若き日のバーンスタイン

大阪音大の図書館で偶然見つけた4枚組のCD。

1997年に出て、もう製造中止のようですが、バーンスタインがCBSへ移籍する前の1940年代後半RCA時代の録音の数々。20代でクーセヴィツキーに見いだされて、コープランドのところへ入り浸りながら、作曲家&指揮者&ピアニストとして20世紀の音楽をバリバリやっていた時代の記録、もの凄いですね。^^;;

若き日のバーンスタイン?コンプ

若き日のバーンスタイン?コンプ

  • アーティスト: バーンスタイン(レナード),メリマン(ナン),シーボム(ブランシェ),RCAビクター・コラール,シェフ(ウォルター),コープランド,RCAビクター交響楽団,フィルハーモニア管弦楽団,「オン・ザ・タウン」オーケストラ,ボストン交響楽団のメンバー,RCAビクター室内管弦楽団
  • 出版社/メーカー: BMGビクター
  • 発売日: 1997/05/21
  • メディア: CD
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ラインナップを見ると、第二次大戦終結後ダルムシュタットのセリエリズム三羽ガラスが出てくるまでは、ストラヴィンスキーが一人勝ちしそうな勢いだったことがよくわかります。(「兵士」と「管楽八重奏曲」が入っている。)

世界をシニカルに突き放して眺めるような新古典主義(=戦後っぽさ)と、物量の総力戦を勝ち抜いた勢いのままに機能美を突き詰めていく新即物主義(=大戦中の慰問演奏に見られるイケイケ感を引きずる感じ)と、コープランドのような筋金入りの前衛の闘士の周囲に形成されていたのであろう、ニューヨークのアングラっぽい尖った感性が坩堝のなかで化学変化を起こして沸騰しているような感じがします。

第二次大戦後の若者が、自分たちの時代の言葉を見いだすことができずに、とりあえず第一次大戦後のあれこれを反復してもがいている、ということになるでしょうか。まだ、「アウシュヴィッツ以後、詩は不可能になった」というカッチョイイ断言すらできないような、表象なき迷走、終戦直後のメチャクチャぶりがそのまま記録されているように思います。

バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op.47 (Shostakovich : Sym No. 5, Bernstein : Sym No. 2 / Lipkin, Bernstein, New York Philharmonic (1959 Live))

バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op.47 (Shostakovich : Sym No. 5, Bernstein : Sym No. 2 / Lipkin, Bernstein, New York Philharmonic (1959 Live))

  • アーティスト: シーモア・リプキン,バーンスタイン,ショスタコーヴィチ,レナード・バーンスタイン,ニューヨーク・フィルハーモニック,シーモア・リプキン(P)
  • 出版社/メーカー: ORFEO
  • 発売日: 2010/10/21
  • メディア: CD
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作曲家としては、RCAにも収録されている「エレミア」は戦争中1942年の作品で、彼にとっての戦後というと、オーデンの詩にもとづく「不安の時代」ですね。大植英次が小曽根真のピアノで去年4月、震災の翌月に大フィルでやった曲。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110417/p1

去年大フィルの演奏を聴いたときには、まだ背景がよくわからなくて、こんなボンヤリした感想を書いていました。辛うじて、自分の言葉を見いだせない「仮面/ペルソナ」ということを言っていますが……。

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ラヴェルのピアノ協奏曲の弾き振りが圧巻でした。

(そういえばこれも、「不安の時代」のあと去年7月の定期で大植英次がやっていましたね。クレンペラーの「メリー・ワルツ」、ベートーヴェンのトリプル・コンチェルト、「薔薇の騎士」組曲と組み合わせる実に不思議なプログラムでした。)

ライナーノートによると、曲を委嘱したボストン交響楽団によるアメリカ初演をバーンスタインは聴いているらしい。1920年代にガーシュウィンだけでなく音楽家や作家の間に大量の「パリのアメリカ人」が出現したことが知られていますが(ジョン・ケージや大澤壽人も、やや遅れてそのルートに乗ろうとした、と言えると思う)、

その反対に、晩年のラヴェルは、もし死ななければ合州国を再訪して「アメリカのパリジャン」になっていた可能性があり、ボストンの当時の才能あふれる若者にとって、この協奏曲は、そんな、あり得たかも知れない可能世界を夢見させてくれる特別な作品だったのではなかろうか、と思いました。

ラヴェルの弾き振りは、指揮者として各地に客演するときの十八番だったそうですが、ちょうどホロヴィッツがチャイコフスキーの協奏曲で全米を熱狂させたようなイケイケのスペクタクルを、20世紀の音楽でやってやろう、という生意気な覇気みたいなものも感じさせますね。

若き日のバーンスタインの演奏を「粗雑」と切り捨てるのは、たぶんちょっと違うと思うし、この熱気は時代の証言だという気がします。

Young People's Concert [DVD] [Import]

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バーンスタインがチャイコフスキーをどう受け止めていたか?

Young People's Concertsで、交響曲第4番に「I want it, I want it, I want it, I want it....」と歌詞を付けてピアノで弾き語りしている壮絶なシーンを見なければダメだと私は思っています(What does music mean?の回)。マーラーが典型ですが、バーンスタインは、業が深く身もだえする音楽との共振度が異常に高い。語の正確な意味で変態だと思う。そしてそういう姿を「青少年」に見せるわけです。「ウェスト・サイド」の「マリア、マリア……」というのもそうですよね。男の恋です。

青少年コンサート―音楽鑑賞の新しい試み (1976年)

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「男の恋」の文学史 (朝日選書)

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日本恋愛思想史 - 記紀万葉から現代まで (中公新書)

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そして嬉々としてピアノを弾く20代のバーンスタインの姿(まだ中年太りする前の写真がジャケット等に使われている)を想像すると、

タングルウッドにやって来た小澤征爾をスカウトしたり、夢中になってピアノ(←これ重要)を弾く大植英次がピックアップされたのは偶然ではない気がしてきます。

バーンスタインには、ニューヨーク・フィルの指揮者になって、「ウエスト・サイド」で大成功して、スカラ座でマリア・カラスの公演に鳴り物入りで呼ばれる1950年代=華やかな30代よりも「前」があって、そのめちゃくちゃギラギラした部分の話が通じそうな若者を生涯求め、愛していたのかもしれませんね。

(それに彼は1918年生まれですから、わたくし個人の関心に引きつけるなら、同年生まれの大栗裕に、1955年37歳で「赤い陣羽織」を作曲するチャンスが巡ってくるよりも「前」がある、という話と平行して考えたくなってしまうのです。)

参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120925/p1

バーンスタイン わが音楽的人生

バーンスタイン わが音楽的人生

そしてこのCDのお伴には、岡野弁さんが執念で翻訳したバーンスタインの大学卒論まで収録されている著作集、Findings (1982) が最適。