一介の臨床から理論教室の著名研究者への一言

問い:グローバリズムへの不満が口癖の人物が、学問上の急進的なジェネラリスト(領域横断的で汎用的な理論以外を認めない)であったとする。どのように解釈すればよいか。(複数回答可)

  • (a) その人物はデータから仮説を組み立て、その仮説をデータで検証する習慣が身に付いていないので、自己の思惟と存在の乖離に気がついていない。
  • (b) 言葉とは裏腹にグローバリズムを歓迎している。
  • (c) 被害者とは最大の加害者である、という悲劇的世界観の信奉者である。
  • (d) その他

前略 増田聡 様

直接的な反応ではないかもしれない曖昧さを残したつぶやきであることは承知したうえで、敢えて書かせていただくとすれば、このタイミングで怒りを爆発させるのは、いわゆる「早漏」というものではないかと、私は愚考します。

私は、京都賞音楽部門で何が起きているのか、先方が出している文書や、その関係者の訴えをもとに「診断」を試みたに過ぎません。

たとえば仮に、医学理論の最先端で、

「生体に過剰な負担をかける外科手術は成功確率の低い野蛮でナンセンスな行為であり、将来、数十年後もしくは数世紀後には、そのような行為が廃絶されているであろう(スタートレックTNGシリーズのホログラム医師がやっていたように)」

という予測がほぼ研究者の間で合意に達していたとしても、

2012年秋の段階の最新設備と精鋭スタッフを揃えた病院は、78歳の老人の早期癌への有力な対応策のひとつとして、患部摘出のための10時間の手術を本人および家族に提案します。そして父は死んだわけだが(癌の手術は先生方の獅子奮迅でほぼ成功したので念のため、死因は術後の一種の合併症)、家族は(そしておそらく父本人も)、その治療や自分たちの判断を責める気持ち(別のやりかたがあり得たはずなのに、そうならなかったことを問題として追及する意志)はない。理論は人間の寿命を越えて残るが、人間個体は必ず死ぬ。

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「机上で資料読むのも現場作業だ」という考え方と、「理論の先生たちはああいっているけど、今はこうするしかないよねえ、現場で何が起きているか、理論の先生たちに伝わっているのかなあ」という不安は、常に両立します。

一方の意見・立場がどの程度強いかということは、もう一方の意見・立場の強さ/弱さに影響を及ぼすかもしれませんが、もう一方の意見・立場の存在自体が、力の強弱によって消滅することはありません。関係構造上の位置・役割とはそういうものです。

そのような理路を解さない者を、通常、世間は「バカ」とか「ワカラズヤ」とか呼びますが、

臨床の診断を(誰に頼まれたわけではないけれど)とりあえず試しにやってみた立場の延長で何か言えることがあるとすれば、

「早くそういう世の中になるといいですね」

と微笑むことくらいでしょうか。

追伸:

「不可避的に生起する関係構造」という発想は、おそらく、「机上で資料読むのも現場作業だ」の立場で物事を推し進める上でも、きっと役に立つと思うので、この機会に増田様へ、是非とも一度、お試しいただけますように、謹んで進呈させていただきます。

「早漏」「癇癪」の処方箋として。

[オマケ]

通信教育で「現代文化研究概説」をラーニング・アローンするつもりで基本図書を読み、「京都賞」をテーマにレポートを提出。一回目はリジェクトされたので、寝る間を惜しんで再提出して頑張ったのだが、どうやら「落第」の判定であるらしい。

講義情報:増田聡准教授は「落とし」である。スパルタ体育教師並にシゴく。もしくは、気に入らない生徒を見つけると、集中的に個人攻撃するイジメの資質が認められる。見解の相違を調整する手間を惜しまない飯田橋の日本音楽学会機関誌編集委員会(事務局?)の五億倍(当社比)性急に物事を一方的に決めつける。ポピュラー音楽学会の世話役は九州男児(正確には北九州男児)。受講生は注意されたし。(参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130627/p1

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