赤いウィーンから北米へ、ヴィクトル・ツッカーカンドルの数奇な生涯

http://blogs.yahoo.co.jp/katzeblanca/24304224.html

ツッカーカンドルの名前を最近どこかで見たはず……と記憶をたどると、これでした。

His doctorate was granted in 1927 from Vienna University, and conducted freelance throughout the decade of the 1920s.

Viktor Zuckerkandl - Wikipedia, the free encyclopedia

ウィーンのユダヤ人で、1920年代に大学で博士号取得を目指して学びながらフリーランスの指揮活動、ということですが、

これは以前にご紹介した「赤いウィーン」の時代でありまして、

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120816/p1

彼の名前は労働者演奏会などに指揮者として出てきます。シェーンベルクと旧知のD. J. バッハともつながりがあったかもしれませんね。

つまり、使い慣れないサヨク用語を敢えて使うとすれば(笑)、「思想史」という風に上半身だけ切り取ってエネルゲティカーへ分類するのは、下部構造を見ない「プチブル」の皮相な判断かもしれない、というわけでございます。

ツッカーカンドルの「古くさい」ようでいながら捨て去りがたい良質な感触は、「赤い」時代に揉まれた現場力の強さなのではないか、と思われます。

一口で言えば教え上手なんですよ。

そして今回検索してわかったのですが、Viktor Zuckerkandlの項目は、英語版Wikipediaにはありますが、ドイツ語版にはありません。彼もまた、(「天才オペラ作曲家コルンゴルト→ハリウッド活劇映画音楽のコーンゴールド」に象徴されるような)ウィーンをはじめとする中・東欧から北米への20世紀の文化の大移動の一例であるようです。

で、そういう風にして北米へ移植された良質の調性音楽が、昨今「Common Practice」と呼ばれるものであり、それは、20世紀の「創られた伝統」だと思われますから、

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20121008/p1

この人は、「思想史」というヨーロッパ大陸の保守的な人文学の素材というより、大西洋をまたぐ欧米(比較)文化論の対象かもしれませんね。

(ポピュラー音楽の人はヨーロッパの伝統的な語法が商業音楽のベースになったのだ、という言い方をしますが、商業音楽のベースになりやすい形にヨーロッパの藝術音楽の語法が体系化(マニュアル化)されたのは、実は20世紀になってからなのではないか。つまり、「クラシック音楽」と「ポピュラー音楽」はほぼ同時代に成立した双子である、というのが私の最近の考えです。

スターリニズムとニューディールとファシズム、ナチズム、皇国日本天皇制が、右も左もなく1930年代の国民総動員体制として構造がよく似ているように、20世紀の「クラシック音楽」と「ポピュラー音楽」は、喧嘩するほど仲が良い間柄なんですよ、たぶん。)