音楽という悪霊に結界を張る方法:あるオバサマの思い出(書きかけ)

地元(……と、このエントリーでは敢えて地名を特定せずに書き進めます、ちょっと調べたらすぐわかってしまうに決まっていますが、そこはガツガツしない「オトナの余裕」でわかっても知らないふりをする方向でお願いしたい)の音楽家の集まりで、ほぼ家事以外の人生のすべてをその活動に捧げる感じに熱心なオバサマが、役員として八面六臂の活躍をしていらっしゃる時期がありました。

その人は東京の私学で日本歌曲を学んで、結婚して関西へ来たらしく、お住まいの場所から考えても、わたくし同様、郊外の「新住民」さんで、声がものすごく通るので結婚式の司会の仕事をしていらっしゃったことがあり、押しの強い仕切り屋さんで、地域の活動にも役員として関わったりしていたみたい。

音楽家の集まりといっても、音大を出て、今は結婚して子育てをしながらピアノ教室を開いたり、アマチュア・コーラスの指導をしていらっしゃる奥様も多くいらっしゃいまして、そうなりますと、そのオバサマの「仕切り力」は、ほぼ向かうところ敵なしだったのでございます。

そして私は、知人を通じてその活動を手伝ってもらえないかと言われて、数年間あれこれやらせていただいたわけですが、どうやら私が引っ張り込まれたのは、そのオバサマの「仕切り」があまりにも強力強大になりすぎたので、バランスを取るのに評論家というのはちょうど良いだろう、それに、奥様方ばかりだと何かと難しくなるので、このあたりで、ひとり中年のオッサン(といってもあと何十年かは死ななさそうな)を入れて、仕事を覚えさせておくのが、団体の存続にもいいんじゃないか、というような判断があったらしい。

で、まあ色々なことが起きたりもしたわけですが(笑)、

こちらと、そのあとでは団地の管理組合で、いずれも会計係を拝命いたしましたので、世間でのExcelの使い方が試行錯誤しながらなんとなくわかってきましたし、ほぼ同じ地域に住んでいる同じ年代でも、音楽家さんと普通に働く団地住民さんでは、会議や行事ごとの裏方仕事への適性とか、事務仕事の飲み込みの速さとかがはっきり違うんだ、これがいわゆる「音楽家は世間知らず」の現場レヴェルでの意味なのかと身に染みてわかったり、貴重な社会勉強になりました。

(もちろん、関西の音楽評論家の会合とも、役人さんが仕切り・段取りをしてくださる選考・審査会議みたいなものとも、院生時代にちょっとだけ垣間見た学会運営の委員会(先方はまったく覚えていないと思いますが、まだ中堅学者だった頃の礒山雅先生が引き継ぎで阪大にいらっしゃったときの常任委員会では、実はわたくし先生の隣の席に記録係としてちょこんと座っておりました)とも違っているし、民主主義というのは会議・相談を積み上げる仕組みなわけですけれども、日々これだけ色々なところで様々なタイプの話し合いが行われているのだと思うと、人間は「群れ」を作る生き物なのだなあ、独裁とか、よっぽと強引にしないと、そんなん無理、と思ってしまいますね。←そういう考え方は、民主主義イデオロギーに「洗脳」された結果に過ぎない、という別のイデオロギーもありうるのかもしれませんが、私は当面、これでいいです。

政治学 (ヒューマニティーズ)

政治学 (ヒューマニティーズ)

苅部直先生によると、民主主義にかぎらず、政治というのは、やりたい意欲満々な人が思うように動かすよりも、日頃普通に生活している人が、嫌々ながらも駆り出されるくらいのほうが、現実と乖離しないでうまく回っていくものだ、と見ることができるらしいですが、なるほど、わたくしのようなフラフラしている人間が会計係をシロウトながらやってみるのは、民主主義の世の中における「兵役」みたいなものだったのかもしれませんね。

逆に言うと、戦後の「平和ボケ」とされるニッポンも、実際には悶々とする若い人たちが知らんところで、あっちこっちでオジサン、オバサンが忙しいなかで時間を作って会合して、それで回っているのだから、あんまり性急にダメ判定したらいかんかもしれないなあ、と思います。)

色々あったなかで、最近よく、このオバサマが「戦後の音楽文化」のある面を考えるときの典型になりうる人だったんじゃないかなあ、と思うことがあるのです。

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ちゃんとした知識があって、トレーニングを受けた人が「参与観察」すれば、もっと様々なことに気付くでしょうが、とりあえず今思いつくのは、

第一に、イベント・コンサートの最初と最後をマイク越しの「司会」で縁取り、枠付けしないと、どうにも落ち着かないらしいこと。司会業をしていた人だったから、ということもあるでしょうが、またこれが威力絶大でもあって、このオバサマがマイクを握って舞台に立つと、磁石が蹉跌を整列したみたいに、場の空気が一定の方向へ整うのです。そしてこの方は、イベント・コンサートの「終わり」に再び出て来るのがお好きで、当初の打合せ・進行台本になくても、隙あらば最後に出てきて「みなさん本日はまことにありがとうございました……」と申し述べて、腰が浮きかけたお客様に最後のだめ押しをする。「次回の予定は××で」とか、「ひきつづき○○(←主催団体名です)にご支援賜りますように」とか、「ロビーでアンケートをお願いしておりますので」とか、やる。

クラシック・コンサートはフォーマルなものであればあるほど、舞台上から楽音以外の一切の音・音声が消えていく傾向にあり、それが「近代的聴取」「構造的聴取」の表れだと言われたりもします。

実際には、そうしたクラシック・コンサートの様態には19世紀以前からのヨーロッパの様々な歴史的・文化的・社会的な事情が絡んでおり、宮廷音楽家がどのような作法で演奏したか、あるいは、ヨーロッパ社会においてはどのような振る舞いが「文明的」もしくは「紳士的」とみなされてきたか、等々、もっと丁寧に検討するべき観点があると私は考えていますが、それはともかく、件のオバサマが、何の疑いもなく「そうすべき」とお考えでいらっしゃったスタイルは、かなりはっきり違います。

考えてみますと、演奏の「終わり」こそ、井上道義のようにマイクを持ってしゃべるのも芸のうちな人は稀で、せいぜい、アンコールで演奏家がご挨拶することがたまにある程度ですが、演奏前は、司会が立たなかったとしても、コンサート会場では、影アナでかなり色々なことが語られますよね。ザ・シンフォニーホールやセンチュリー交響楽団のように開演前のロビーで近々行われるコンサートの「宣伝」を「放送」するのは少数派かもしれませんが、携帯電話の確認、とか、補聴器の取り扱い、とか、ある面では、ここ数年で事前の「放送」の量は増えているかもしれません。携帯電話の確認では、ホールのスタッフさんがプラカード持って歩いたり、色々ありますよね。

わたしたち(と自分をそのなかに含めるのは少々心理的な抵抗もありますが)のなかには、イベントに参加するときに、しかるべきスピーチで前後を仕切ってくれたほうが安心する感覚があるのかもしれない。(普段は意識していないけれど、イベント中に何らかの「粗相」があると、例えば「携帯を切るようにちゃんと注意しておかないのはホールが悪い」みたいな語法になって、イベントをはじめる「儀式としてのスピーチ」の欠如が、イベントに悪影響を及ぼすかのような思考が動き出す場合があるようです。)

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そのオバサマの特徴の第二は、せっかくそのように立派な「司会」で場の空気を整えたにもかかわらず、舞台上で自分が歌うのと同じかそれ以上に、客電を灯けて、歌詞カードをお客さんに配って、「みんなで一緒に歌いましょう」が大好物だったこと。曲目は童謡・唱歌ですから、このあたりは、大阪城の今では代わりにモトクロスが行われるようになった西の丸庭園の星空コンサートを「ふるさと」で締めくくった大植英次に近い感じもあります。

クラシック・コンサートは「作品」を「展示」する制度である、という音楽の近代化論の定説に従えば、散文的にはじまりも終わりもなく流転する日常のなかに、「はじめ・中・終わり」と展開する特殊な構造の時間を創出するから、音楽はアートであり、非日常だ、とされるわけですが、

先述のように、オバサマにとっては、既にイベントの「はじめ」と「おわり」はご自身のスピーチによって縁取りされております。そしてどうやら、ご自身がそのような縁取りと同時に整えた場の空気、舞台と客席をビシっと分けたその境界を「一緒に歌いましょう」で取り払うことが、メイク・ドラマであり、(ひょっとすると「歌う国民」的なのかもしれない)共同体が再生する「祭り」であるかのようなのです。

日本で音楽の近代化論をやるときにはあまり注目されませんが、最近の音楽史記述では劇場(そして教会)とコンサートの差異を重視して、音楽劇(や礼拝音楽)の歴史をコンサート音楽とは別立てで記述することが多いですし、そこまではっきりした主張としてはまだ提唱されていないかもしれないけれども、コンサートという新しい制度に力点が移る「近代」は、この新しい制度とともに、教会や劇場を踏まえつつそれとは異なる詩学と感性が発見された、もしくは、台頭した時代だと言えるかもしれません。たとえば「絶対音楽の理念」を巡る議論は、19世紀のロマン主義・観念論とともに、声楽中心の音楽観から器楽中心の音楽観への転換がドイツを震源地として広まった、とする(インターナショナリズムであることがナショナリズムであった戦後西ドイツ的な(と吉田寛先生であれば言うかも知れない))学説ですが、この学説は、コンサートホールが芸術を崇拝する教会となり、鳴り響きつつ動く音の形式それ自体がドラマである、というように、教会音楽や音楽劇を取り込みつつ乗り越える存在として器楽を位置づける論点を含んでいました。

オバサマ流の「メイク・ドラマ」は、そんな風に鳴り響く展示品を崇拝したり、そこにドラマを聴く、という鬱陶しくもめんどくさいことへの配慮は希薄ですが、そのかわり、マイクを通したスピーチで群衆を国民に編制する総動員体制風な「政治の美学化」の簡易普及版と言えないこともなさそうですし、「みんなでいっしょに歌いましょう」は、そのような風土でこそ効果を発揮する手法ですから、それなりのやり方で、舞台パフォーマンスへの礼拝機能とドラマトゥルギーを備えていると言えるかもしれません。手強いのです。

このオバサマの発想と手法は、かなりあからさまにテレビ的、テレビの啓蒙的な音楽番組的で、出所がクラシック・コンサートとどう異質なのかがわかりやすいのですが(音楽物語「窓ぎわのトットちゃん」が大好きな方でしたし)、コンサートへ集うお客様が、鳴り響く展示品「だけ」が目当てで来ているのではなく、むしろ、イベントに参加して、イベントを一緒に作る気満々なのだ、ということを察知していたのだと思います。やや強引なやり方ではあるけれども、お客さんには受けるのです。

考えてみますと、クラシック・コンサートのお客さんは参加意欲が高いですよね。最近では、(そのようなマナーを指南する風潮があるのか)オーケストラ演奏会で舞台に楽員が出てくるだけで拍手が起きることがありますし、コンサートマスターさんが単独で拍手を受ける習慣は、ほぼ定着したように見えます。(オーケストラの定期演奏会では、どこも、コンサートマスターの名前を明記しますし。でも、これってごく最近の習慣ですよね。)

それから、全プログラムが終わったあとの拍手が、最近ではどの演奏会でも長くて念入りです。曲中でソロを吹いた奏者を立たせないのは指揮者の大失態みたいな感じになっていますし、必ず楽器ごとに拍手を受けるコーナーがあって、そのあとで、指揮者が楽員を立たせようとするのに立ってくれなくて、「しかたがない」というジェスチャーとともに指揮者だけが会場の拍手を受けるコーナーがあって……、10分か15分は必ず続きますよね。

また、曲が終わったあとの「にらめっこ」、音が鳴り終わっても、指揮者が指揮棒を降ろすまでは拍手はダメ、というのも、ひと頃随分厳しくフライングを監視する自警団的な運動があって、今では普通の光景になりましたから、凄いものだなあと思います。フライングを許せない派のクレイムの論拠は、「余韻・静寂を味わいたい」というもので、私は、それはレコード・CDを家で聴くときの趣味を持ち込む議論ではないかと思っていたのですが(そしてさらに遡ると、ラジオの音楽番組では、エア・チェックしているファンから、曲の頭や終わりで語りがかぶると抗議が来た、とか、逆にエア・チェック対策でフル・バージョンは流さなかった、とか、そういう攻防があったと何かで読んだ気がするのですが、いずれにせよ、「余韻・静寂」論はライヴ・パフォーマンス以外の文化から持ち込まれた発想だろうと思っています)、でもそれだけではなく、あれは、お客さんがクラシック・コンサートに「イベント」として能動的に参加できる数少ないポイントのひとつなのかもしれませんね。そして2時間のコンサートでわずか数回しかない大切な瞬間だから、それを台無しにされるとメチャ怒る。

「お客さんも参加したいんでしょ、はい、ここですよ!」みたいにこれ見よがしなことをすると、「関西風味だ」とかすぐ言われてしまったりもするわけですが、おそらく、「聴衆の参加」を露骨にやってはいけないのは、お客さんにその気がないから、というよりも、他人の心を見透かすような振る舞いは不作法だ、ということに過ぎないのかもしれません。どっちにしても、お客さんがイベントへの強い参加意欲をもって会場へ足を運んでくださっているのは自明という前提で、物事が進んでいるように思われます。

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そして第3に、そのオバサマは、このように相当に強い自負と思い入れをもってコンサートを仕切るのですけれど、でも、同時にものすごくガサツな人でした。小さな催し物会場のようなスペースでコンサートをやるときなど、舞台で演奏者がリハーサルしているのに、ガチャガチャとパイプ椅子並べ出したり、プログラムにチラシを挟みながら大きな声でおしゃべりを続けたりする。鳴っている音がどういう状態なのかにはかなり大胆に無頓着で、音をどのように響かせるか、ではなく、音というわけのわからん(自分にもよーわからん)ものを、どのように自分の理解できる枠組みに収めてみせるか、それを身を持って示すのが音楽会だ、みたいな感じが、(そのように整理して考えたわけではないでしょうけれども)振る舞いから察せられるような人なのでした。

上記の1点目と2点目は出所がはっきりした、わかりやすい行動様式ですし、わたし自身も「テレビっ子」なので理解できないこともないのですが、このガサツさだけは心底「かなわん」と思っていました。が、今思えば、あれは音楽という彼女には十分には理解し得ない外国語のような存在に対して、ドメスティックなやり方で結界を張る行為、「わからないもの」への恐怖を押し返す実践的な対処法だったのかもしれないですね。(つづく)

[ここは、もうちょっと整理してから書きたいので、ひとまずここまで。]