「音楽の国ドイツ」は往年のドイツ帝国の自画像というより、ドイツのアメリカニズムとアメリカのジャーマニズムが手を取り合って20世紀末に生み出した直近の仮象ではないか?(吉田寛『〈音楽の国ドイツ〉の神話とその起源』)

*いきなり以下の文章を読む前に、まず著者吉田さんのブログの公式見解を読んでから、こちらで「肩慣らし」するのがいいかもしれません。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130227

[2/24 最初と最後に加筆あり。ちなみに、増田聡はこういう話を読むと、「曲学阿世」(出典は史記儒林列伝らしい)という漢文脈な言葉を思い出して、田舎の寺子屋風の人間群像データベースが活性化するらしい。それならそれでいいと思う。近代の学問は、ほぼ、明治の負け組なお武家さんがはじめたことなのだから色々ある……。で、そういうのと親和したりしなかったりする形で積み重なってきた洋才の150年を踏まえて「ベートーヴェンの演奏解釈」とか「ドイツ音楽の勝利への道」みたいなことを本郷で研究するわけだから、不気味な文脈が立ち騒ぐのは、当人が蒔いた種と言うしかないでしょ。私は、長い物語を書くんだったら、そういう風に涌いて出てくる有象無象な文脈をシカトするんじゃなくて、ちゃんとそれなりに回収・成仏させるプロットを組んでくれ、と思うわけです。祖先の霊を鎮めるのは、地味だけれども、洋の東西を問わず歴史語りの大切な務めのひとつなんですよ、たぶん。熟練の「老兵」の仕事だそうだし。

それにわたしゃ「阿世」が悪いとは一言も書いてない。このやりかたでは、もう、世間は丸め込まれそうにないからヴァージョンアップしたほうがいいんじゃないか、という話だ。40歳にして「阿世」に倦み疲れたからもう許してくれ、という意味で「老兵」を宣言する、というなら、多少は話がわかるけれど。生涯現役は簡単なことではないのだから。だったら「去り際」は後腐れのないキレイな形にまとめてください。そうやって早め早めにポストに「空き」ができるのは、若い人達にとって大歓迎だろうから。早めに辞めて晴耕雨読、とか、いいんじゃないすか。]

前著、ワーグナーのドイツ論では明確に定位されていなかった〈音楽の国ドイツ〉という観念の素性が本書の序章でようやく明らかになった。

明晰に書く人なので、著者に見えていない部分が同時にはっきりしてわかりやすい説明だった。

どうしてある種の人々が渡辺裕『聴衆の誕生』をイイと思ったのか、20年来の疑問を解く糸口が見つかった気がします。それが私にとっては何よりも目出度いことです。

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結論から言えば、渡辺裕『聴衆の誕生』は、実は「勝ち組」史観だったのだと思います。あの本は19世紀ドイツ、20世紀初頭アメリカ、1980年代ニッポンの三題噺ですが、それはすなわち、(1) 普仏戦争の勝者が自国の器楽を礼讃するロジック、(2) 第一次世界大戦の勝者が自国の機械文明を謳歌する姿、そして、(3) 当時は経済戦争の勝者と思われていた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のバブリーな消費生活の活写、に他なりません。

聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化 (中公文庫)

聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化 (中公文庫)

『聴衆の誕生』は、文字面では進歩史観を相対化しますが、素材の選択は「戦争の勝者が歴史を作る」という楽天性に貫かれており、その二枚舌な「ダブルバインド」(←渡辺裕が学生時代を過ごした1970年代に左翼が時代の閉塞を形容するのに多用した社会心理学の常套句)に勝ち組へ追随する姿勢が、迷える若者をおびえさせつつ惹きつけたのだと思われます。

「負けたらミジメだ、勝者へ付こう」

というわけです。

私は長らく、この本をバブリーな80年代の自堕落に弛緩した意識が露呈する恥ずべき書物と思っていたのですが、

実は一回り若い人達にとっては、デフレ・低成長な「失われた20年」に沈没しないで生き延びる道を示した予言の書、もっともらしい建て前に惑わされることなく、勝者・多数派に恥も外聞もなく追随する「聴衆」こそが祝福を約束される、新しい人よ目覚めよ、と告げるバイブルだったのかもしれませんね。(本当に冴えない教祖ですけど。)

そして私は、渡辺裕の弟子による「ドイツ音楽の勝利への道」の描写そのものというより、かつての「ドイツの勝利」と現在の著者との関係、この物語を現在の読者へ提示するときの話者の立ち位置が気になるのです。

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「音楽の国ドイツ」を著者は近代に創造された神話だとします。そして「近代に創造された神話」というのはもちろん「つくられた説」ですから、神話誕生の経緯はナショナリズムに求められることになり、研究の焦点はドイツに国民国家が誕生し、帝国主義時代の有力なプレイヤーとして台頭した19世紀後半から20世紀初頭になります。

本書は、ルネサンスに遡り、そこから3冊にわけて20世紀初頭までのドイツにおけるナショナル・アイデンティティの変遷を同時代文献でたどってまとめる予定になっており、長大な時間の膨大な文献を探索する労力は、その結果として、「近代」に「神話」が「創造」される経緯が浮かび上がることが期待されているようです。

普仏戦争に勝利したドイツ帝国が我が世の春を謳歌して、ワグネリズムとリヒャルト・シュトラウスの活躍、ベルリン・フィルの誕生、バッハとベートーヴェンを頂点に据える大作曲家崇拝など「ドイツ音楽」の全盛期を迎えることは、ほぼ音楽史の常識と言ってよく、そこへ至る音楽論の変遷を、当世風の語り口で「おさらい」することになるのだろうということは、これでほぼ明らかになりました。

あんまり目新しいことが出てくるとは思えないけれど、日本語でそこまで綿密・精緻に記述されたことのないテーマなので、このジャンルの本が出るのは無意味ではないと思われます。

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ところが本書の序論を読むと、結局のところ「音楽の国ドイツ」という言葉がスローガンとして打ち出されたのは2003年のドイツ観光局のキャンペーンであるらしい。

そしてこの2003年のドイツ観光局の話が出てくるまでの前振りとして、「音楽の国ドイツ」という観念を声高に指摘する論者として言及される人物の多くは、20世紀の「英語圏(主に米国)の」知識人です。

これはどうも雲行きが怪しい。

帝国主義時代にドイツが音楽文化のひとつの山場を迎えたのは確かだとして、本当に、そこで話が終わっているのか。そこから現在までの百年間でさらに別のことが起きており、その結果として出てきたのが「音楽の国ドイツ」という観念なのではなかろうか。

つまり、

「世界に冠たるドイツ音楽」(とかつてドイツ帝国が自負したもの)

と、

「音楽の国ドイツ」(と20世紀の米国知識人が肯定的もしくは否定的に名指したり、2000年代のドイツ観光局が外国人向けに喧伝するもの)

は、等号で結ぶことができないんじゃないか、と思うのです。

そして本書の著者が、ナショナリズムの高まりや「正典化」といった論点を列挙するとき、それは師匠渡辺裕にとっても似てくるわけですが、著者は、安易に等号で結ぶことができないはずの両者を意図的もしくは無意識的に混淆させてしまっているのではないだろうか?

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ひとつは、20世紀ドイツにおけるアメリカニズムの問題。

第一次大戦後のドイツは、(ワイマール時代のジャズ熱や第二次世界大戦後西ドイツの民主化のみならず、アーリア人の優位を主張した第三帝国においてすら、むしろそれまで以上に映画や機械文明を崇拝していたように)ほぼ20世紀を通してヨーロッパ大陸におけるアメリカニズムの優等生であり続けています。

シヴェルブシュ(←最近はこればっかりで申し訳ないですが)は、ドイツにおけるアメリカニズムを、フランスに戦争で負けたドイツが、仮想敵を大陸の隣国から大西洋の対岸のさらなる大国へ切り替えることで、「精神における優位」を回復しようとしたと解釈しています。これは、なかなか上手い説明ではないかと私には思えます。より大きな敵を相手にすることで、自らを「ランクアップ」させようとしているというわけです。

この解釈の当否はともかく、アメリカニズムは、20世紀に入って、「想定する他者」が変化したことを意味しますから、自らの文化をアイデンティファイする際の理路や話法は、それにつれて変化した可能性が高いのではないか。ドイツ帝国が「世界に冠たるドイツ音楽」を誇っていたときの「世界」がヨーロッパ内の隣国・周辺国だったのに対して、「音楽の国ドイツ」が登録される「世界」は、米国やソ連が君臨する国連やユネスコ、あるいは、グローバル経済市場なのではないかと思うのです。

私の考えでは、両者は属するコンテクストが違っていると思います。

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そしてもうひとつ、私が疑問なのは、19世紀から20世紀にかけての北米における「ドイツの音楽と音楽家」の活躍を、単なるドイツのアイデンティティの問題(すなわち、ドイツが一方的に「お国自慢」を外国へ押しつけている現象)と見ることはできないのではないか、ということです。

オーケストラ大国アメリカ (集英社新書)

オーケストラ大国アメリカ (集英社新書)

米国オーケストラの歴史をざっと見た限りでは、「自由と独立の国」の国民たちは、少なくとも表面上・手続き上では、自ら進んで「ドイツの音楽と音楽家」を自分たちの国や街へ招き、歓待し続けていたようです。そうしてそこに第二次世界大戦のユダヤ人やリベラルな知識人の大量移民・亡命が続きます。彼らもまた、(おそらく戦争中のプロパガンダで増幅・誇張されたところはあるでしょうが)「大陸での圧政を逃れてやってきた友人」として、多くの場合、ほとんど英雄扱いで歓迎されています。

(そのあまりに楽天的なヤンキーの歓迎ぶりに、ヨーロッパのインテリたちは、むしろ当惑したようではありますが。^^;;)

私は、20世紀末の米国知識人たちがさかんに指摘する「ドイツ音楽の正典化」という話法は、自分たちが(相当無邪気に)ドイツ音楽を歓迎し、むさぼってきた経緯を体よく隠蔽するところがあるような気がします。

自分たちに余裕がある間は、笑顔でウェルカムしておいて、都合が悪くなると、「押しつけられて迷惑している」としかめ面をしてみせる。それは米国人のワガママ・身勝手・恩知らずなのではないか。

(好景気の人手不足で大量に受け入れた移民を、不景気になると、一転して排斥しようとするのは、いつどこの国でも起きることではありますが。)

そしてこうした一連の経緯は、「アメリカにおけるジャーマニズム」とでも言うしかない米国音楽文化の問題ではないかと思うのです。

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まとめます。

私は、ドイツ音楽の「正典化」なるものは、ドイツのアイデンティティ問題であると同時に、ドイツ音楽をどのように咀嚼したか、というアメリカの問題でもあると考えます。そして今日の「音楽の国ドイツ」という仮象は、そのように「間文化的」にアプローチしたほうが生産的ではないかと思う。

そして、近代ドイツの音楽的アイデンティティ論を通覧しようとするのであれば、実はそのような20世紀の出来事が、複雑でもあり、切実なのではないかと思います。

これは、ドイツ帝国におけるナショナリズムと音楽を取り扱う本の序論で、あたかも自明の前提であるかのように略述できる案件ではないと思う。

そしてこの複雑な案件を「あたかも自明の前提」であるかのように書いてしまうと、読者には、著者(吉田寛氏)が、「アメリカにおけるジャーマニズム」の圏内からドイツを眺めているように見えてしまいます。つまり、いかにも「米国の子分である日本」の発想に見えちゃうわけです。

歴史学 (ヒューマニティーズ)

歴史学 (ヒューマニティーズ)

佐藤卓己であれば、ドイツ帝国の音楽的アイデンティティという対象を観察する顕微鏡の「対物レンズ」に気を取られて、観察者の瞳に密着している「接眼レンズ」が他と取り替え可能であることに意識が及んでいない、と言うかもしれない。

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ここからは、やや一方的な決めつけになってしまいますが、

要するに、実際のところがそうなんじゃないか。渡辺裕とその一派というのは、「米国の子分である日本の私」という風に自らを位置づけて、そのようなアイデンティティを引き受けることで世間と折り合いを付ける戦略で生きている人達なのではないか。そのほうが楽だし、手っ取り早いから、もう、これでいけるところまでいっちゃおう、という割り切りから出発しており、だから、彼らの書く書物は、まるで紋切り型の呪文を唱えるかのように特有の、共通のトーンで書き始められてしまうのではないだろうか(増田聡しかり、輪島裕介しかり……)。

私は、彼らの書物に共通する書き出しのトーンが、そろそろ、世間の空気にそぐわなくなりつつあると感じているわけですが、どんなもんでしょうか?

もう40歳だから、後戻りできないと思っているかもしれないし、音楽に関してはこの路線しか思いつかないから、音楽のことはこれで打ち止めにして、このシリーズが完成したら、あとはもう、他のことをやろうと思っているのかもしれないけれど……。

でも、少なくとも私は、一生音楽とつきあっていくしかないと覚悟を決めている人間のひとりとして、こんな風に3.11以前な香りのする「最後っぺ」が付いてくるのは、ちょっと不愉快というか残念だった。それは、縄張り争いとかそういうことではなく、エコロジカルじゃない過剰さが残っている、という感覚。

微妙な話で、通じないかもしれないけれど、「ニューミュージコロジー」に操られたかのようにならない書き方というか、「音楽の国ドイツ」云々のない淡々とした、近代ドイツ音楽のアイデンティティ論でよかったのではないか。

そしてこれが博士論文を分厚い書物にまとめて刊行する一種の示威行為(渡辺裕のベートーヴェンのピアノソナタの楽譜をめぐる分厚い感想文みたいに)に尽きるのではなく、これからも音楽について考え続けて、ゲーム研究ともどこかでつながればいいなあ、と思っているのであれば、第4巻として20世紀ドイツの音楽的アイデンティティに関する研究を書き足した方がいいんじゃないだろうか。(それこそ「20世紀:〈ドイツ音楽〉の死と再生」という副題になりそうで、これなら著者の宗旨もはっきりする。)

私は、敗北から目を逸らすのではなく、勝つこともあれば負けることもある「普通の国」の感性の導師として吉田寛が大成することを祈念する。後付けの「神話化」かもしれないけれど、阪大の修論中間発表会にゲストとして渡辺裕に連れられやってきた東大修士学生として眩しいほど優秀だったキミを最初に見たときから、わたくしはそう願っていたのだと、敢えて恩着せがましく言ってみたい。

参考:ドイツに対抗してオーストリア政府観光局も「音楽の国」をアピールしたそうですが、そんなウィーンで20世紀に何が起きたか?