スター主義を徹底すると長大なガラ・コンサートになる(一般論)。ドゥダメル&スカラ座のアイーダとか。
関西人は、セミステージでも芝居があったほうが喜ぶ、という風説を流すのは、風紀擾乱かしら。「ホール・オペラ」という言葉を登録商標(今も有効なのかな)したサントリーも関西の企業ではあるけれど。
謡や素浄瑠璃の会を好む/好まない、というのにも、地域差があったりするのだろうか。
漠然と、演奏会形式のほうが、お行儀がよくて、マジメっぽい感じはあるね。舞台化粧もやらないし。たぶん、そういう道徳的判断が絡みそうな予感がある。
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ちなみに、ヴェネツィアがオペラのメッカになり、一方ローマで(衣装や芝居のない)オラトリオが誕生したのは、ヴァチカンのお膝元の宗教的禁欲ゆえだ、というのは俗説で、現在では否定されているようだ。オラトリオは、今では反宗教改革系統のオラトリオ派の活動を背景にしていると説明されるらしい。
- 作者: 松本康子,リーノ・ビヤンキ
- 出版社/メーカー: 河合楽器製作所・出版事業部
- 発売日: 2004/12/24
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今はきっと、ずっと精密に色々調べられているのだろうけれど、とりあえず日本語訳があるのはこれか。レチタティーヴォの台詞回しと、オラトリオの語りは、同じように鍵盤楽器の伴奏で進行していても朗唱の様式が違う、という議論もあるみたい。
オペラを演奏会形式にすると、外見はオラトリオっぽくなるし、バッハのカンタータとも似た感じになるけれど、たぶんそれは「他人の空似」なんだろうと思う。少なくとも18世紀の段階では。
オラトリオ「メサイア」とか、ベートーヴェンの「歓喜に寄せて」のカンタータ交響曲とか、日本の年末は、この形式が風物詩になってはおりますが……。
(ということは、今急に思いついたのだけれど、毎年年末にひとつずつ18世紀のオペラ・セリア(音楽的に重要だけれど上演機会がないような)を演奏会形式で取り上げる企画は、ありかもしれないな。グルック様式のセリアだったらチェンバロは要らないし。)