小澤征爾の普通にしてる感

びわ湖ホールのコンヴィチュニー・アカデミーでパパゲーノが盛り上がったあと、京都の小澤征爾塾へ行ったら、早速共同通信が写真入りで記事にしていますが、アンコールにご登場でエグモント序曲。

小澤さんが観客の前で指揮をするのは、昨年1月の水戸室内管弦楽団の公演以来、約1年2カ月ぶり。

http://www.47news.jp/CN/201303/CN2013032701002083.html

会場はもちろんものすごく沸きましたし、演奏は気合いが入っていて(垣内悠希が振った本編もベートーヴェンの7番は透明感がある好演だったですが、オワワ登場で完全に音が変わってしまいましたね)、わたくしも父親が死んでから明らかに涙腺が弱くなっておりますので、きっかけさえあれば「感動をもらう」モードになりかかっていたのですが、

やっぱりこの人は、いわゆる「老大家」枠とは違う気がします。

ドイツ音楽はこうなんだ、というのを「カラヤン先生」から学んだ人ですから、序奏はぐっと腰を落とした音を出そうということではじまるわけですが、

内声が意外に厚めに詰まった感じなのは少し前からずっとこんな感じだったような気がしますし、

加速していってパーンとトランペットが入ってくるようなところは、絶対にためらったり、勿体ぶったりしないので、楽員さんが反射神経で入ってきて、音の縦の線が時間をスッパリ断ち切ったように合う。狙った目標にタッチダウン。

この感じとか、コーダが、煽るのでもなく老化した風に停滞するのでもなく、スタスタとイン・テンポで進んでいく感じはカラダが自由に動いた頃と一緒だ、と思いました。

基本的に、この人のなかにある音楽は若い頃からずっと、いつも、こういう姿をしているんだろうと思います。

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で、演奏が終わって、最後にみんなで舞台に一列に並んでお客様にご挨拶するのは、小澤塾のやり方なんでしょうけれど、京都で森悠子さんがやっている長岡京室内アンサンブルと同じスタイルですね。桐朋の子供のための音楽教室な感じがしました。

こういう立場になると、もう、一挙手一投足で周囲のたくさんの人がガーッとものすごく動いていんだろうと思いますが、きっとこの人はずっとこうなんでしょうね。

ニューヨークでこういうことがあった、とか、水戸でこうだったとか、話だけ伝え聞いていると一大事が起きているみたいで、たしかに、時代を象徴してしまいながら生きている数少ないお一人なのは確かですが、なんかご本人は普通ですね。

そういうことで全うしていただければ、と思いました。