中締め感

昨年3/31の大植英次スペシャル・コンサートのDVDが明日発売なのだとか。

放送後、「なぜ第2楽章をカットしたのか」という声がネット上で上がり、何か画竜点睛を欠く雰囲気になっておりましたので、何にせよ、目出度いことだと思います。

そしてワタクシ的にも大植英次ラスト・イヤーのベストだったのではないか、と思っている「ばらの騎士」組曲の音源が、現在発売のレコード芸術の付録になっているようです。あわせて、どうぞ。

レコード芸術 2013年 04月号 [雑誌]

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で、せっかく竜の絵に「点睛」が加わったところにお茶を濁すようなことになりますが、以下まったくの蛇足です。

「ばらの騎士」と聴いて私たちが心穏やかでいられないのは、オールド・ファンにはカラヤン、シュヴァルツコプフの映画、わたくしと同世代くらいの中年ファンにはカルロス・クライバーということだと思います。

クライバーの映像はバイエルンとウィーンの二種類あって、晩年のウィーンの映像の第3幕オックスの退場のところで、カメラが憑かれたように指揮をするオケ・ピットのクライバーを映し出すところは、思い出すだけでも胸が熱くなるわけですが、

R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」 [DVD]

R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」 [DVD]

  • アーティスト: ウィーン国立歌劇場合唱団
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2002/06/26
  • メディア: DVD
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まったくの個人的な感慨(怨念?)としては、「ばらの騎士」といえば岡田暁生であって、これはもう、仕方がないわけです(笑)。

のちに彼は博士論文を単行本にまとめていますけれど、

バラの騎士の夢

バラの騎士の夢

修士論文にもとづく1985年の論文というのがありまして(岡田暁生「R.シュトラウス“ばらの騎士”をめぐって―1幕の楽曲統一原理」、『待兼山論叢』第19号美学篇、1985)、25歳でこれを書いたのか、と、前のエントリーの続きみたいな話になりますが、大学院に入った頃は、もう目眩がしそうな感じだったのでございます。

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論文というのはちょっと違いますし、演奏の批評は自分で試行錯誤するしかない分野だと思っていますが、コンサートの曲目解説を書くときには、どうやったら、ああいう風に目も眩むような読後感を与える日本語で音楽について書くことができるのか、と、かなり長い間、岡田暁生の文章を絶えず意識しながら作文をしていたような気がします。

(模倣は、できるほど器用じゃないですし、やってしまったらオシマイだ、という意地があるので、自覚的にはやっていないつもりですが。)

片山杜秀さんとか、同じ世代で岡田スタイルとは全然違う書き方をしている人がいるとわかって「呪い」(笑)が解けたのは随分あとのことだったような気がします。

(岡田暁生がやたら本を出すようになって、やや手の内が読めるようになってきた、ということもありますし……。)

大阪フィルさんから2年間定期演奏会の曲目解説を全部書く、というお仕事をいただいたのは、それやこれやで、頑張ったらなんとかやれるかもしれない、と思える個人的に有難いタイミングだったですし、2年目の演目に「ばらの騎士」が入っていたのを見て、ああ、遂に来たなあ、という風に思い、個人的にも特別な感慨のあるお仕事でした。

そんなこんなで、ここ一、二年は、父親も死んじゃいましたし、なんだか人生の「中締め」みたいな巡り合わせになってしまったようですね。

世界の趨勢やニッポンの音楽批評の命運?!とは何の関係もない地方売文業者のちっぽけなちっぽけな感慨です。

(とはいえドラマ「ラスト・ホープ」の盛り上がったところに癌と間質性肺炎とか、うちの父親とカブりまくりなのはどうにかしてほしい(笑))

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ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77(独語歌詞) [DVD]

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77(独語歌詞) [DVD]

ハンブルクのオーケストラが素晴らしくて、このメッツマッハーが今では東京へ指揮をしに来るのですから妙な感じです。

月曜からびわ湖ホールで続いておりますコンヴィチュニー・オペラ・アカデミーは、初日の「魔弾の射手」のレクチャーに続いて(←こんな時にウェーバーを詳細に論じられてしまっては、ますます学生時代を思い出してしまうではないか(笑))、本日は午前中が「ドン・カルロス」の賛否両論まっぷたつだったと伝え聞くエボリの夢の寸劇が終わったところまで。(午後はびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーを使った「魔笛」のワークショップ。)

こちらも「中締め」という感じで、明日はいよいよ、「ドン・カルロス」後半の話題のスペクタクルのところからです。

(以下、大フィル定期のときの解説を貼っておきます。)

R.シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲

「ベートーヴェンの「フィデリオ」はあまりにも道徳的だし、ワーグナーの楽劇は、いくら何でも長過ぎる!」……こんな風にドイツのオペラを敬遠する向きにも、リヒァルト・シュトラウス(1864-1949)の「バラの騎士」は必ず気に入ってもらえると思う。オペラを熟知する作曲家が、第一次世界大戦直前の1911年に、古き良き世界への愛を注ぎ込んだ作品である。

R. シュトラウスは、オスカー・ワイルドのスキャンダラスな戯曲に作曲した「サロメ」(1905年)で空前の大当たりを取る。そして次の「エレクトラ」(1909年)で初めて一緒に仕事をしたフーゴ・ホフマンスタールが、「ばらの騎士」のオリジナル台本を書いた。時代設定は、モーツァルトのオペラ・ブッファを意識した18世紀のウィーン。貴婦人と若いツバメの情事、好色な田舎貴族の怪演、ブルジョワ娘の恋に恋する純情ぶりを組み合わせて、誰もがどこかに共感のポイントを見つけられる盤石のストーリー。しかも、18世紀のお話なのに、背後にはウィンナー・ワルツが響いて、私たちをどこにもない夢の世界へ引きさらう。

「組曲」として今日演奏されているのは、指揮者のロジンスキーが1945年に作成した版である。聴きどころが手際よくまとめられ、「組曲」となってはいるが、楽章の切れ目はない。

冒頭は第1幕への前奏曲。若い伯爵オクタヴィアンが激しく求愛して(ホルンの雄叫び)、中年にさしかかった元帥夫人マリー・テレーズは、これを優しいしぐさで受け入れる。

オクタヴィアンの主題が華やいだ調子で戻ってくるところから、第2幕へ移る。田舎貴族オックス男爵と、裕福な商人の箱入り娘ゾフィーの縁談がまとまり、正装したオクタヴィアン伯爵は、花婿の使者として、「銀のばら」を届ける。花嫁に銀のバラを贈る、というのは架空の風習だが、音楽はまさしく銀色に輝き、芳醇なバラの香りに満たされる。そしてオクタヴィアンは、初対面の花嫁ゾフィーに惹かれていく。

不穏な音楽とともに、オックスの登場。花婿というには年をとりすぎた不作法な男である。持参金目当てで、若い花嫁に色目を使うが、なぜか背後には、極上のワルツが鳴っている。ワルツの後半には、第1幕や第3幕のメロディーも挿入される。このオペラで男と女が恋をするとき、必ずそこにワルツがある。

一転して情感あふれる音楽は、第3幕の三重唱。オクタヴィアンとゾフィーはお互いの恋心を確信しており、元帥夫人は、身を引こうと思い定める。愛の終わりと始まり、若さと老い、万感が胸に迫る名場面。

オペラでは、この三重唱に先立つ場面だが、オックスは、別の女性との密会現場を押さえられ、公衆の面前で大恥をかく。しかし、厚顔無恥を含めて、彼こそが、古き良き世界の強烈な「臭い」の象徴、「音楽喜劇」の影のヒーローなのかもしれない。R. シュトラウスは、「オックス様の退場」を騒々しくも痛快な音楽で讃える。