会を得ました。

ずんぐりと丸っこい体型、白髪混じりのオールバックに太いフレームのメガネ、という外見は、微妙にうちの父親とカブルところがあって、妙な気持ちになってしまったのですが……、

そうしたら、先週末に、父が緊急で入院したとの連絡が。(出来過ぎたお話ですが、実話です。)

入院先は、数年前、大栗裕の連続講義をやらせていただいた施設のすぐ近くでした。

大栗裕と戦後関西楽壇の話をするために毎週通っていたのと同じ駅から、同じ路線バスに乗って、大栗講義をやった会場を横目に見ながらさらに先へ進んで目的地へたどりつき、病室に入ると、数日前に写真で見た大栗裕と同じようにパジャマを来た父がベッドに横たわっておりました。

これは何かの戒めなのだろうか、こんなことが現実にあっていいのか、と思わざるを得なかったのですが、

幸い、今は順調に回復しているようです。(大阪城西の丸庭園の大阪フィル星空コンサートで、先日お父様を亡くされた大植英次さんが指揮するアンコールの威風堂々を聴いているときに、そういう連絡が携帯に入りました。)

人生には、確かに、安易に一般化したり、流通しやすい「お話」や「教訓」にまとめる気持ちになれない出来事が起きるようです。

○○と××は似ている、という突飛な類似に気づいて、それが遂行的予言になってしまわないように、これからは気をつけます。(プチ改心)