承前(補足):日本の「ドレミ」曼荼羅について

前の記事に書いた「ドレミ」体質の件です。

外国の歌をカタカナに読み下して歌う歌手(「かあああ ろおおお みお べええええん(カロミオ弁?)」という仮名が思い浮かぶような)というのは、プロでも実際には結構いることを私たちは知っているわけですが、

歌でもピアノでもオーケストラ(指揮者)でも、聴いていると「この人はドレミを頭に思い浮かべながら演奏しているな」と思うことがあります。

「そおお どおおおおお しいいどおお らあああああああそおお」

とか。(母音が並ぶところはヴィヴラートとお考えください(笑))

でも、例えばベートーヴェンのピアノソナタの出だしを聴いて、「ラ ミ ミレド#シラ」(移動ドなら「ド ソ ソファミレド」)と音名・階名にリアルタイムに変換して聴きなす特技は、音楽を聴くアングルを狭く限定するのではないか、というようなお話です。

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前にもこの話は書きましたが、古典派のソナタをはじめとする18世紀や19世紀初頭のピアノの楽譜は、(この時代にはまだコンサートホールのリサイタルが成立していませんから)たどたどしい拾い弾きであれ、楽譜を買った人が自分で弾きながら楽しむものであったと思われます。

(だから音楽雑誌の新作評には、「誰でも楽しめます」とか、「これは知識豊かで、専門的な技を持った人じゃないと無理」とか、必ず難易度が書いてあります。鍵盤音楽は自室で読書をするのに似た楽しみで、曲の難易度は、駅のキオスクに売ってる車内で読み切り可能なペーパーバック(ディアベリなどその種のピアノ曲を大量に書いていた)と、書斎の机にドンと置いて、ペーパーナイフで新しいページを切って1行ずつ味読する単行本の違いに近くて、どちらにしても、「自分で読む(弾く)」ものだったわけです。)

「自分で弾く」が前提ですから、しかるべきタイミングでしかるべき鍵盤を自分で押さえるしかないわけで、幸いなことに五線上の音符の位置は鍵盤と一対一で対応していますから、慣れてくれば、譜面を見た瞬間に手・指を所定の位置へ動かせるようになりますが(楽譜と楽器操作の対応がシンプルであることは、おそらく鍵盤楽器が自室の「読書用の楽器」として普及した大きな理由でもあるのでしょう)、ご存じのようにヨーロッパでは、最初は「ラ」、次は「ミ」と音を拾っていくような譜面の解読、グラフィックをそれぞれの音の名前とされている文字へ対応付けるような記号処理の習得を間に一段階挟み込むのが、面倒なようでいて、先のことを考えると何かと便利な常道とされています。これがソルフェージュですね。

(solfege = solfaggio という動詞自体が、「sol(ソ)」を「fa(ファ)」に読みかえる、というような例外的な場で必要になる読み下し法を指す言葉だったようです。)

音やその動きに唱えやすい名前をつけて記憶や習得、伝承を助ける「唱歌(しょうが)」は、広く世界の様々な文化に見られます。ヨーロッパのソルフェージュは、特別な行為ではなく、ヒトが音とつきあうときのごく普通の行動様式です。

でも、ソルフェージュはあくまで補助手段で、そこで止まっていたら面白くない。

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まだ曲の出だしで何が起きるのかよくわかりませんが……、それでもとりあえず、

(1) 手を大きく広げてオクターヴを掴む最初の2音(右手)は、スタッカート記号で音を軽く弾ませろと指示してあるので、鍵盤を狙ってポンとはじく射撃感覚がありそうですし、

(2) 次の音の塊は、休符の間に両方の手を鍵盤上に行儀良くスタンバイして、小指から親指へ(右手)、親指から小指へ(左手)と一気に弾くと、ジャバラのシャッターを勢いよく畳むような爽快感がありそうです。

弾いて楽しい、弾き手の興味を惹くという意味でも、手と指の動かし方の面白さが仕込んであるという意味でも、よくできた「ツカミ」だと思います。

ページを開いて、最初にこういうのが書いてあったら、とりあえず面白いから、いっちょ自分でやってみるか、と引き込まれそう。読者を最初のフレーズでつかまなければダメだ、というのは、小説も鍵盤音楽も一緒だったんでしょう。

(近代市民社会は、読書の楽しみが教養市民に広まったことに下支えされた「読書する公共圏」であったと言われますが、鍵盤音楽の譜面が出版・演奏され、楽譜のレビューをする雑誌がでてきたのは、「読書する公共圏」が形成されたのと同じ時代です。)

で、さらに言いますと、18世紀や19世紀には、鍵盤楽器のためのオリジナル曲だけでなく、他のもっと大きな編成の音楽を鍵盤用にアレンジした譜面がたくさん出ていたようです。鍵盤楽器の弾き方(楽譜の読み方)がわかると、劇場や宮廷へ通う身分や財力のない持たない者でも、そういう楽譜を自宅で読み・弾くことで、おおよそのところを把握することができるようになったし、宮廷や劇場の音楽家の側からすれば、特別な場所・人にしかアクセスできないはずの音楽を惜しげもなく公刊することが啓蒙の身振りだったのだと思います。

(「食卓の音楽」を積極的に出版したテレマンが進歩的な人だったと言われるのは、おそらく、そういう意味においてなのでしょう。そしてのちにシューマンがピアノ譜でベルリオーズの「幻想交響曲」を批評したり、リストがピアノは「楽器の王様だ」と豪語したり、という19世紀の市民社会におけるピアノの万能感は、鍵盤楽器の音楽再生機能(まだレコードのような自動再生ではなく、自分で譜面を読み・弾く人力再生ですが)への信頼が最高に極まって、現世を越える魔法のメディアであるとロマンチックに信じられていたからなのだと思います。)

で、ベートーヴェンのソナタの冒頭は、鍵盤楽器の音楽再生機能(鍵盤楽器の弦を打ったりはじいたりする音を聴くだけでなく、その向こうにヒトの歌声や弦楽器・管楽器・打楽器の音を思い浮かべるような想像力)のフィルターを通すと、最初にパンパカパーンと元気のいい管楽器のファンファーレが鳴って、そのあとで、舞台前面に散開する弦楽合奏が一斉にズズズーンとユニゾンで応じるダイナミックなオーケストラ音楽を暗示しているという風に読み解くことができるかも知れません。

(曲を先まで見ていくと、全体に四声体の弦楽四重奏風の書き方をした箇所が目立つので、弦楽器のユニゾンと考えるだけでいいのかもしれませんが。pのままで音色の変化はないですし。

でもいずれにしても、32分音符で一気に音階を下がるパッセージは、ヴァイオリンだったら一番太いG線の音域ですから、弦楽合奏にするとかっちょよさそうです。そういえば、同じベートーヴェンの交響曲1番(作曲はこのソナタよりあと)の第1楽章の第1主題は、ちょうとここと同じように、木管楽器の長く引き延ばした和音をヴァイオリンが素速い下降音階で引き継ぎますね。)

鍵盤楽器というのは、こんな風に自分で弾きながら想像を広げていくツール(メディア?)だったわけで、こういう想像力の在り方には、おそらく、読者が小説の文字列を目で追いながら物語の世界へ入っていくのに似たところがあったと思われます。

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さて、それでは一方で、階名・音名のソルフェージュに踏みとどまって、想像力という悪魔が棲む「カラヤン的世界」(@大久保賢)に背を向ける「ドレミ」の牢獄(修道院?)ではどういうことが起きるのか?

幼少時から才能あるお子様が集められた「ドレミ」修道院では、この譜面は「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」という“暗号のような歌詞”のついた歌として伝承されているのではないかと思われます。ピアノの練習というのは、みんなが脳内で「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」と反芻する修行の場になるわけです。

この段階での修行は、カタカナ外国語にたとえると、

Caro mio

を「シー エー アール オー エム アイ オー」とリテラルに読み上げるのに近いと思います。言葉の場合には、さすがにこんな風に分解すると意味をなさず、「シー エー アール オー エム アイ オー」と何度繰り返し唱えても、彼女が、アタシに呼びかけているのね、と気付くのは難しそうですし、どうやらこの男はアタシを愛しているらしい、という思いは通じそうにないので、歌手の皆さんは辞書を引いたりして「カロ ミオ」と発声します。まあ、イタリア語はローマ字読みで大丈夫なので、辞書は引かないかもしれませんが……。(外国語の歌を、その言語がわからなくても、とりあえず発音だけ丸暗記して歌うのは、何も日本の歌手だけでなく、良い悪いはともかく、「国際化」した歌手市場では、ありふれた光景と言わざるをえないようです。)

が、器楽の場合は、カタカナ外国語の場合とも違って、恐ろしいことに、「シー エー アール オー エム アイ オー」の水準に近いところで「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」の暗号を唱えるしかない。

しかしここで奇跡の大逆転(?)が起きます。

幸か不幸か、ヨーロッパの藝術論は、近代になって現実世界からの「自立」という議論を立てて、藝術は閉じた小宇宙である、という説を打ち出したんですよね。まずはこれが、意味の回路へ接続しなくてもいいと開き直る追い風になります。

そしてしかるべきタイミングで、和声法とか対位法という経典が伝授され、この“暗号のような歌詞”は、「意味」とは別の次元における様々な秘術の結晶であると教わります。驚くべきことに、「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」の暗号を唱える修行は、パルナッソス山への階梯だったのです!

18、19世紀段階のヨーロッパの音楽を、近似的にではありますけれども、その時点で実現可能なやり方で移植する仕掛けとして、これが、それなりに機能した。「西洋音楽は合理的である」説は、ひと頃のカルスタが言うように単なるイデオロギー(頭=教と信)だけの問題ではなく、日本流のソルフェージュ、「ドレミ」修道院の実践(=行)と一体だと思います。

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このような「ドレミ」修道院の修行過程は、「南無阿弥陀仏」に似ていると思います。

(あるいはちょうど洋楽が日本に導入された19世紀に、徳川期と明治期をまたいで武士層に広まっていた漢文素読(解釈せずにひたすら音読)が直接のモデルかもしれませんし、こういうタイプの根性主義は「儒教道徳的」と形容する方が一般的ではあるかもしれません。でも、それじゃあ儒教経典を漢文素読ベースで学ぶ、という方式が定着した前提は何だったかと考えると、漢訳仏典をひたすら音読して、そのような音読を教義で意味づける日本仏教ではないかと思うのです。)

「西方のかなたへおわします阿弥陀如来は、すべての衆生を救うまでは成仏するまいという誓いを立てられました。これを「弥陀の本願」と申します。阿弥陀如来の慈悲は、十方世界を照らす光となり、われわれは、弥陀の慈悲により、必ず救われるのでございます。「弥陀の本願」を信じさえすればよいのです。そして我々の「信」とはすなわち、「南無阿弥陀仏」の六字を唱え、仏を念ずることなのです。」

というのが親鸞の浄土真宗で、京や奈良の権門のインテリ層からみれば、いくらなんでも安直に敷居を下げすぎて、救いをダンピングしていると見えますが、東国の牧畜・漁業で日々殺生をせざるをえない人々の間で強力な心の支えになった、ということみたいです。「悪」とカテゴライズされかねないところにいるギリギリの人々を救済する心のセーフティネットだったんでしょうね。

近代日本と仏教 (近代日本の思想・再考)

近代日本と仏教 (近代日本の思想・再考)

山折哲雄の説を批判的に再検討しながら『歎異抄』を論じた文章が色々参考になります。

そして阿弥陀如来が「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」の衆生をお救い下さるように、「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」の暗号は、和声法や対位法のパルナッソス山への入口になるわけです。

でも、Caro mio benを「シー エー アール オー エム アイ オー ビー イー エヌ」と何度繰り返し唱えても、私の恋いこがれる貴方に私の思いを届ける回路を開くのが困難であるように、「ラッミッ、ミレドシラ〜〜」と唱えることは、もはや鍵盤音楽を読み・弾く楽しみとは枝分かれして別の山への入口です。

これは、コミュニケーションとはディスコミュニケーションだ、というパラドクスではなく、単に、コミュニケーションの回路を自ら断って、他の道を歩んでいるのだと思います。もう洋楽導入から150年が過ぎて、諸々のカラクリはバレバレですから、この期に及んで事態を神秘化する必要はないと思います。

(誤解のないように書き添えますが、私は、日本仏教とか日本の「ドレミ」をバカにしたり、ナンセンスだから即刻止めろとは思いません。そういうものとしてやっていけばいいんじゃないか、と思っています。先方が、それ以外の音楽を一切認めない、とか、日本が「ドレミ」で国家を統一するべきである(←どこか「立正安国論」を思わせる)、とかいうことになると、対応を考えなければなりませんが、そうでないなら、信教の自由だと思います。)

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というところで、前回の記事へ戻ります。

「ドレミ」修道院の階梯は、さらに修行が進みますと、まるで、草木すべてに仏性が宿る、の本覚思想(←日本仏教で独自に発展)さながらに、あらゆる音が、鳴った瞬間に「ドレミ」という音の名前へ転生し、音符という無数の仏が五線譜のしかるべき位置にひしめく曼荼羅の如き光景が目に浮かぶ境地へ達します。それは、もはや即身成仏に比すべきかもしれない文化的達成だと思います。

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聖徳太子から密教へ至る日本仏教の土台のところは、文字だけでなく仏像のようなヴィジュアルが残っているから、どういうことが思念されていたのか、イメージが鮮明ですね。仏像重要。

ただし、これはあくまで円滑なコミュニケーションを断ち切ったところに形成された別の文化なのですから、ヨーロッパでやっているのとは別立てにしたほうがいい。日本の仏教が、インドから南方へ広まったものとも、中国のものとも違うように、日本の「ドレミ」修道院は、独自の教義と儀礼を備えていると見た方が、かえってわかりやすく事態を整理できると思うのです。

往年のグリークラブのレパートリーは、こうした「ドレミ」修道院の姿をかなり純粋な形で今日に伝えてくれているように思いますし、山田和樹が、そういう領域に限りなく近いところ軸足を置きながら、同時に、日本の聴衆に「これはヨーロッパでも通用する本物だ」の夢を見せてくれているのは、絶好のチャンスではないかと思います。もちろん、本当に彼が門主へ就任するのか、海の向こうへ移住してそれを断るのか、それは当人の決めることですが……。

彼は、別に「藝術のメシア」ではないけれど、150年間営まれてきた日本の「ドレミ」修道院の守護聖人になる可能性はあるかもしれない、少なくとも、(当人が望むか否かは知りませんが)それを待望する人たちがいるらしい。

かくのごとく私は理解しました、如是我聞。