40歳過ぎまで小泉文夫を知らずに「現代日本の音楽」を論じようとしている人がいたことが判明したわけだが、クルト・ザックスやヴァルター・ヴィオラやブルーノ・ネトルのことは知っているのだろうか?
まさかとは思うが、ひょっとすると、そもそもグイード・アドラーやフーゴ・リーマンも知らなかったりして……。さすがにそれはないか。(いや、案外あるかも。)あるいは音楽のクラシック/ロマンティックの話をするときにブルーメを知らない、とか、相当マズイと思うのだが。
学説史はどうでもいい、ということか。そうか、なるほど。それは潔い。
いや別に知識の量を競争しようというのではない。何も知らないほうが、かえって堂々と立派に見えることってあるから、いいんじゃないかと思う。それであなたがシアワセならば。
そのあたりは、学者でも音楽家でも事情は同じ。
人間がどこまで怠惰になれるか、底はない、と一度覚悟してしまえば、もう少々のことでは驚きません。