楽団史上2人目の「首席指揮者」

法人(株式会社とか学校法人とか公益社団法人とか)は役所に登録する関係上、どういう役職をどういう名前で揃えるか、必要な構成メンバーがある程度標準化されているようですが、音楽団体と音楽家が契約するときは、そういう法律上の制約と音楽興行の実態を摺り合わせるのがややこしいということなのか、たとえば、公益社団法人大阪フィルハーモニー協会というのがあって、そこがやっている事業として「大阪フィルハーモニー交響楽団」を名乗るグループがあり、この名前を名乗るグループには「冠桂指揮者」とか「首席客演コンサートマスター」とか「特別客演コンサートマスター」とか名乗る人がいる、という二重底になっているようです。(アイドルのユニット名に近い位置づけ?)

で、この音楽団体のなかでの肩書き(名乗り)は、いってみれば、自由競争市場の需要と供給の具合で価格が決まるみたいに、その団体側のおおよそこういう基準で人選してきた(していきたい)、という意向と、音楽家側がそこまでに築いてきたキャリアと今後の展望から考えてこうして欲しい、という要望をかけあわせて決まるみたい。(人事権とか年間最低何回指揮するとかの職務内容との関連は外からは不明。)

自由経済市場のもとでは「何をいくらで買おうがオレの自由」なのと同じく、当事者間の自由で私的な契約なので、基本的に周囲がとやかく言うのが最も無意味な話で、たとえば、N響は長らく名誉指揮者と正指揮者しかいなくて、常任指揮者を置いてませんでしたよね。べつにそれでも支障はないわけです。

あるいは、プロ野球がもっともらしくやってるみたいに「前任者に最大級の敬意を表する永久欠番」というのも面白いかもしれない。

で、事実だけ確認しておきますと、

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日本センチュリー交響楽団の現在の品揃えは、

  • 名誉指揮者 ウリエル・セガル
  • 音楽監督 小泉和裕
  • 首席客演指揮者 沼尻竜典

公式サイトの沿革によると、

大阪センチュリー響立ち上げ時(1989)のウリエル・セガルの肩書きは「常任指揮者」で、ほかに「指揮者」として岡田司、小田野宏之、梅田俊明と契約していたらしい(この3人の処遇がその後いつどうなったかは不明)。

小泉和裕は、1992〜1995年に「首席客演指揮者」になっていて、これと1年だけダブる形で1994〜1997年は佐渡裕も「首席客演指揮者」。

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1997年に人事一新して、セガルが「名誉指揮者」、高関健が「常任指揮者」。

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その次の人事異動は2003年で、小泉和裕が「首席指揮者」、金聖響が「専任指揮者」ということで、以来、「常任指揮者」という肩書きは今日まで使用せず。

2006年には、

  • ソロコンサートマスター 川崎洋介
  • 首席客演コンサートマスター 高木和弘
  • 客員コンサートマスター 太田雅音

コンマスとして有名奏者3人と一挙契約(しかもちょっとずつ肩書きが違う)の大盤振る舞いには、なんじゃそりゃ、と思ったものですが、指揮者のほうは、2008年の人事異動で現在の体制になったようですね。

(そしてその後、コンマスの肩書きはどこも「客演」とか「首席」とかがついてややこしくなってしまった……。)

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まとめますと、改名に至る大阪府との騒動が起きるまでは、役所の人事異動っぽく3年周期で人事を見直す(場合によっては継続も可)、ということでやっていたようです。

外からは、「セガル時代→高関時代→小泉時代」とざっくり理解しておりましたが、使用された肩書きは「音楽監督/名誉指揮者/常任指揮者/首席指揮者/専任指揮者/指揮者/首席客演指揮者」と実に多彩です。わずか四半世紀のあいだに、国内のオーケストラが使っているほとんどの指揮者の肩書きを使い尽くしたかのようにも見えます。

こうした「称号のバラマキ」は、もしかすると「補助金のバラマキ」以上に「称号市場」の健全性を損なうのかもしれず(笑)、「大阪府時代」のセンチュリーのキャラの一端を担っていたような気がしないでもないわけですが、プレスリリースによると、

http://www.century-orchestra.jp/topics/

平成26年4月1日より新たに飯森範親氏は、

「首席指揮者」

ということで、2003〜2007年の小泉和裕の肩書きの再利用に落ち着いたようです。

飯森さん、ご本人は葉山に立派な別荘をもち、twitterを華麗に使いこなすシティボーイでキャラが立ちすぎるので、称号くらいはリサイクルで慎ましくはじめるのが、21th century の民間オーケストラのお仕事としてはいいですよね。

(で、公立ではなくなったけれど、プレスリリースは和暦なんですね。西暦で言うと、就任は2014年、ということのようです。)