文楽問題には東京の人を狂わせる何かがあるらしい

小田嶋隆:http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120712/234415/ ダメだよこれじゃ。天皇制も特別扱いってことになるだろ。

小谷野敦 on Twitter: "小田嶋隆:《http://t.co/lJXiJhRK ダメだよこれじゃ。天皇制も特別扱いってことになるだろ。"

確かにこのエッセイは苦しい。それに……、たくさんの人が心の中でツッコミを入れたと思うのですが、今の大阪城は、昭和の建設業者が鉄筋とコンクリートの技術を駆使して再建したもの、大阪城は「現代建築の粋を結集」して、「破壊前の大阪城と似た建物を再現」した近代建築なので、論が破綻している。

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大阪で今話題になっているのは、文楽という藝能の是非ではなく、文楽協会というのがよーわからん、振興会とか国立劇場とか、色々な団体の関係がごちゃごちゃ入りくんでいてややこしい、という話なのだと思います。

いってみれば、大阪城のエレベータ(大阪城はエレベータを内蔵したお城であることがかつてしばしばお笑いのネタにされた)が故障したとき、誰が金を出すのか、ということを関連団体が揉めている、みたいな話で、誰も大阪城をいますぐ潰して更地にすると言ってるわけではないと思う。

あるいは、マンションの管理組合が、ちょっとした不具合を修繕しようとして、簡単な話だと思って書類やなにかを調べてみたら、意外に権利関係が入りくんでいて、なかなか話が先へ進まない、というのに似ていて、一足飛びに「日本語の古層」へ行ってしまうと、話が無駄にややこしくなる。

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それから、犬丸という人が突如、歌舞伎における義太夫狂言の大切さ、を言い出すのも、どこまで本気なのかなあ、と思ってしまいます。だって、そういった歌舞伎の歴史性をわからなくしてしまった「松竹の罪」(武智鉄二がそればっかり言い続けていたような)については、ほとんど何も言わないわけでしょう?

http://homepage3.nifty.com/inumaru/newpage2012.06.26.html

松竹歌舞伎の大看板である團十郎の家の御曹司を熱烈に擁護する人が狂犬のように吠える背後には、何か裏があるのかな、と、つい、疑って恐くなります。劇界は、音楽業界より闇が深いのでしょうか。主としてそれは、大阪というより東京の事情のような気がするので、そんな角度から大阪の話へ介入されても……。

東京の人気者である三島由紀夫や勘三郎は、この際、関係ない。ましてや天皇陛下の話をしているわけではないはずで……。東京では、古典藝能に口を挟むことは問答無用に不敬である、ということになっているのでしょうか。

たしかに住大夫さんの師匠の豊竹古靱太夫(昭和前期に絶大な人気を誇り、研究熱心なことでも知られ、谷崎潤一郎に働きかけて「いわゆる痴呆の藝術について」というエッセイが生まれるきっかけを作った人)は、秩父宮から掾号を受けて、豊竹山城小掾と名乗りましたが……。

そしてこのような経緯から推して、市長が人間国宝でもある太夫を呼びつけることは、一介の地方自治体首長が皇室を下座へ置こうとするかのような不埒な行為であると受け止められているのでしょうか。

文楽の太夫は徳川時代に家元制度へ組み入れられたわけでもなく、「家の藝」とは異なる形で伝承されており、その一方で、歌舞伎の義太夫狂言は、人形浄瑠璃から来ている演目ではあるけれども文楽の師匠たちが「竹本」で歌舞伎に出ることはない、という形で文楽が歌舞伎を格下に見ている気配があるようです。文楽は能狂言とも歌舞伎とも違う事情がある藝で、それぞれの関係はなにかとてもややこしそうです。

谷崎潤一郎随筆集 (岩波文庫 緑 55-7)

谷崎潤一郎随筆集 (岩波文庫 緑 55-7)

古靱太夫は、「蓼喰う虫」や「卍」で人形浄瑠璃に造詣の深いところを示した谷崎に文楽の藝術性を擁護する文章を書いてもらいたかったのだけれど、できあがったエッセイ「いわゆる痴呆の藝術について」はそういうものではなく、なんとも気まずいことになりました。このあたりが、谷崎らしくもあり、文楽の微妙なところでもあると言えそうです。

そして義太夫節の機微や歴史性に本格的につっこもうとすると、武智鉄二のように毀誉褒貶を顧みずアクロバティックなことにならざるを得ないようです。

芸十夜

芸十夜

伝統芸術とは何なのか―批評と創造のための対話

伝統芸術とは何なのか―批評と創造のための対話

で、その武智鉄二の父親は、大阪城がコンクリートで建設された時代に、コンクリート・パイルの特許技術をもつ会社を興して財を成した人なんですよね。土建業でパパが大もうけしたおかげで武智鉄二は古典芸能に散財することができたわけですから、文楽をめぐる一連の話は「日本語の古層」へ迂回しないところで一周してつながってしまいます(笑)。大阪はそういうややこしい街です。)

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

[追記]

糸がもつれてグチャグチャになっているときは、ひとつずつ結び目をほぐしていくのが回り道のようでも一番安全な対策で、力の限り糸をぐいっと引っ張ると、糸がちぎれて元も子もなくなってしまうか、あるいは、その糸が人間の力でひきちぎることができないほど粘り強い材質だったら、結び目がどんどん深く食い込んで、事態はさらに悪化する。

わたくしは日頃からそのように考える気の長い性格で、とにかく力の限り叫び続ける、ということはやりませんが、

ご本人が、私はそうしているのだ、とおっしゃるので、そのご発言をリンクさせていただきます。

http://twitter.com/fwgd2173/status/224762794661253121

ぐいと力を込めた痛みが肉へ食い込んでいく、とか、プツンと切れて不意に力が解き放たれる、というのは、なるほどひとつの美学かもしれません。

犬丸さんご自身が指摘していらっしゃるように、「大阪市一般会計予算1兆6700億、特別会計2兆1700億。文楽予算3900万は0.001%。当初約5000万からの25%カット額1100万は0.0002%」なので、あの人は、何か落としどころが見つかったら、知らんぷりしてあっさり前言撤回して、この騒ぎはいったい何だったのか、ということになるような気がします。

無節操な和解調停は弁護士の得意技ですから。

もちろん、この機会に力の限り文楽への思いを語る、というのは、ある意味感動的で、そこから何かが生まれるのかもしれませんから、そういうことなのでしたら、それでよろしいのではないでしょうか。当方へ一発蹴りを入れることで多少なりとも気勢が上がる、ということでしたら、お役に立てて幸いに存じます。

ぐにゃぐにゃと気色悪くまとわりついて、蹴飛ばし甲斐がないかもしれませんが……。

[追記]

で、その後実際に「妥協」がはじまった。ほらね。

http://mainichi.jp/select/news/20120725k0000m010105000c.html