東京クヮルテットの日本デビューは……

先日のさよなら公演のプログラムの記載やアンコール時のスピーチで言われたように「日本デビューはフェスティバルホール」なのだとしたら、それは1972年の第15回大阪国際フェスティバルのことだと思う(公式記録によると1972年4月15日)。

カルテットの結成わずか3年目での出演。マリナー指揮アカデミー管やアレクシス・ワイセンベルク、團伊玖磨の「ひかりごけ」(初演)と並んで招待されたことになります。デビュー当時の注目度と、海外で話題になった演奏家を積極的に招聘していた音楽祭の姿勢が窺えます。前年と翌年にはまだ20代前半のチョン・キョンファ(東京クヮルテットと同時期にジュリアードで学んでいたはず)が招かれ、その次の年(1974年)にはストラスブール・パーカッション・アンサンブル公演というのもある。

音楽祭の雰囲気も、きっとまだ「若々しかった」んでしょうね。