東映時代劇

あかんやつら 東映京都撮影所血風録

あかんやつら 東映京都撮影所血風録

梅田の紀伊國屋で現物を手にとってパラパラと目次をながめて、これは大変だとその足でDVDコーナーへ行き、あわせて購入。

赤穂浪士 天の巻・地の巻 [DVD]

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京都や京橋で演奏会があって、帰りの電車で出谷啓さんと一緒になると、だいたいいつも、出谷さんから、若い頃京都の楽器屋にいて、東映太秦の撮影所に出入りしていた頃の話を聞くのです。

「右太衛門先生」と「千恵蔵先生」は別格で、監督では松田定次が「天皇」と呼ばれていた、とか、「お召列車」という言葉とか、出谷さんが言ってたのは、ほんとだったんだ、と、頭の中の回線がつながる。

出谷さんが、正月の忠臣蔵の最高傑作はこれや、と言うのが、大佛次郎原作、新藤兼人脚本の「天の巻 地の巻」なんですよ。なるほど東映の初期の歴史のなかで、とても大事な作品なんですね。

スターが必ず画面の中央にいる(だから観客が迷わない)、とか、どこにも影がないセット・照明とか、説明や段取りをばっさり切って、どんどん話が進む編集とか、なるほどその通りだし、会話とかのときには、カットを割るんじゃなくて、カメラがぐにゅ〜とパンして、ズームして、必要なものに寄っていく。長回しは、高尚な美学というより、これを見ろ、とお客さんをのっけてレールのうえを移動する乗り物みたいな感じですね。

そして音楽は、深井史郎大先生でございます。(ところどころ、場面の芝居と音楽が合ってない感じのところがあって、ほんまにこの絵を見て書いたのかなあ、と思うところはあるけれど……。演奏は当時の関西交響楽団(のはず)。)

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で、「天の巻 地の巻」は昭和31年(1956年)のお正月映画ですから、大栗裕が朝比奈隆のベルリン行きのために「大阪俗謡による幻想曲」を書こうとしつつあった頃ですが、

片山 「太陽族」が出てきたのも、日本は中途半端な復興を果たして、もうこの辺で行きどまりだろうと絶望していたからグレてしまったわけでしょう。宮台真司の「終わりなき日常」の感覚というのはまず戦後初期にあったわけですね。
與那覇 56年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれるのも、本来はそういう悲劇的なニュアンスだったようですね。
片山 確かに戦後ではないけれど、所詮、日本は外国に自由に行けないレベルの国で終わるだろう、という諦めから、石原慎太郎、裕次郎兄弟の体現したイライラが出てきた。時代閉塞という奴ですね。(145-146頁)

史論の復権 (新潮新書)

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ということで、この「もやは戦後ではない」が、もうこれより上にはいけない、という感覚だったと考えると、欧米視察から戻った朝比奈隆が、ヨーロッパの劇場には到底かなわないから歌劇は歌舞伎の協力を仰ぐしかない、と判断して武智鉄二を招いたのも納得がいく。

(東映時代劇が興行トップの座から滑り落ちて、映画そのものが娯楽の王様の座をテレビに奪われる1960年頃に、日本オペラにおいても「終わりなき日常」を受け入れる路線が頓挫して、ドイツ・イタリアもの直輸入、欲しいものは儲けたお金で外国から買ってくる貿易立国路線に転じるわけですが。)

松竹の小津映画をめぐって片山杜秀と探り合うような会話があった次に、大衆をぐいぐいのせる東映パワーを熱く語る春日太一が登場する落差が仕込んであって、與那覇潤は、ヤバいことを全部相手に言わせちゃう人だったりする。ややズルい。

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」全曲《日本語字幕》[DVD]

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ともあれ、50年前1963年の日生劇場オープニング公演、オーケストラ来日公演におけるカラヤン・ベルリンフィルの「帝王」化とともに、オペラにおける欧米直輸入貿易立国路線の口火を切る役目を果たしたベルリン・ドイツ・オペラ[「壁」による分断後の西ベルリンを象徴する文化施設がいちはやく招聘された背後に何らかの「特定秘密」はなかったのかしら?]は、ほぼこんな感じの舞台が展開されたんですよね。地下牢や合唱の場面になると、ゼルナー演出(10年前にベルリンで吉田秀和が散々評判を聞いていた人ですね、ちなみに日生劇場のアドバイザーには石原慎太郎とか浅利慶太とか、「終わりなき日常」が続くのが嫌なタイプの人たちが入っており、当時の吉田秀和はこうした人たちとそれほど遠くない立場と見られていたのだと思う、60年代のヒデカズは読売新聞に定期的に寄稿しており、まだ「朝日とNHKの人」ではありません)が芝居として面白いと言われた理由をなんとなく想像できる気がする一方、1幕の冒頭とか、背後でホルンが吠えるフィデリオのアリアを見ていると、栗山昌良演出の人がみだりに動かないアイデアの原型もこれなのかしら、と思ったりする。どうなんでしょう。