秘密クラブか、それとも、新しい公共か

はじまったばかりの試みらしいので、結論めいた断言をすべきではないと思いますので、以下は、あくまで私個人の行動の指針のメモとしてお読みください。

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とある有料ウェブマガジンをとりあえず一月分講読してみた。

理由は、以前から紙の雑誌で続いていた連載をフォローしたかったからなのだけれど、若干の懸念はあった。自分の調べ物に役立てるためにその連載をフォローしていたのだけれど、はたして有料ウェブマガジンは、参考文献や引用の出典にしていいものなのかどうか、はっきりしないからだ。

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売れっ子歴史学者の與那覇氏などは、暗黙の上から目線で、引用や参考文献は、そこに書かれている事柄について(読者が)「より理解を深めるために」掲げるものだと考えているらしいのだけれど(歴史学者が一般人に蔵書の一端を開陳するイメージでしょうか)、私はそうは考えない。調査や研究の引用や参考文献は、自分の論の根拠を明らかにして、読者がその論を検証できるようにするためだと思っている。つまり、証明書の添付書類、確定申告に支払調書の束を添えるような自己申告の作法。

そしてそういう考えに立つと、読者がそこにアクセスできないような引用・参考文献は意味をなさないことになる。

で、考えてみれば、有料ウェブマガジンは購入した人しか読めないし、バックナンバーがどのような扱いになるのか現状では定かではない。紙の雑誌と違って、図書館などにアーカイヴされない(少なくとも現状ではそんなしくみは(まだ)考案されていない)ということもあるし……。

もし有料ウェブマガジンに有益な情報が記載されていたとして、それを引用・参照して論文を書いていいのかどうか……。

引用・参照(あるいは言及)をNGとして読者を囲い込むような営業形態も可能性としてはありうるわけで、その場合には、そのウェブマガジンは、確かに世間に流通してはいるけれど、それは、従来の意味での「パブリッシュ」ではなく、対価を支払った個人の間を流通する私文書ということになる。(相当数の読者がいるけれども、あくまで「有料個人メールである」という立場で配信されている文書も実在する。)

とはいえ、このあたりは、おそらくこれから、やりながら考えていくことになるのだろうと思うので、とりあえず情報を取り損ねてはマズいので、ひとまず講読することに決めたわけである。

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さて、そしてその有料ウェブマガジンはどうだったかというと、実際に講読してみると、書き手によってスタンスが分かれている気配がある。

既存のパブリック/パブリッシュの体制への敵意をむき出しにして、そのような形態ではないがゆえに書けること、いやそれどころではなく、「パブリックな場にホントのことは書いてないよ」という感じに、対価を支払った購読者への「とっておきの情報」感をギラギラ輝かせる文章もあるし、そこまで露骨ではなくても、諸事情で既存の出版社が掲載をためらう(であろうと一般に思われている)話題を取り上げている文章もある。

でもその一方で、単にコストや効率その他の面からこの形態で文章を出しているけれど、別に通常の出版物に書くのとスタンスは変わらないし、なんなら、これをあとで一般の出版物にまとめてくれて全然かまわないですよ、という感じの文章もある。

そして私がフォローしたかった連載は、幸いなことに後者のタイプの文章だったので、ひとまず安堵した。おそらくこの著者は、(出版社さえOKすれば)有料ウェブマガジンの内容を、普通に紙に印刷されて、いずれは図書館に収録されるかもしれない文章のなかで参照・引用しても、そのことに異議を唱えることはなさそうだ。

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それにしても、「購読者だけにとっておきのお話」路線は、ちょっと恐いな、と思う。それは要するに秘密クラブの感覚なんだと思うんですよね。その場にいる数人、数十人だけが知っている情報、その人たちだけが共有できる体験があって、その「希少性」を高め、維持することに意義を見いだす態度……。

なるほど、この著者やこの著者の信奉者は、確かにそういうのを好ましいと思っているのだろうことは納得できるけれど、この路線は、どれくらいの支持を集めるものなのか。

たとえば、いわゆる「ユダヤ人陰謀論」は、おそらくこんな感じに、まだ貴族やブルジョワの社交界が健在だった時代のヨーロッパで、そうした「選ばれた人々」の間の「とっておきのお話」として広まった面があるんだと思うんですね。つまり、「とっておきのお話」は、本当に閉ざされた場に留め置かれると、極論へ傾き暴走する危険が高まる。血が濃くなり過ぎて、思いこみを補正する可能性までもが閉ざされてしまうリスクを背負い込む。

私は、むしろ、他人との間を風通し良くしておくことが、生き残る可能性を高めると信じているので、もし、この有料ウェブマガジンの「秘密クラブ」濃度が自分の許容できないところへ高まったら、たぶん講読を止めるだろうと思う。

(こういうのは「秘密クラブ」度合いを高めたほうが人気がでるものなのかもしれないので、その場合は、私の知らないところでやってくれたらいいし、そうであっても別に支障はないわけですが……。

でも、ひょっとするとこういうタイプの「ゲート」や「囲い込み」志向が、今一定以上の社会的な地位を得ている人たちの間では高まっていたりするのでしょうか。私は、そんなのは短絡的で、長い目で見たら、滅びへの道だと思うんですけどね……。ヒトを分断して過度に疑心暗鬼を煽るやり方が長続きするはずないことは、歴史をひもとけばわかると思うんだけど。)