ビとボの話:音楽に「美しさ」はあるの、要るの?

そういうのをことさら強く求める人は、たぶん、音楽を一方的に愛しているが、音楽からは愛されていない気がする。

で、おそらく「うつくし」という日本語が示唆する感性は、beautiful と西洋人が口走る現象と、実はあまり重なっていない気がする。

基本的なことだが、ビ(美)とボ(beau)の違いを一度整理しておきたいものだ。

たぶんこれで、芸術を乾いた散文(批評)で取り扱うのではなく、美文で取り囲み、飾りたてたいと欲する俗情を説明できそうな気がする。批評に美文は必須じゃないし、だからこそ、嫌いな人には大金を積まれたって「うつくし」は贈らない、というイケズな批評が成立する余地が生まれるとも言える。

(たとえば、吉田秀和は、理性的・対話的ではあるけれど、「うつくし」を誰に贈るか、ということについては相当なイケズをやり続けたよね。そこは強情にブルジョワ的だった。世の中には、こうした「うつくし」をめぐるイケズの闇に惹かれる一群の嫌な人たちが今もいる。日本のディスタンクシオン(ブルデュー)があるとしたら、これじゃないか。

そこは迂闊に手を出すと傷つかざるをえない魔界。金と根性だけでは無理だよ。これ相当親切な助言だと思うんだけどなあ。)

韻文と散文の話へつづく → http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140130/p3