ディアギレフとイタリア

“東洋のバルトーク”と言われる大栗裕は、実はラテン音楽が好きだったらしく、デビュー作「赤い陣羽織」はアラルコンの小説「三角帽子」の翻案ですから、ことによったら、むしろ“東洋のファリャ”と呼ばれてもおかしくないところがあると私は思っています。

(海洋性の大阪人にはラテン系がよく似合う。ハンガリーの大平原は、むしろ、間宮芳生の東北と、柴田南雄の関東平野を合わせたような感じだと思います。)

ディアギレフのバレエ・リュスのことを少しずつ調べているのも、「三角帽子」が気になるからなのですが、この作品は第一次大戦後のややこしい時期に制作されたんですね。

ディアギレフ―ロシア・バレエ団とその時代 (下)

ディアギレフ―ロシア・バレエ団とその時代 (下)

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バレエ・リュスは第一次大戦中からスペインものに取り組んでいますが、スペインが第一次大戦の中立国で、戦時中のバレエ・リュスはパリからスペインに拠点を移して、この国のあれこれを実地で見聞できたようです。

そしてヨーロッパでは仕事がないので、大西洋を渡って北米や南米でも興行していますが、ディアギレフは船が嫌いだったと言われていて、団員がアメリカへ行っている間、彼はイタリアで過ごしたりしている。で、その間にスカルラッティやロッシーニやペルゴレージやチマローザの珍しい曲を仕入れた。

「新古典主義」の表向きのスローガンは“バッハへ帰れ”、“悪しき19世紀の芸術至上主義から18世紀の職人の手仕事へ”、ということになりますが、どうも、ホモセクシャルの興行師がスペイン黄金期のバロックやイタリアのギャラントにかぶれて、美少年たちのコスプレを楽しんでいる気配なきにしもあらず、なんですよね。^^;;

ということで、バレエ・リュスの興行記録を作ってみると、1919年初演の「三角帽子」はイタリア編曲ものに囲まれてしまうようです。

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ほとんど仕事がなかった1918年をはさんで、2年前の「パラード」(コクトーの台本、サティの音楽、ピカソの美術で第一次大戦後のアヴァンギャルドを予告する作品だとしてその方面では妙に有名)を初演した年には、ゴルドーニの同名戯曲にスカルラッティの音楽をくっつけた「上機嫌なご婦人方」がありますし、

  • 1917年4月12日、ローマ、コスタンティ劇場 「上機嫌なご婦人方 Les femmes de bonne humeur」(音楽:スカルラッティ/トマシーニ、美術:バクスト、振付:マシーン)
  • 1917年5月18日、パリ、シャトレ座 「パラード」(音楽:サティ、美術:ピカソ、振付:マシーン)

Divertissement / Sleeping Beauty

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  • アーティスト: Jacques Ibert,Mikhail Mikhailovich Ippolitov-Ivanov,Pyotr Il'yich Tchaikovsky,Vincenzo Tommasini,Roger Desormiere,Conservatoire Concert Society Orchestra
  • 出版社/メーカー: Testament UK
  • 発売日: 2003/09/09
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「三角帽子」のシーズンには、ロッシーニの晩年のピアノ曲にレスピーギが目の覚めるようなオーケストレーション(ゴージャスな三管編成)を施した「風変わりな店」をやっています。これがロンドンでは大変な評判で、パリのアート・シーンにおける「パラード」に匹敵するインパクトがあったみたいです。ロンドンには、高踏的な「パラード」より、インターナショナルなキャラクター・ダンスてんこ盛りの「風変わりな店」が合っていた、ということでしょうか?

  • 1919年6月5日、ロンドン、アルハンブラ劇場 「風変わりな店 La boutique fantasque」(音楽:ロッシーニ/レスピーギ、美術:ドラン、振付:マシーン)
  • 1919年7月22日、ロンドン、アルハンブラ劇場 「三角帽子」(音楽:ファリャ、美術:ピカソ、振付:マシーン)

La Boutique Fantasque

La Boutique Fantasque

CDジャケットの装丁が、「風変わりな店」という作品のテイストや受け止められ方を象徴しているような気がします……。

そして次のシーズンには、ストラヴィンスキーの転機になったとされる「プルチネルラ」の直後に、チマローザのオペラ「女の手管」(1794年初演)をレスピーギがオーケストレーションし直して、最後のバレエをマシーンが振り付ける、という不思議な演目が披露されています。

  • 1920年5月15日、パリ、オペラ座 「プルチネルラ」(音楽:ペルゴレージ/ストラヴィンスキー、美術:ピカソ、振付:マシーン)
  • 1920年5月27日、パリ、オペラ座 オペラ・バレエ「女の手管 Le artuzie femminili」(音楽:チマローザ/レスピーギ、美術:セール、振付:マシーン)

Domenico Cimarosa: Le astuzie femminili, revisione di Ottorino Respighi

Domenico Cimarosa: Le astuzie femminili, revisione di Ottorino Respighi

  • アーティスト: Barbara Lavarian, Amalia Scardellato, Nadia Sturlese, Guillermo Dominguez, Giovanni Guerini, Francesco Facini, Marco Balderi Orchestra da Camera di Milano
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このときにオペラ座とは、バレエとオペラを交互に上演する契約があったらしいのですが、それだけでなく、ディアギレフは、チマローザがロシアにいたという事実を強調して、グリンカに30年先立つロシアのオペラ作曲家なのだ、と強弁していたようです。そして「女の手管」は、バレエ・リュスの最初期からの十八番、「ボロヴェツ人の踊り」と並演されたのだとか。

いかにもディアギレフ流の、もっともらしいような、胡散臭いような、それでもつい足を運んでしまうであろうプログラムです。

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で、チマローザの周辺は、ひどくややこしいんですね。

このシーズンを最後にレオニード・マシーンはバレエ・リュスを離れますが、マシーンは、独立後、マリピエロにチマローザ作品の編曲を委嘱して「チマロジアーナ」を制作しました。

Malipiero;Tre Commedie Goldoni

Malipiero;Tre Commedie Goldoni

従来、「プルチネルラ」を説明するときに、“当時は編曲ものが流行していたのだ”と大雑把に言われますが、「チマロジアーナ」は、もっと露骨に、ディアギレフの「女の手管」への当てつけじゃなかろうか、という気がします。

そしてディアギレフがやり返す。バレエ・リュスは、「女の手管」を本格的なバレエに仕立て直して、1924年のシーズンに、マシーン/マリピエロのプロダクションと同じ「チマロジアーナ」の名前で再演しています。芸能界で大物プロデューサーに楯突くと恐い。

(ちなみにこのときは、「プルチネルラ」で小編成が受けたのを踏まえたのか、オケを少人数に絞ったらしいです。)

  • 1921年 「チマロジアーナ」(音楽:チマローザ/マリピエロ、振付:マシーン)
  • 1924年5月27日、パリ、オペラ座 「チマロジアーナ Cimarosiana」(オペラ「女の手管」のバレエによる)

それでもディアギレフとマシーンは喧嘩の当事者だから仕方がないとして、マリピエロは、わけのわからないうちに巻き込まれて、迷惑な話です。

で、揉め事があるところには、必ず、便乗して儲けようとする人間が現れるということでしょうか、「プルチネルラ」の新古典主義の話の流れでしばしば名前の出てくるカゼッラの「スカルラッティアーナ」は、マリピエロやバレエ・リュスの演目を踏まえた二匹目のドジョウ狙いかと思いきや、舞台作品ではなくコンサート音楽で、しかも、ピアノと管弦楽ですから、「ペトルーシュカ」のアイデアをパクる合わせ技という感じがします。

  • 1926年 カゼッラ「スカルラッティアーナ」

Symphony No. 2 Scarlattiana

Symphony No. 2 Scarlattiana

ちなみに、「女の手管」のレスピーギ編曲はリコルディから楽譜が出て、1959年にオリジナル校訂版が演奏会形式で上演されるまで、チマローザはこの形でやるしかなかったようです。

Le Astuzie Femminili (Sl)

Le Astuzie Femminili (Sl)

どういう演奏なのか判然としない売り方をしているCDですが、Barbara Giurannaによる校訂版の1959年演奏会初演の実況録音です。唱法が各人バラバラですが、レスピーギ版による演奏のあとで聴くと、スリムな18世紀の音楽をやろうとする心意気は伝わる。
Le Astuzie Femminili

Le Astuzie Femminili

1994年制作のディスクですが、今だったら、もっと古楽寄りに歌い、語るでしょうか。

そしてこのオリジナル版「女の手管」が翌1960年にミラノのピッコロ・スカラで舞台上演されたときの演出はフランコ・ゼッフィレッリが担当したそうですから、ここでも、戦後のマリア・カラスやゼッフィレッリの世代は、戦前のワグネリズムやらパリのロシア人の介入やらでぐちゃぐちゃになったイタリア・オペラを建て直す「若き新世代」の役回りです。

ドニゼッティ:歌劇《連隊の娘》ミラノ・スカラ座1996年 [DVD]

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ゼッフィレッリは「アイーダ」や「トゥーランドット」のイメージが強いですけど、オペラ・ブッファができる人ですよね。

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ということで、

バレエ・リュスは、バレエ発祥の地とされるイタリアとも縁があるし、彼らの周囲で巻き起こった時ならぬ18世紀編曲ものブームは、単に“流行”と片づけないほうが面白い色々なアヤがありそうだ、というお話でした。

(それにしてもこの話題は、ジャケットの画像を眺めるだけでも独特な趣味のゾーンへ足を踏み入れてしまった感じがしますね。^^;;)