「善意の第三者」を標榜しているらしい名も知らぬあなたへ

[12/29追記あり]

大久保賢の言うことは100%正しい。

私が彼に言いたいことは、要するに、

「碇山教子(←とばっちりで実名を出して申し訳ない!)にうつつをぬかしていないで、さっさと、現代音楽批判を書きやがれ、コノヤロウ。

余裕をカマしている以上、内容は、誰もが圧倒される出来映えであるに違いなく、

まかりまちがって、

本文が完璧なのにグダグダと言い訳がましい冗舌な訳注で紙数を浪費するショパン本のように画竜点睛を欠く書物をもう一回作ったら、他人は許しても私は許さない。春秋社はいったい何をやっているのか!」

という空しい憤りをパラフレーズしているに過ぎないわけですから、

そのことが理解できないあなたは、豆腐の角で頭を打って死んでから出直していただきたい。

以上。

(なお、こういう口汚い言葉をあたなが知らなかった場合のために蛇足を承知で申し添えれば、豆腐の角で頭を打つというのは、ほぼ同様の文脈で使われる「目を噛んで死ね」というのと同じく、そのような方法で自死するのは極めて難しいであろう、という前提でわたくしは冷静にこの文章を綴っておりますので、念のため。)

[追記]

男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望

男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望

  • 作者: イヴ・K.セジウィック,Eve Kosofsky Sedgwick,上原早苗,亀沢美由紀
  • 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 単行本
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小谷野敦が書いていた通り、最初のホモソーシャル/ホモセクシャル/ホモフォビア/ミソジニー等の図式を設定するところ以上に、その先の英国文学史を描き直すような作品論が面白かった。

「イーノック・アーデン」で21世紀の大阪梅田、ザ・フェニックスホールに集った男たちを感涙させたテニスンも出てくるヨ。

音楽を「無責任」にとっかえひっかえ楽しみたい欲望を赤裸々に語った翌日に、恩師(当然男性である)との電話での交歓を語りつつ、不快なブログを「21世紀のスキッツォイド・マン」であると断言して(正確には、それを口にするなど忌まわしく、不可能である、というヴィクトリア調紳士のような態度で、「21世紀のスキッツォイド・マン」という文字列を自身のブログに綴ることを自らに禁じるかのような書き方になっています)、

ILLUM CRIMEN HORRIBILE QUOD NON NOMINANDUM EST (名づけ得ぬもの - ゆえにその罪は、恐ろしきものなり)[セジヴィック 訳書146頁]

さらにその翌日に「友愛fraternite」讃歌であるところの第九に言及する、というのですから、

「価値」の交換が男同士の絆を深めていく様を生き生きと描いて、セジウィックが泣いて喜びそうなくらいスタイルが決まっているわけですが……、

(女性ピアニストが介在することで、私(男)とプーランク(生涯独身、周囲にいたのは男のみ)の絆が深まるわけだ!)

でも、そういうことをこのようなタイミングで書いて、なおかつそのときに、これを理解できそうな人が阪大音楽学に少なくとも2人はいるだろう、などと暗黙に予測したりすると、今書きつつあるこの文章の書き手(わたくし)は、何らかの価値の交換によって、誰かとの絆を深めようとでもしているのではないか、と誤解をされてしまいそうなので、

「男-女[に相当する「価値」]-男」の三角形が発動しそうな悪戯は止めておきます。

ソーシャル・ネットワーク [DVD]

ソーシャル・ネットワーク [DVD]

FBは、立ち上げ時は The Fecebook という名称だったのが、ビッグになる過程で「The」のない Facebook.Inc にしたらしい。

ザ・シンフォニーホール(テレビ朝日が運営から手を引くまであと一年!)やザ・フェニックスホールも、「ザ」を取ってしまったほうが21世紀的にはクールなのだろうか……。「ザ」の付いていないフェスティバルホールの時代が来るか(笑)。

映画「ソーシャル・ネットワーク」を遅ればせながら見て、ノンストップに流れる物語に感動しながら、

大澤壽人が学んだボストン大学は「シークレット・ブラ」とか、そういう扱いなのか、ハーヴァードの学生は嫌な奴らだなあ(東大生みたい(笑))との思いを強くするとともに、

リアルだろうがネット上だろうが、ソーシャル・クラブには近づかない、キモい、と思ったのでした。