洗脳が解けた瞬間に……

20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗 通常版 [DVD]

20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗 通常版 [DVD]

びわ湖ホールで夏に10日かけてコンヴィチュニーが「魔笛」を演出したときに(←しつこくこの話で申し訳ないですが)、パミーナは断固ザラストロに洗脳されない設定になっていて、教団のローブを着るのを拒否して、ここで彼女がローブをポーンと投げ捨てるのを機に、教団の他のメンバーが解放されて狂喜乱舞する段取りだったのですが、ここが、どうもピンと来ないなあ、と気になっていました。

こういうときに人はどう反応するものなのか、演じている皆さんのなかにも、これだ、というのがないように見えたんです。

日本に普通に暮らしていると「革命」なんてないからかなあ、とそのときには思って、『音楽の友』のレポートにもそう書いたのですが、

「20世紀少年」の最後のほうで、「地球防衛軍(笑)」が並んで銃を構えたところへカンナ ユキジ[←人間記憶で書くと数日前に見たものでも間違いますね、恥ずかしい]が丸腰で歩み寄って、もういいよ、みたいなことを言う場面があって、ああ、これ一緒だなあ、と見入ってしまいました。

(原作ではこの役回りはカンナ ユキジではなくヨシツネですが、ここは女性が口火を切る映画版のほうがコンヴィチュニーに近い。原作でも、同時進行でユキジが別の部屋で洗脳された人たちに「もういいの。」と言いますから、原作のヨシツネ+ユキジが、映画のこの場面になったと考えればいいのでしょうか。)

で、そう言われて、「地球防衛軍」(高嶋政伸)がオイオイと泣き崩れるんですよね。

このほうがぴったり来るかも。こういうときは、喜びが爆発するよりも、全身の力が抜けてその場に崩れ落ちて泣くかも、と思いました。

ひょっとすると、こういう場面で崩れ落ちて泣くのは、一種の敗戦神話、「八月十五日」を描くときのパターンから来ているのかもしれませんが、

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

「魔笛」のあのシーンで教団の人々が崩れ落ちて泣く、というアイデアをコンヴィチュニーはどう思うでしょうね。

      • -

先日は関西二期会で「魔笛」を見まして、内容についてはコメントしませんが、物語の進行につれて、コンヴィチュニーが「女性をないがしろにしたくないからこうしよう」と提案したアイデアの数々をどうしても思い出してしまいまして、でも今改めて考えると、彼がそのような女性を見たい/見せたいと思うのと、同じ場面で女性がどうしたいか、は、同じではない可能性があるよなあ、と気づいたりもしたのでした。

以上、オチもなく、ただそれだけの話で、ひとつの作品の演出に唯一の正解があるわけではない、という当たり前のことではありますが。

20世紀少年 コミック 全24巻完結セット (ビッグコミックス)

20世紀少年 コミック 全24巻完結セット (ビッグコミックス)

「地球防衛軍」が泣き崩れるのは映画版オリジナルの演出なのか、原作にあるのか、それを確かめるだけのために原作取り寄せましたよ。なにごとであれ、疑問があれば、確かめる。