「入口」ばかりが重視されすぎている、というのは日本の高等教育批判の紋切り型にすぎませんし、
自由と規制の二分法によるセカイ把握は、いくらなんでも貧弱すぎるだろうと言うはやすし、行うはキヨシ(←オヤジの最悪のダジャレだ)かもしれませんし、
「あそこは大変そうな職場だよねえ、○○くん、よくやってるよねえ」というのは教員仲間の日常会話なわけだが、
40歳にして教員が自らを「老兵」と呼んでしまう、という事実に心が震える。知のアスリート、オリンピアーデだ。
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「日本の失われた20年」と呼ばれたりもする時期に、私がパートタイムで教壇に立たせてもらってきた2つの私立学校は、それぞれ性格は随分違うけれども、どちらも「卒業生」の顔がよく見える。(職員や教員の多くが卒業生だったりするし、あの人の嫁はワタシの同級生、みたいな話も色々聞く。)
毎週1日ずつをそういう環境で過ごすことがなければ、今日の私(←大げさ)はなかったと思う。
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吉田寛先生、甥っ子が立命志望なんで、どうぞよろしくお願いします!
(ただし、学部とか中がどうなってるのか、よくわからないまま適当に書いてますので、捨て置いていただければ結構かと存じます。彼は白石姓じゃないから、個人を特定することはできないはず。そう信じて書いとりますんで、探したりしないように、白石一族の平和のためにも(笑)。)
そしてみなさん、神戸女学院と大阪音楽大学もヨロシク!
(学費はお高めで、ワタクシがいつまで呼んでもらえるのか、毎年更新の不安定な身分なのでよくわかりませんし、そんな立場で学校の宣伝をするのは無責任でいかんのかもしれませんが、大学当局もこれくらいは大目にみてくれると私は信じる(笑)。)
(……以上、はたしてヒトは「誘惑」と「恋愛」のオルタナティヴに目覚めることを望んでいるのか、それだけのためにこんな話題へ踏み込んで大丈夫なのか、よくわからぬままに書いてみた年度替わりで人材募集なニッポンの春。競争は苛烈であるらしい。)