承前:音楽社会学の過去・現在・未来(「かもめはかもめ」、社会学は社会学)

まるで大学生のシューカツのように「(株)社会学」の会社概要を読み進める日々(笑)、その3。

こういう「型」がある、こういう考え方がある、というカタログを次から次へと見ていくと、音楽社会学を「のりこなすコツ」みたいなものが見えてくるような気がします。

社会学的思考 (社会学ベーシックス別巻)

社会学的思考 (社会学ベーシックス別巻)

ためらわないオッサンの独断その1:1980年代以前の音楽の社会学は「方法論的個人主義」(『プロ倫』メソッド)と「方法論的集合主義」(『自殺論』メソッド)にほぼ尽きている

社会学の方法には「個人的なものから社会的なものを説明する」というヴェーバーを典型とする「方法論的個人主義」と、「個人的に見えるものすら社会的なものに規定されている」というデュルケムを典型とする「方法論的集合主義」の、大きく分けると二つの考え方があるが、『プロ倫』は前者の立場の代表作のひとつなのだ。(若林幹夫『社会(学)を読む』86頁)

社会(学)を読む (現代社会学ライブラリー6)

社会(学)を読む (現代社会学ライブラリー6)

音楽社会学 (経済と社会)

音楽社会学 (経済と社会)

音楽選書オルフェ 新 音楽家の社会史 (オルフェ・ライブラリー)

音楽選書オルフェ 新 音楽家の社会史 (オルフェ・ライブラリー)

「わかりやすい西洋音楽史」を編纂するには、社会学の教科書の最初のほうに書いてありそうなこの解説を実践すればほぼ事足りる。あとは、この枠組みを適用することでパズルがすっきり解けた、と思ってもらえる事例をいかに見つけてくるかにかかっている。

資本主義とキリスト教、世俗と宗教、俗と聖は一般に背反する、水と油のような関係にあると考えられている。このふたつのものの内的な関連を明らかにしたとされるこの著作[『プロ倫』]は、その説明の当否は別にして、「当たり前に見える社会を生み出した当たり前ではないロジックを明らかにする」という、社会学にしばしば見られる“面白さ”の型のお手本である。(同87頁)

たとえば、ベートーヴェン(1770-1827)とナポレオン(1769-1821)は一歳違いの完全な同世代人でした、と宣言して二人のキャリアを並べて略述するところからはじめると……、

  • ナポレオン:出身は国境の島→軍人→政治家・皇帝→失意の島流し
  • ベートーヴェン:出身は国境の川→ピアニスト→交響曲作家→晩年は室内楽へ引き籠もり

「ベートーヴェンとフランス革命」のお題は、不屈の精神・不世出の天才が「社会的なものに規定されている」感じを醸し出すことができます。復習教師が必要に迫られて編み出した、社会史っぽい音楽史概説の簡単レシピ(笑)。

また、音楽のロマン主義は、「シューマンにおけるポエジーと書店主の精神」とか、「ベルリオーズにおけるグロテスクと医学生の精神」とか、伝記を手がかりにすると、『プロ倫』のパロディみたいなことが言えて楽しい。

わたくしも、日々、そういう風に遊ばせていただいております。

シューマン (作曲家・人と作品シリーズ)

シューマン (作曲家・人と作品シリーズ)

(なお、おそらく「社会学にしばしば見られる“面白さ”の型」は、TPOにあわせて題材を選ぶ必要があって、「実はハイテク好きなピアノオタクだったベートーヴェン」とか、「クラーラとローベルトの愛」とか、あまりにもわかりやすく現代に通じる寓話をそのままメインテーマに立てると、一度限りのライヴパフォーマンスとしての講義(この日のために特別にご用意したオーダーメイドな「とっておきのお話」)の感じが薄れて、NHKの教養番組とか、音楽之友社の名曲解説集や大作曲家評伝集のような定番のヘヴィーローテーション(量産品の既製服の即売会)の感じが強くなる。一方、しかるべき肩書きを持った「先生」がそういう定番のお話を堂々と語り切るのが「権威づけ」の原動力。「権威」の需要に応じなければならないときには、むしろそっちを主にしたほうがいい。)

ためらわないオッサンの独断その2:ニューミュージコロジーとカルチュラル・スタディーズによる1990年代以後の「学界再編」は、徹頭徹尾、本家社会学の各種教説のリミックスである、オリジナリティを発揮しようと肩肘張るのは、ダサい仲間はずれへの第一歩、御法度である

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

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音楽のカルチュラル・スタディーズ [単行本]

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社会学の概説、学説カタログを読んでいると、「なんだ、彼の口癖である○○はここから来ているのか」とか、「オレの本音っぽくつぶやくあの台詞は、この人の振る舞いのマネッコなんだ」というのが次から次へと出てきて、ネタ元探しのような感じになる。

これって、メガヒットを連発して90年代に栄華を誇ったとされる「J-POP」とほぼ一緒ですね。

1990年代J-POPのおさらい:ためらわないオッサンの知ったかぶり

私は出典となる60年代以後の音楽シーンの数々を知らないのでチンプンカンプンですが、どうやら、パフィとかモー娘とか宇多田とか、あの頃大いに売れた人たちの背後にはそれをプロデュースする百戦錬磨のオトナたちがいて、ヒット曲の数々は、そういうお兄さんお姉さん、オジサン・オバサンたちの思い出データベースに蓄積・登録されているサウンドやスタイルの数々を切り貼りして出来ていたらしい。だからあの時代のJ-POPというのは、中高生に売る商品であると同時に、オトナたちの思い出データベースの切り貼り・カットアンドペースト作業が「パクリ」としてアウト判定されるか、「オマージュ・リスペクト」としてインに判定されるかのゲームでもあったらしい。

(平成ライダーはイケメンな主役俳優へのママさん世代の関心に駆動されて成功したとも言われているようですし、90年代ニッポンのポピュラー・カルチャーでは、この種の「二重化」があっちこっちに仕掛けてあって、おそらくそのような状況を踏まえた総括が『動物化するポストモダン』のデータベース消費という話だった、ということになりそうですね。)

そうしてこの傾向へ棹さすイデオロギーとして、「日本の洋楽・レコード歌謡の歴史とは、その誕生の時代から一貫してパクリとリスペクトの歴史である」というリミックス史観のようなことを言う一群の学者が出てくることになる(阪大音楽学の後輩たちがその中心にいたのだから、あまり他人事ではないけれど)。

研究論文がリミックスとして生成されるということ:ためらわないオッサンの浪花節その1

以上のJ-POPの展開、そして当時の音楽産業とポピュラー音楽学会(当時産声をあげたばかりだった)の若手な皆様との一種の共犯関係については、ほぼリアルタイムに傍観者的に知っていたわけですが、そしてCDから音楽のネットワーク配信への移行の混乱に伴う音楽著作権談義にも果敢にコミットしたりして(tsudaる人の躍進も思えばそこからであった)、リミックス史観はそれなりに機能していたわけですが、

学者としての立ち居振る舞いや言い回し、物事を読み解くアングルと枠組みみたいなところまで、本当に細かく社会学のリミックスが浸透していたとは、今回、社会学のお勉強をしてみるまで知りませんでした。

彼らは存在そのものがシュミラークルなんだ、と知った驚き。

そうだったのか。ニューアカだトレンディだと、「軽やか」に浮かれて悪かった。なるほど申し訳ないことをしたかもしれませんね。

郊外ニュータウン論で読み解く大学改革:ためらわないオッサンの浪花節その2

東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

たしかに80年代に学生だったワシらは、都会へ出てきた核家族であれ、ワンルームに住む独身者であれ、表向きの意識レヴェルでは「故郷喪失」の都市生活者を装ってはいたけれど、ウチへ帰れば、ほぼ誰もが(若林幹夫のように東京郊外が「実家」であるケースを含めて)墓を守る「田舎の実家」を持ち、親の世代の親戚づきあいを通じて血縁ネットワークを実はしっかり確保していた。その二重生活な感じは、それはそれでコツと苦労があるのだけれども、キミたちは、もっとせっぱ詰まったところでやってきたんだと言いたいわけですね。

実は「団地」を含む郊外のニュータウンも、戦前・戦中生まれの第1世代の子供であるワシらの頃までは、均質な未来都市の外観とは裏腹に、そうした不可視の広域ネットワークに組み込まれていた(と思う)。

燃えつきた地図 (新潮文庫)

燃えつきた地図 (新潮文庫)

ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた

ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた

安部公房が代表かもしれない団地の孤独をテーマとする小説やドラマはたくさんあって、ウルトラセブンには「わたしはだあれ? あなたはだあれ?」[ご指摘感謝、私は申し訳ないですけれども本当にウルトラセブンに関心と思い入れが皆無なのです……]という回があるらしく、映画「裏窓」のいただきみたいに事件を目撃してしまうサスペンスドラマは枚挙にいとまがないほど量産された。

でも、それは外側から見える事態の半分で、すくなくとも私が子供だったころの団地は、子供も親もお互いを日常的に往き来して、縦に並んだ長屋みたいなもんだったですよ。中に入ればそんなもんです。そうしてそれぞれが、「名張のおばあちゃん」とか「彦根のおじいちゃん」のところへ休みになると帰省していた。わたくしにとっても、夏休みに一家で鹿児島(鹿屋)に何週間も滞在したのが結構楽しい思い出になっている。

そして前にも書きましたが、歴史をもたない団地住民が盆踊りなどを「創る」のはしばしばいじましく嘘くさいキッチュな光景として揶揄の対象になるわけですが、団地の内側にいた私にとって、学校でも家=団地でも、何もない殺風景なところにどんどん「文化」が出来上がっていくのは面白かったし、父が自治会の他の役員さんと一緒になって御神輿を買い、盆踊りを「創る」のは、イベントを内側から眺める原体験だったかもしれません。人間というのはどんな環境でも生きていくんだなあ、と。

そしてこれは同時に、「郊外」が外側からそう見えているかもしれないような「人工空間」(「都市」のサブセットであるような)ではなく、「田舎」的な共同体の模像もしくはサブセットでもある(あった)ということだと思います。若林先生が『郊外の社会学』で、「郊外」を「都市」と「農村」という2つの集合の交わりとして図解しているように。

一方「団塊世代」以後の親たちは、戦前・戦中生まれみたいにこまめで継続的な血縁・地縁ネットワーク作りをしないし、むしろそういう人たちはマスメディアに媒介された思い出データベースのほうにアイデンティファイしがちで、90年代J-POPは、そういう親たちとそれを見て育った子供たちにフォーカスする形になっていた、というような話なんですね。

大学・知識人界だってそうで、モラトリアムをむさぼっている、とか、共通一次でマニュアル化された新人類、とか、そういう世間の疑惑の目を引き受けており、「大学生=バカ」だったわけですけれども、実際に研究室へ行くと、できる院生であるところのこの人あの人のパパは主任教授の大学の同級生とか、そんなんばっかりでしたもんね。あの人たちにとって、大学院へ進学するというのは、親戚の家へ遊びに行くようなものだったわけだ。

(前にも書きましたが、ニューアカのリーダー、浅田彰と中沢新一からして、全然普通じゃない家の子ですもんね。)

そうして新人が入ってくると主任教授が値踏みして、大学・知識人界的な意味での地縁・血縁に不足があると思ったら、どこかからお見合い話をもってきたり、留学させて箔を付けさせたり、それでも足りないときは、政治力であっちこっちに電話をかけて、どこかのポストへ押し込む。大学・知識人界でも、大学院大学とか、研究都市構想とか、遅ればせにニュータウン的な動きがあるにはあったけれども、その裏側のところで、それぞれの人間が、ちゃんと「田舎」や「実家」に相当するものを確保していたのだと思います。

筒井康隆の『唯野教授』はそういう時代の大学にリアルタイムに取材しているし、小谷野敦の『東大駒場』は、そういう時代がより強力にトップダウンな大学院改革で制度的にほぼ継続不能になって、実は大学・知識人界的な礼儀作法を律儀に守る人である著者が大学に完全に居場所を失ったタイミングで書かれている。

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

東大駒場学派物語

東大駒場学派物語

それに対して、90年代以後の人たちは、もはや「田舎」的であったり「実家」的であったりする領域はない、もしくは、個々にそういうものを抱え持っているとしても、そうしたものは私的な領域に隔離して、「事実上」(= virtually)ないものとして処理が完了するようなシステムを本気で欲していたかもしれません。

大学院改革は上からの動きですけれど、シュミラークルなリミックスで完全武装するのは、90年代に状況が様変わりしたことへのボトム・アップな防衛規制だった、と解釈すればいいのかもしれません。上から新しいルールが降ってきて、これからはこのルールでゲームをやれと言われたのだから、それに沿って自らの心身を編制・改造しようではないか、「人類補完計画」だ、と。

(そのように考えると、彼らがフェアプレイのアスリートに熱狂するのも、わかるような気がします。俺たちには、このゲーム、このフィールドだけが居場所なのだ、というヒリヒリした感じがいいんでしょうね。そういえば「エヴァンゲリオン」も、名目上の都市[追記:調べたら「第3新東京市」なんですね]の地下に virtual な基地[ジオフロント、でいいのですか]があって、子供達は「郊外」らしきところに住んでいるように見えますが、「郊外」とその外側の世界(「実家」?)とのつながりは一切描かれませんでしたし……。たぶんそんなのは「ない」、ということでゲームが展開するんですね。)

わたくしは、「そんなのウソっぽいし、無理に決まってる」(virtual というより fictive?)と考えて、はなからそんなゲームに挑戦しようなどとは思いもしなかったですが、どうやら、文化におけるメインとサブとか、アートにおけるハイブロウとポピュラーを峻別しつつ、その地位の逆転を目指す議論は、「メイン・カルチャー」や「ハイ・アート」という、先代の人工王朝が名目上もしくは事実上存立しており、自分たちはそこからはじき出されたところに「サブ・カルチャー」や「ポピュラー・カルチャー」のネットワークを構築し、ゆくゆくはこれを次の王朝として樹立する、みたいな物語ないし世界観ないし宗教を明示的もしくは暗黙に信奉しており、だからこそのリミックスでありシュミラークルだったんでしょう。

(わたくしにとっては、そもそもの話の前提である

「「メイン・カルチャー」や「ハイ・アート」という、先代の人工王朝が名目上もしくは事実上存立しており」

のところが、自分の体験に照らして、ありえへんホラ話にしか思えないし、そんなものは、リミックスとシュミラークルで武装してしまった自我を鏡像的に外部に投影した幻影、「遠近法的倒錯」が生み出す幻にしか思えなかったわけですが(今でも到底信じられない)、

マジでそれしかないと思っていたんだったら、話の大前提をぶちこわしにして申し訳なかったかもしらん。反省はしないけれど、捨て身のゲームをぶちこわしにするようなことを言うのは、無粋だったかもしれないね。

「「「「「嘘から出た誠」がありえないわけではない」と信じてもいいんじゃないか」と言ってみるオレ」に結構他人がゾロゾロついてくるから、やってみるか」

と何重にもメタなカッコで括って生々しさを隠したギャンブルとでもいうのでしょうか(=なんだかサブプライムローンみたい)、誰がなんといおうと、これで人生の大勝負を賭ける、ってことでプロジェクトを動かしつつあったわけですから……。)

ためらいでも独断でも浪花節でもない素朴な疑問:社会学の入門書は「脱グローバル化」してオーソドックスな内容に書き換えられつつあるのでしょうか?

さて、そしてそうなると、過去20年の動乱に振り落とされることなく大学で生き延びた若林幹夫先生が2012年に書く社会学の入門書が、「軽やかにポップ」であったり「動物的」であったりするポストモダン(80年代を virtual に引き継ごうとする90年代の感性)を打棄で土俵の外へはじき出すような書き方になっているのは、どう考えればいいのでしょうか?

シカゴ学派は「都市化」と「近代化」の実験場のような街の光と闇を丹念にフィールドワーク(社会学では統計処理ではないモノグラフィーを「質的記述」と呼ぶらしい)して「都市社会学の百貨店」と言われたそうですが、90年代以後の社会学っぽいものの広がり(「社会学的想像力」と言うほうがそれらしいのでしょうか?)は、学科の仕切りを楽々と乗り越えるグローバル多国籍企業なのかもしれない、と思ったりもします。

色々な学科から発想と現象を仕入れて、色々な学科にアイデアや手法を配給して、とんでもないことになっている感じがあって、それが、2つ前のエントリーに書いた、書店の棚を眺めたときの目眩の感覚につながってしまうように思うのですが、

若林幹夫先生の、ほとんど悟りを開いた導師の講話のように抑えた筆致(「縁」にまみれた「苦界」のすべてをフィールドとする社会学が日本の風土で全面化すると「無縁」な「彼岸」を瞑想する仏教の陰画になる)は、社会学が事業を整理しつつある兆候ではないか。

供給元の元栓をきゅっと絞られてしまったときに、ポピュラー音楽論はどうなっていくのか。自活するのか、サブカルチャーの「サブ」な特性にアイデンティファイして、どこかの学科の属領になっていくのか。

郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書)

郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書)

「郊外」を実体化してしまうと、それはもう「郊外」ではなくなってしまう、という言い方とか、若林先生には、「サブ」なものがそう簡単に成り上がることのできないメカニズムへの諦念のような認識があると思うのですけれど(「郊外 subarb」は sub + urban で「準都市」みたいな意味の言葉、一方、ニュータウン構想は本来、都市機能を移転した自給自足を目指すものだったらしい、北摂でも、千里中央駅周辺にはなるほど独立に失敗した首都の遺構みたいな雰囲気が確かにある)、「サブはサブ」、絶えず移ろいゆくものだ、という認識はこの人固有の意見ということでいいのかどうか。

流行唄の歌詞に大衆の心情を読む古式ゆかしい大衆文化の社会学(社会を読む!)にダサダサな先祖返りをするとしたら、「かもめはかもめ」(1978年、研ナオコ、作詞・作曲:中島みゆき)から「世界に一つだけの花」(2003年、SMAP、作詞・作曲:槇原敬之)へと私が私を受け入れるアイデンティファイの語法・スタイルは移り変わってきたけれど、だったらそろそろ私たちも「社会学は社会学」と言わせてもらおうじゃないか、という気圧の変化を感じるのですが。