原稿が行き詰まったので、過去のエントリーのまとめで気分転換します。
(1) 役割(語)としての「大阪」
- 作者: 金水敏
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/01/28
- メディア: 単行本
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今年の初め頃、「役割語」という概念を知って、そこから一気に2つのエントリーを書きました。
役割としての「大阪」という概念が、役割としての「東京」と相関しているのだとしたら、「国際派アーチスト」というのも、似たような水準での役割だったのではないか、という風に考えを進めて、当時はまだ生きていた吉田秀和や、当時はまだ大阪フィルの音楽監督で、3/31にブルックナーを指揮することになるとは当人も決めていなかった大植英次のことにも言及しています。
(2) 落語と仏教、漫才と神道
役割としての「大阪弁」が昭和期に確立したのだとしたら、大阪弁でしゃべくる昭和の芸能としての漫才のことも考え直したほうがいい。
「大阪弁」という言葉の土着性が歴史の浅い「役割」に過ぎないのだとしたら、落語や漫才という芸能の歴史は、そうした土着語への愛着とは別の水準に求めた方がよいと思われ、落語と仏教、漫才と神道ということを考えてみた次第です。
(そして「しゃべくり漫才」だけでなく、「落語」というものも、小谷野敦さんの新著では、現行のスタイルが確立したのは昭和に入ってからだ、と見ているようですね。)
- 作者: 小谷野敦
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(3) 階級都市大阪の回路
大阪には、ゼニカネにまみれて、そのあたりのことは知り尽くした上で「人生カネだけやない」というところへ突き抜けたような道楽者がいる(いた)。そういう風に想定しなければ説明できないようなところがある、と私には思えます。(大阪だけでなく。都市というのは大なり小なりそういうものかもしれませんが。)
今の市長さんは、そういう人たちとどうコミュニケーションしたらいいのか、よくわからないから、ガッツあふれるトライを狙ってひたすら突進しているのだと思うのですが(そして大フィルにアンコールを要求して、場を穏便に収めようとする担当者から「超過料金が必要になりますよ」と言われ、主催者は、何をたしなめられているのか理解できずに、お前たちは公務員か、と逆ギレして産経新聞にタレ込んだ、という最近の珍事も、同種に無粋なコミュニケーション不全の印象がある)、
「道楽者は自分のカネで遊べばいいのであって、それはそれ。とりあえず、都市のインフラだけは、みんなでお金を出し合ってなんとかしましょう」という大筋には最初から誰も反対する人なんていないのだから、たぶん、そこまで肩を怒らせる話ではない。
そして、公共のインフラを立て直すついでに階級格差をなくしてしまおう、というのは、話の筋が違うのだと思います。それは、公務員の力の及ばない、それこそ「民間」が勝手にやっている領域の話なのですから……。
で、「王将」の坂田三吉も、織田作之助と川島雄三の日本軽佻派も、飛田のエロも、仔細に見ていくと、最近では「ディープサウス」と呼ばれているらしい天王寺・西成界隈だけで完結する「小さな話」ではないようですね。
- 作者: 酒井隆史
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何よりも驚いたのは、川島雄三の生まれた下北・恐山が、大阪と海上交易で交通があって賑わった地域で、そういう意味では、大阪と共通点があると言えるかもしれない、という指摘でした。
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川島雄三を同郷の太宰治から「解毒」してくれた存在である織田作之助は、大阪から姉の嫁いだ別府(大阪の奥座敷と言われていたらしい)へと瀬戸内海を西へ移動することを好んだ人ですが、
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「貸間あり」でシナリオライターに付いただけで藤本義一が川島雄三を「師匠」と呼ぶのはどうなんだろう、と思いますが、でも、彼の目から見た晩年の川島雄三は、確かに強烈ですね。
- 作者: 藤本義一
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オダサクの「夫婦善哉」を歌劇化した大栗裕は、晩年に恐山のイタコを題材とする「巫女の詠える歌」という吹奏楽曲を書いています。(亡くなったので1曲書いただけでしたが、連作の構想があったらしいです。何故、大阪の大栗裕が恐山へ入れ込んだのか、ずっと疑問だったのですが、山好き+土俗信仰への関心だけでなく、ひょっとすると、恐山という場所が、大正生まれの大阪人の琴線に触れる何かを持っていたのかもしれませんね。)
- アーティスト: 木村吉宏朝比奈隆,大栗裕,朝比奈隆,木村吉宏,大阪市音楽団
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伊東信宏『中東欧音楽の回路』は、「市民(中産階級)というのはネーション(いわば国境)に固執する傾向が強いけれども、彼らの上と下の階級は楽々と国境を越える。ロマとユダヤ人は、市民に見えない地下にワールドワイドな回路を広げている」という見立てでまとめられた本ですが、それの大阪版というのが、ひょっとすると可能なのかも。
- 作者: 伊東信宏
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ナショナリズムであれファシズムであれ、ローカルvsグローバリズムであれ、市民/新中間層の水平的なロジックだけで都市を完全制覇するなんていうのは、無理だということです。西側が海へ開けた海洋都市で、底も天井も抜けているのですから。
(4) 後背地としての北摂
大阪市長が(史上初めて)市内でなく北摂に住んだまま、ということの意味を誰も言語化してないしそれを考える必要あることやと誰もおもってない(なんとなく大阪専属の無味無臭な後背高級住宅地として北摂をスルーして済ませてる)のが「大阪」について考えるときいま一番気になっていることであります
増田聡 on Twitter: "大阪市長が(史上初めて)市内でなく北摂に住んだまま、ということの意味を誰も言語化してないしそれを考える必要あることやと誰もおもってない(なんとなく大阪専属の無味無臭な後背高級住宅地として北摂をスルーして済ませてる)のが「大阪」について考えるときいま一番気になっていることであります"
そういうことに興味がある人は、是非、来年2月の「茨木のオペラ」を見ておくべし(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120520/p1
大阪は労音発祥の地であるわけですが、労音の「労」は、(私もずっと勘違いしていたのですが)「労働者」(プロレタリアート)ではなく、「勤労者」なんですよね。正式な名称は、労音=勤労者音楽協議会。実態としては、どうやら、増加の一途を辿る勤め人(サラリーマン)を取り込むことで成長した鑑賞団体だったように思われます。
(だから、朝日新聞の文化施設だった朝日会館も労音の立ち上げを全面的にバックアップしていましたし、財界の支援で船出したばかりだった関西交響楽団が労音に助けられる、というようなことが起こりえたわけです。)
そしておそらく、大阪万博で北摂の丘陵地帯が開発されてここに大量の「勤労者」が暮らすようになり、70年代に革新府政で「福祉の時代」になったときに、今の北摂の有り様が確立したのではないか。北摂の「無味無臭」感は、かつて「標準語運動」があったとされる阪神間の高級住宅地のブルジョワ的なコスモポリタニズムではなくて、一番肉厚なのは、いわゆる「新中間層」ですよね。
わたくしは、その1970年からずっと「北摂の団地」に住んでおりますし、今や親子二代にわたって自治会やら管理組合やらの役員でございますから、中公新書で『大阪オリエンタリズム』を書くんだったら、まず、私に話を訊きに来るべきではないかと思ったり……。
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20090704/p1
あっという間に文庫化されたようですが、「北摂」問題というのは、「団地論=滝山コミューン本で決着」という単純化を認めるか否か、という、共産主義なき階級闘争(?)の視点が必要なのではないか、と私は思ったりするのです。
- 作者: 原武史
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丘陵の住宅地に住む「新中間層」の間に、政治的に表象=代行されていないことへの不満が鬱積しているということではないでしょうか?
何かに気付いているのかもしれない増田くんですら、そのような人々を「無味無臭」で居心地の悪い他者としてしか言語化できていないわけですよね。(自分が南大阪へ居を構えてからようやくコワゴワ語り出す、とか、「関わり合いになりたくない」感に充ち満ちていますし(笑)。)そのように「透明人間」視され続けた「新中間層の40年」がハシズムを生んだのではないか。この図式だと、割合マルクスっぽい分析になりそうですね。
ルイ・ボナパルトのブリュメール18日―初版 (平凡社ライブラリー)
- 作者: カールマルクス,Karl Marx,植村邦彦
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大正期の先進的なセツルメントと言われた天六の大阪北市民館が、今は「住まいのミュージアム」として昭和の団地建設に至る大阪の住宅施策の歴史を展示する場所になっているのは、何か象徴的な気がします。住まいのかたち・暮らしのならい―大阪市立住まいのミュージアム図録
- 作者: 大阪市立住まいのミュージアム
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「音楽の北摂」の鍵は、長らく千里丘の放送局だったMBSの深夜ラジオ(ヤングタウン)とか嘉門達夫ではないか、という気がします。あと、ナインティナインは、ブレインに南大阪の人が付いていますが、北摂出身で、いかにもだなあ、と私は思う。槇原敬之というのもいますが……。
(それから、阪大が「愛校心を持たせないような構造になっている」件については、阪大が「西の筑波」と学生の間で言われていたのを、増田さんの世代だと、もう知らないのでしょうか。学生運動がやりにくいように諸々が設計されている、と言われていたものです。)