昭和30年代後半生まれの男の子のウルトラ体験、私小説でいくか、それとも「芸術音楽本」のフォーマットでいくか

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ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた

ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた

青山通さんは1960年東京世田谷生まれで、「ウルトラセブン」初回放送時(1967年10月〜1968年9月、TBS土曜19:00〜19:30)に7〜8歳で小学校1〜2年生。

ウルトラマンがいた時代 (ベスト新書)

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小谷野敦さんは1962年12月21日茨城生まれで当時4〜5歳、「帰ってきたウルトラマン」放送時(1971年4月〜1972年3月)は8〜9歳で小学校2年生。

「怪獣」の語り方の土台を作ったとされる1962年7月5日東京生まれの町山智浩さんは同学年。ゴジラの片山杜秀さんは1963年生まれなので(たぶん)1学年下。ほどなくNHK人形劇や大河ドラマにのめり込んでいくところが似ている三谷幸喜は、1961年7月8日東京世田谷生まれなので1学年上。「新八犬伝」は1973年4月〜1975年3月、NHK平日18:30〜18:45なので、小谷野=小4〜小6、三谷=小5〜中1。

わたくしのことなどどうでもいいですが、1965年12月11日生まれなので、たぶん板尾さん(http://www.classicajapan.com/wn/2013/05/020000.html)と同学年。「帰りマン」のときは5〜6歳、むしろ小1になるまで続いた「仮面ライダー」(1971年4月〜1973年2月、MBS土曜19:30〜20:00)のほうが印象が強くて、高畑勲の「アルプスの少女ハイジ」(1974年1月〜12月、CX日曜19:30〜20:00)が小2〜小3、「新八犬伝」は小2〜小4。

高畑勲の世界

高畑勲の世界

1970年前後の特撮ヒーローものをはじめとする子供番組は、小学校低学年で観たものが「身になる(なってしまう)」傾向にあるのかもしれませんね。わたくしは、改造されてしまった悲しみを背負った男の周囲で、おやじさんとか、使いっ走りのアンチャンとか、キャピキャピした女の子が小さな自営のお店を舞台に繰り広げる小芝居とか、フランクフルトで色々あった末に「クララが立った」シチュエーションのほうにぐっと来てしまいます。

(ウルトラ・シリーズは、再放送を含めてそれほど執着して観たことがないので、怪獣や各回の内容については、未だに詳しくは知らない。「ハイジ」は再放送されるたびに観てしまったのでかなり覚えている。「八犬伝」は当時熱心に観ていた、という記憶があるけれどその後再放送などはなく、今となっては断片的な場面や人形の残像を覚えているのみ。「大河ドラマ」は小学校高学年から中学校の頃は土曜昼間の再放送まで観て、原作本も読んだりしたので、それなりに記憶がある。

小谷野敦が言うように、「本放送を観た」と言っても、子供の理解力や記憶はその程度に脆弱で、関連本(学習雑誌とか怪獣百科とか)とのメディアミックスや再放送などによる記憶の上書きがないと、大人になってなにがしかを語る、という風にはならないかもしれませんね。そのことをはっきり指摘したのは、小谷野本の特筆すべきところだと思います。

「記憶/思い出」は、現在の私(たち)の検閲を経た形でしか過去を呼び出すことができない。)

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……ということで、記憶だけに頼るのではなく当時の番組表をざっと調べてみますと、

ザ・テレビ欄0 1954~1974

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夜19時〜20時の民放に特撮・アニメを取り混ぜた子供向け30分番組が連日投入されていたのは1970年前後から1975年頃までの5年間だけみたいですね。1960年代は特撮・アニメがそこまで多くないし、1975年頃から、それまで20時開始だったプロ野球中継が19:30スタートに繰り上がったり、水曜スペシャルや土曜日の欽ドンのような19:30〜21:00のオトナも(が)観る90分番組が登場して、19時代が子供の聖域ではなくなっていくようです。オトーサンがチャンネル争奪戦に参入してきた感じでしょうか。(70年代の長い景気低迷で残業が減って、帰宅時間が早くなった?)

わたくしは、特定の番組を欠かさず観る、というのも確かにあったけれど、19時代(と各局が色々再放送する17時代)は、とりあえずテレビを灯ければ何かやってるし、CM中にチャンネルを回すと意外にそっちのほうが面白くなったりして、いつしか特撮・アニメから遠ざかっていく、という感じだったように思うのですが、

(だから、「ハイジ」の裏だった「宇宙戦艦ヤマト」(1974年10月〜1975年3月、日曜NTV19:30〜20:00)の本放送を観ていた人は意外に少なく再放送でブームに火がついたことはよく言われますが(1975年夏に関西で再放送されたとウィキペディアにありますね、小5か小6の教室で同級生が話題にしていた記憶があるのでこれは再々放送かな)、新シリーズで「ムーミン」がつまらなくなり、「タロウ」でウルトラ・シリーズが凋落したのか、裏番組の「バロムワン」や「ジャングルくろべえ」のほうが面白かったのか、どちらがどうなのか今となってはよくわからないし、「ミラーマン」(日曜19:00〜19:30)や「仮面ライダーX」(土曜19:30〜20:00)をあまりよく覚えていないのは、「アップダウンクイズ」や「連想ゲーム」のほうが家族の週末向きだったからかもしれない……、そして「6チャンネル」(関西地方、ABC)時代の「全員集合」の記憶がないので、この番組を観るようになったのは、田中角栄によるネット系列のねじれ解消で、それまで「キカイダー01」や「キューティーハニー」をやっていた「土曜8時の4チャンネル」(同、MBS)に番組の方が勝手に移動してきたせいかもしれない……)

少し上のお兄さんがたにとっては、「何曜日の何時のこの番組」という形で、「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン」が特別だった度合いが強かったのかもしれませんね。どっちへ行ってもそれなりに楽しめるヴァラエティに富んだ複数のチャンネルの海を泳ぐというより、あまり関心をもつことのできない(自分に向いている、自分のほうを向いている、とは思えない)雑多な背景のなかから、「これだ!」という「作品」が突出して浮かび上がっている感じがします。

それにしても、セブンとリパッティ&カラヤンで一冊の本が書けてしまう原体験の強度は凄いと思います。

テレビとは、複数のチャンネルが平行して流れていて、とりあえず今はここにいるけれど次の瞬間はどうなっているかわからないガチャガチャした状態が普通である、と思ってしまう自堕落な視聴者には、そういう凛とした生き方はできそうにない……。

(毎週ひとつずつのエピソードを半年、1年、それ以上と積み重ねていくことで大きな絵が見えてくる連続ドラマの面白さを「新八犬伝」や「大河」で覚えた気がしますが、この感じは紙媒体の連載(新聞小説や月間・週刊コミック雑誌)にもありそうなので、必ずしもテレビ特有ではないでしょうか。)

[追記]

小谷野さんのブログの青山本への感想と、

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130505

青山さんの本の版元ブログに並ぶ絶賛の嵐。

http://www.artespublishing.com/blog/2013/05/04-1233

好対照ぶりが興味深いです。

青山本は、著者も編集者も元音楽之友社社員で、レイアウトや挿入のタイミンングなど美しすぎる譜例の使い方に音楽(主にクラシック)の出版社のプライドみたいなものが感じられる本ですし、それもまた、出版社の校正があまり上手く機能しなかったらしく初動でネット上の「間違い探し」のターゲットになってしまった小谷野本と明暗が分かれた感じですね。

ただ、どうなんでしょう。

既にクラシックファンにも馴染みの実相寺の名前とともに特別扱いされるに十分な条件の整っているセブン礼讃のだめ押しですし、キレイに決まりすぎて too much な感じがしないではない。

(サリエリやガッツァニーガやゴセックやプレイエルをぶっちぎってモーツァルトだけが「天才」なのか?!というのに似た日本のクラシックファンの「毛並みのいい貴種大好き」体質と共振している気配がありそう。ウルトラ一族のひとりが音楽のロイヤル・ファミリーに輿入れした、みたいな。)

ハイ・クオリティのブランディングをするときは、オーバー・クオリティ気味にきっちり勝ちきっておかないといけない。紙一重の差で(大阪フィルが何の因果か某ブラバン・ファンの目の敵にされてしまう、みたいに)嫉妬とやっかみの対象になってしまうご時世なので、質の良い本を作ってきっちり売るのは、大変で難しいことなのだとは思いますが……。テレビは触り方が難しい。

あと、本文中にちょっとだけM番号の話が出てきて、既存の市販サウンドトラック集と実際のシーンの照合が完全にはできない箇所が残っているらしき記述もありますが、このあたり、冬木氏のスコアとか、台本等の資料がどれくらい残っていて、円谷プロがそういう資料の使用をOKしてくれるのかどうか、といったことが気になりました。そのあたりの、テレビ音楽を調査・探索しようとすれば必ず行き当たるはずのプロセス・折衝を窺わせる記述がないのも、この本のキレイすぎる印象を与える一因のような気がしました。

テレビの電波が日本上空を飛び交うようになってから半世紀以上になりますが、「劇伴」の現場に切り込む実証的な記述が日本語でなされたことは未だにほとんどないんですよね。映画研究は随分精密になって、サウンドトラックについても論じられ始めていますが、テレビ番組については、まだこれから。シューマンのコンチェルトにフォーカスする形に着地したのは、そろそろ「歴史」になりつつある昭和のテレビの「音/音楽」に関する研究・評論がまだ過渡期・黎明期だからなのかなあ、と思います。

青山本の著者・編集者のチームが、突出した細部を美しく輝かせる、という従来の芸術語りのフォーマットを得意とする方々なのはよくわかるわけですが。

ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史

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改めて「セブン」でシューマンのピアノ・コンチェルトのエレガンスに目覚めて、演奏比較だけでは飽き足らないと思われる向きにはこちらをお薦めしたいです。ベートーヴェンとショパンの「間」の忘れられたピアノ・コンチェルトに愛を注ぐ小岩さんは、修士論文にもとづく論文が1994年の「音楽学」に出ているので1960年代半ばか後半のお生まれだと思うのですが、「ウルトラ」や「特撮」はどうなんでしょう?
精神医学から臨床哲学へ (シリーズ「自伝」my life my world)

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ちなみに、木村敏の自伝の巻末年譜によると、ご子息で青山本を編集したアルテス・パブリッシングの木村元さんは1964年12月28日生まれなので、著者より4学年下、わたくしの1学年上になるようです。セブンの本放送は2〜3歳なので再放送をご覧になったのでしょうか。