個人主義者・大栗裕?

「リベラル」は世間であまり人気のない少数派なのだそうですが、そこで言われる「リベラル」は、「したいときにする自由」と「したくないときにしない自由」というミニマル・最小限のセットを保証してくれたら、とりあえずそれでいいから、な立場のことなのだそうで、

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

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ということは、「リベラル」ってのは、何のことはない、昔「個人主義」と呼ばれていた態度のことなんですね。

どうやら、反対に、いつでもどこでも誰(と)でも、やりたいことはやらせろ、このやろう、という自由の最大化を求める「リバタリアン」(自由至上主義者、しばしば彼らは「至高の自由」を金で買えると考えて、それで話が紛糾する、前世か幼年期に何か激烈に辛い体験をしてそれを現世で取り返そうとするかのように)と、「みんな」や「わたしたち」や「彼ら・彼女ら」のことを尊重してください、の「コミュニタリアン」(共同体主義者、リバタリアンとの対抗上、お金には換えられない「絆」や「つながり」を強調しがちで、すこやかに存続するのは結構大変)が二大政党のようにせめぎあっている緊迫した政局なので、「リベラル」([古典的]自由主義)のささやかな声(赤川氏が紹介する説では、「リベラル」はJ. S. ミルの師匠ベンサムがホモセクシャルを擁護する主張と関わりが深いらしい)は、とうてい第三極を形成し得ない少数・弱小派閥で、誰も耳を貸さない情勢、ということになっているらしい。

(そしてどうやら、「リベラル」は永遠の少数派であるかもしれない可能性も示唆されているように読める。)

これで解けた、かもしれない。

「大阪の作曲家・大栗裕」と言ってしまうと、東京一極集中とかグローバル資本主義とかに異議を唱える地域主義、共同体主義の旗を立てている感じになってしまうのだけれども、たぶんそうじゃないんですよ。

自身を取り巻く様々なコミュニティと上手につきあった人で、だから、この人を起点にすると昭和の大阪・関西にどんな人のつながりがあったのか、その見取り図を描くことができて、そのことには(それだけでも)意味があると私は思っていますが、そんな風に大阪的・関西的な人間関係の海を泳いだ本人は、たぶん彼なりのやり方で「個人主義者」だった気がするわけです。

まあだって、大なり小なり「個人主義」なところがなければ、作曲家にはならないですよね。

たぶん、そういう一面を探して、ちゃんと整理できれば、色々な意味で話がすっきりまとまるのでしょう。

(「リベラル」の語が好まれて、「個人主義」という言葉が使われなくなっているのは、おそらく、その周囲に「自我」とか「主体」とか、「近代」の「教養/成長」仮説の概念セットがまとわりついていて、とてもじゃないけれども当世風の議論にフィットしなさそうだからだと思うのですが、大正7年生まれの大栗裕には、むしろ「個人主義」という言葉のほうがしっくりする気がします。たぶん当人はこんな文豪・夏目漱石のような大それた言葉は恥ずかしくて使わなかっただろうけれども、手をのばすのだけれども届いたと自ら宣言したりしない慎ましさを含めての個人主義、ということでいいんじゃないか、と。

我田引水するならば、「夫婦善哉」の大栗・中沢コンビの振る舞いも、そういう方向を指し示しているような気がします。http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130923/p1

私の個人主義 (講談社学術文庫)

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余談ですが、夏目漱石=則天去私説の立役者でもあったらしい小宮豊隆は、その筋では「ワルモノ」として知られているようで、当時の記事では、関西歌劇団「お蝶夫人」東京公演を阻止する動きにも黒幕として名前が出ている。歌舞伎界のしがらみのなかで、アンチ武智鉄二だったようですね。