クラシック音楽にはもはや今さら謎はない

(まとめ)

結局、クラシック音楽と向き合う時にしゃちこばった感じになるのは、舶来の高級品という感覚が抜けないせいではないだろうか。

でも、少なくとも学問的には、日本の国文学みたいなもので、西欧芸術音楽にまつわる主要トピックは解明され尽くして、大きな謎はほとんど残っていないと、私は理解しています。どれがどういうもので、どこがどうなっているか、ということは、たいていのことがオープンになっていて、誰かが希少価値を誇ることのできる余地は、クラシック音楽には、もはや、ない。

そうはいっても音楽家になるのは大変だし、だから実際に音楽をやる人のことを尊敬すべきなのは当然ですが、でも、音楽について何かを知っているからといって、大仰な態度をとるのはおかしい。

この期に及んで高尚ぶるから、妙なことになるのだと思う。

クラシック音楽自体は透明でフラットなものだ、ということを受け入れたうえで、自分に何が残っているか、そこを考えないとしょうがないのではないか。文章を書くのであれ、興行を打つのであれ。少なくとも私はそう思っています。今さら秘密めかして何かの敷居や関門を設けるのはくだらない。

バッハ=魂のエヴァンゲリスト (講談社学術文庫)

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キリスト教な人にとっては聖書や典礼にまつわるあれこれが特別ではあるかもしれないけれど。和歌だって、天皇家の家の芸だからちょっと特別なのかもしれませんし。

和歌とは何か (岩波新書)

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