ホテルと洋楽(草案)

いずみシンフォニエッタ大阪が来年は猿谷紀郎「三井の晩鐘」をやるらしいと聞き、そういえばこの作品を2004年に委嘱・初演したのは当時さかんに自主公演をやっていたイシハラホールだった→イシハラホールといずみホールは、大阪ではホテル的なホスピタリティ(←やや同語反復的な言い回し)が際立つ点が共通している、と連想して、

「ホテルと洋楽」

は面白い研究テーマになりそうだと思いついた。

1925年、日本にフランス近代を中心とする「同時代の音楽」を紹介する画期的な公演だったとされるジルマルシェックスの六夜連続リサイタルの会場は帝国ホテル。ドナウエッシンゲンの古城の現代音楽祭、軽井沢の20世紀音楽研究所現代音楽祭などなど、「ホテル的なもの」と「ゲンダイオンガク」は、実はそれなりに縁がありそう。

とはいえ、各論の前に色々下ごしらえが要りそうなので、とりあえず、ほとんど何も調べないままのブレイン・ストーミング的に、以下、思いついたことをメモしてみる。

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音楽ホールを「ホテル」モデルで運営する場合、おそらく、こういう図式になる。

  • 音楽家(同時代音楽であれば作曲家を含む)=宿泊客、しかもV.I.P.な上客
  • 聴衆=レストラン、宴会場等の付帯設備を利用する一時客

通常の公共施設との一番の違いは、音楽家が「お客様」として「もてなされる側」に位置づけられることであり、聴衆もまた、一時的ではあるが、施設を利用する間は、原則として宿泊客(音楽家)と同等の「お客様」として扱われる。音楽会は、日常ではありえない音楽家と聴衆のわけへだてない「交歓」として演出される。

音楽サロン―秘められた女性文化史

音楽サロン―秘められた女性文化史

おそらくこのような「ホテル的」音楽会は、リアルなホテルで開催されることもあったであろう18、19世紀の音楽サロンの流れを汲むと考えるとわかりやすい。文献が伝えるところでは、音楽サロンとは女主人(サロニエール)が招待客をもてなす場(=19世紀ブルジョワ社会において既婚女性が能動的・主体的に家庭外との関わりをもって活動できるほぼ唯一の機会)であり、しかるべき芸術家を招待できることがそのサロンの「格」を示すとされたらしい。サロンは、招待客たちの社会的地位を前提して運営され、動静が新聞等で報じられたという意味ではパブリック、招待されたものだけが恩恵に浴するという意味ではプライヴェートな半公半私の中間的な制度だったとされる。サロンの「格付け」と「ホスピタリティ」の両立は、半公半私の中間的性格に対応している。

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劇場(or歌劇場)は、19世紀のサロンと並ぶ社交界の楽しみであったとされるが、上記の「ホテル的」もしくはサロン的な興行形態とは対極にあると言えるかも知れない。

  • (1) 通常、興行主が劇場(or歌劇場)と付帯設備などのハードと、劇団・楽団などのソフトの両方を一括して所有もしくは管理する。すなわち、興行主から見て、公演に関わる者は全員が「社員・従業員」である。
  • (2) 劇場(or歌劇場)の表演者は、通常、興行主を頂点とするヒエラルキー(縦社会)に組織されており、看板女優やカストラートやプリマ・ドンナは特別室でVIP待遇最上級のもてなしを受けるが、端役は裏方・一般従業員と同じ扱い。こうした特別スイートから大部屋までの階層性は「社会の縮図」なのかもしれない。
  • (3) 公演は見世物・スペクタクルであり、客は入場料(木戸銭)を払って、その料金に応じた見物席を確保する。伝統的な歌劇場では(劇場も同じか?)、庶民は平戸間(もしくは天井桟敷)の立ち見、常連客は、特定のコンパートメント(もはや「席」というより「部屋」)をシーズン通しで予約・占有する。そして洋の東西を問わず、最上級の客は、お気に入りの演者を「見る」だけでなく、公演後に役者から接待を受けたようだ。

オペラ史と政治史もしくは社会史を組み合わせて、このような劇場のあり方は、バロック的(=絶対王政的)な、権力と権威がその力と輝きを象徴的に「みせびらかす」タイプの公共性に対応していると説明されることが多い。

オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)

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要約すると、サロンの後継と思われる「ホテル的」な音楽会は、招待を受けた者だけが集い、そのような信用を前提として、参集者は外界での社会的・政治的な差異を解除して、くつろぎ、羽を伸ばす。舞台の上と下の区別だけは残るが、基本的には、参集者が平等な私的親密圏を仮想的に形成していると思われる。一方、劇場(or歌劇場)は、表演者と見物人の双方が階層化されており、その階層構造は、劇場の外の社会的・政治的な差異に対応している。

それぞれの演目もまた、このような違いに対応していると考えてよさそう。「ホテル的」(サロン的)な音楽会では、現実から離脱した「夢」や「ユートピア」を指し示すものが好まれ、成功する可能性が高く(ショパンやフォーレ、武満徹を想起せよ)、劇場には、社会を映す鏡が期待される傾向があるように思う。貴族社会の古典劇は予定調和で理想化された世界を舞台上に作り出し、勤勉(industry)が美徳の市民社会はリアリズムを追求し、大衆が都市へ大量に流入した20世紀の演劇は、割れた鏡のように、観客に彼ら自身の歪んだ自画像を見せる、等々。

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パブリック・コンサートは、「ホテル的」でもなければ「劇場」でもない奇妙な姿をしている。

第1に、出演者が公演を主催するのは劇場と同じだが、音楽以外のハード・ソフトを極限まで削ぎ落とすコストカットで収益率を上げて、劇場流の階層構造(看板女優から大部屋まで)を緩和し、音楽家に「健康で文化的な最低限の生活」を保証する傾向が認められる。(初期の公開コンサートが、しばしば収益を恵まれない者へ寄付する慈善事業として開催されたのはおそらく偶然ではない。音楽家の自主コンサートとは、宮廷の下僕・劇場ヒエラルキーの最下層であった楽師が、「恵まれない自分自身」のために開くものであり、モーツァルトやベートーヴェンは、そうした自主コンサートの収益を原資として、ウィーンの宮廷社会で「自由人」の立場を確保することを目指していたと解釈できるように思う。)

第2に、公開コンサートは、原理的には、それ専用の場所を求めない。黎明期の公開コンサートは劇場や宮殿の大広間など、要するに、たくさんの人が入る空間であればそこを使う。(今でもそれは変わらない。)そしてのちにコンサート専用の建物が設計された場合には、劇場と違って、どの席からでもほぼ同一条件で舞台が見える/舞台の音が聞こえる空間を指向する場合が多いけれど、これが、音楽外の要因を排除した「構造的聴取」の理念を具現したものなのか、それとも、「音楽の下での平等」の表現なのか、定かではない。ホール建設は、都市化や都市再開発の一環であることが多く、「幅広い層」に門戸を開くことが目的のひとつとされることが多いように思うが、客席が均質であることと、音楽の大衆化のどちらが原因で結果なのか、いまひとつよくわからない。

公開コンサートは、サロン的な(そしてその後継としての「ホテル的」な)私的親密圏と、劇場(or歌劇場)の見世物・みせびらかし的公共圏の間に成立したオルタナティヴだと思われる。社会構造を反映するより、むしろ、社会的制約から離脱する傾向があり、特定の場所に定位されないのは、おそらく、そのせいだろう。

気障でこっぱずかしい言い方ではあるけれども、マルト・ロベールあたりを援用しながら近代小説の詩でもなければドラマでもない怪しい素性の散文物語を「私生児」と呼ぶのをマネして、公開コンサートは音楽史における私生児であり、その意味において「近代的」である、と言ってみたい気がしないではない。

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そしてもう少し文芸批評のマネッコを続けるとしたら、近代小説は19世紀を頂点として、20世紀に前衛をやり尽くしてそろそろ「終わりか?」と囁かれているようだが、公開コンサートのピークは後ろにずれる。近代小説全盛の19世紀パリにおける音楽生活の中心はサロンと劇場であり、統一ドイツ帝国がフランスに勝った19世紀後半から、ようやくドイツ流のコンサート音楽がヨーロッパの音楽生活のスタンダードになったと見た方がいい。おそらく公開コンサートのピークは19世紀後半から20世紀前半で、ピークが後ろにズレている分、「終わりが近い」感じになるのも遅い。しかしそれでも、「巨匠演奏家」でどうにか持ちこたえていたコンサート音楽は、20世紀末から21世紀初めになって、「落ち目」感を隠せないかもしれない。

そうした大状況と連動しているのか、定かではないけれど、脱帝国主義・全体主義の「国民国家」として再出発した戦後日本の洋楽は、まぎれもなく公開コンサート中心に展開しており(初期には多目的ホール、後期には音楽専用ホールが次々できて、オーケストラもいっぱいできた)、鑑賞団体が隆盛だったことを考えると、戦後日本のクラシック音楽は、閉じた親密圏でもなく階層化を露出するわけでもない音楽会を主軸にすることで、「一億総中流」に上手く対応していたように見えなくもない。そして「上流/下流」の「格差社会」と言われる世紀末にオペラ・ブームが起きて、サロンの後継と見ることができそうな「ホテル的」ホスピタリティが売りの音楽ホール(概して小・中規模)が登場した。

民間の音楽堂が劇場法に「ホテル的」手法で対応しようとしている現状は、こういう見取り図のなかに置いてみると、すっきり説明できるように思う。

戦後レジームの見直しとは、「国民国家」としての諸制度が老朽化して弱体化したという見立てだと思われ、その対策・今後の舵取りが政治的にどのように決着するか、定かではないけれど、とりあえず、公開コンサートには見切りをつけて、「ホテル」(サロン)もしくは「劇場」に鞍替えする動きが市井で目立つようになった、ということだろう。「公開コンサートの時代は終わった」と叫ぶのが、今は具合の良い風向きである。

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ただし、ひとつだけ忘れて欲しくないことがある。

アルテスのお二人がとてもわかりやすく素敵なクラシック入門講座をウェブ上でやっていらっしゃいますが、

最近、ドラマやCMでもよく耳にするようになったクラシック音楽。身近にはなったものの、「クラシックに興味はあるけど、どこからはじめればいいかわからない」、「クラシックって敷居が高そう」と思っている方、結構多いのではないでしょうか?

今回は、同じ気持ちをもつミシマ社メンバーが「クラシック入門」と題して、音楽の書籍を数多く出版されているアルテス・パブリッシングの鈴木さんと木村さんにお話をうかがってきました。

本を読むようにクラシックを聴いてみよう 第1回|今月の特集2|みんなのミシマガジン

単純な繰り返しだけで満足しないわかりにくさとか、楽譜という共通の土台の上に花咲く演奏・解釈の多様性とか、「クラシック音楽」のコツやツボが、音楽家の間で伝承される職人の秘伝のようなものでなく、鑑賞の手引きとしてオープンになったのは、実は公開コンサート文化においてだったと見て間違いない。サロンやその後継の「ホテル的」音楽会で万全のホスピタリティで癒されたり、劇場(or歌劇場)でスペクタクルにのめり込んで、ぐっと前に乗り出すのに、そういう「わかりにくさ」や「演奏・解釈の多様性」のお勉強は、実はほとんど必要ない。そして逆に、公開コンサートという制度、世の中に否定しがたく存在する階層構造を括弧に入れて、不親切だと思われようとも、音楽家や来場者をチヤホヤしないフラットな空間は、音楽家にとっても聴衆にとっても、「クラシック音楽」の「わかりにくさ」や「演奏・解釈の多様性」のお勉強に最適だったりする。そしてこの、いわば「クラシック音楽の道場」としての公開コンサートが消失すると、たぶん、「クラシック音楽」自体が骨抜きのぐにゃぐにゃになって、腐る。

歴史的にいっても、サロンや劇場に耽溺しているだけだとバカになるぞ、という危機感が、「悪しき19世紀との決別」という、今となってはちょっと過激すぎる極論ではあったけれども、その分効果テキメンなスローガンとともに公開コンサートを後押しして、音楽の20世紀がはじまっている。この言い方自体が、いかにもクラシック音楽の「こむずかしさ」を凝縮したものではあるけれど、音楽の「クラシック」の半分くらいは、公開コンサートがまともに機能していたとは思えない18世紀や19世紀に作られたのだけれど、それらが「ザ・クラシック」になったのは20世紀だ。

これからますます「ホテル的」な音楽会や劇場(or歌劇場)の人気が高まるに違いないとは思うけれど、そういう場所でクラシック音楽の楽しさに目覚めた人は、「ホテル的」な親切設計ではなく、劇場のようにアトラクティヴではないかもしれないけれど、「ここが霊場・ご本尊なのだ」と思って、素っ気ない普通のコンサートにも、是非足を運んで欲しい。

そういうところには、貧相な格好をした偏屈なジジイやオッサンがいて、休憩時間になると、ロビーの隅っこで、キミがうっとり感動の余韻に浸っているさっきの演奏をボロカスに貶しているかもしれないし、コーヒーを飲みながら「めっちゃキレイ、良かった〜」と喜びを語るあなたの言葉に「ホウ、そうですか……」と無表情で返されるかもしれないけれど、「クラシック音楽」には、そういう、キッツイ「修行」な一面がある。そんな光景を当たり前だと思える胆力がついたら、キミも一人前だと胸を張ろう。「市民的公共圏」へようこそ!

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そして最後に補足しておこう。

美しい薔薇には刺がある。劇場(or歌劇場)は、舞台上の出演者の側にも、馬蹄形の客席の側にも、階層構造が露出しているので、まばゆい光と裏腹のこわ〜い闇、奈落の底へ落ちていく影の部分があるだろうことは見やすいけれど、そこを訪れるすべての人を暖かく笑顔で迎えるサロン的ないし「ホテル的」な世界にも、ちょっと厳しい残りの反面がある。

それは、あの極上の親密なホスピタリティが、厳密に「人を選別する」ことで成り立っているということだ。来場者は「棘のない薔薇」の奇跡を見ることになるけれど、それは、主催者が丹念に棘を抜き、見えないところにこっそり捨てているからだ。

先日、いずみシンフォニエッタ大阪の演奏会へ行ったところ、「今月から白石知雄をご招待しないことになりました」とのことである。

私は、こちらから積極的に招待されるべく働きかけたわけではないので、特に実害はないし、そのように言うことで何かを私に強いるつもりではないはず。(もともと、「選び/選ばれる」ことで人を制御するのは大嫌いだし。)おそらくそれは、こちらとは関係のないホールの都合。「人を選別すること」が自分たちの重要な職務のひとつであることを忘れないための、一種の儀式なのだと思う。

あくまで私の推測だが、もしかすると、このホールは自分たちの正確な自画像を描く、という「劇場的」な行為を望まないし、そんなことをされると、ホールの特性を維持するうえで致命的な何かが起きると怯えているのかもしれない、鏡に映った「世界で一番美しい顔」がある日、わたし、ではなく白雪姫に変わっていることを恐れるかのように……(違うかもしれないけれど)。そして、この推論が間違っていないとしたら、私は彼らが正しく職務を遂行していることに、むしろ感動する。

いずみホール、かなり将来性ありますよ。「ホテル的」ホスピタリティを基軸にしながら「音楽道場」的厳しさを装着し、「創造する劇場」にも名乗りを上げる志の高さがあるのですから。資本主義が未成熟だった19世紀や、敵との闘いに忙しかった20世紀の「学者的」もしくは「ヒョーロン家」的枠組みで、21世紀のお金が飽和して極端に偏在する時代に何かを再発見しようとしているのかもしれない現在進行形の取り組みを即断してはいけません。(それでも、無理なものは無理だと、この歳になると夢を見なくはなるものだが……。)そしてそうした事情を、追放されるくらい把握しているつもりの私が言うのだから間違いない(勝手にそう思いこんでいるだけだが、笑)。

というわけで、実は以上の文章は、同時にいずみホールへのお別れの言葉でもあるのでした。バイバ〜イ♪

(ヒューッと、高いところから絶望して身投げする音 ← もちろんウソ、信じちゃダメよ!)

P. S.

1990年3月某日、当番校引き継ぎのため日本音楽学会常任委員会(於大阪大学)に東京から出張で参加なさった礒山雅先生は、「このあと新地へ連れて行ってもらうんです、生まれて初めてですよ」とおっしゃっていたが、もしかするとあれは、いずみホールの開館が翌月に迫っていたのと関わりのある接待だったのだろうか……。