ラジオのワーグナー、映像化されたワーグナー、村の鎮守のワーグナー

NHKのFMで今年のバイロイトを放送してますが、これをなんとなく流しながら、先日貸していただいた笹田和子(日本初のワーグナー=ローエングリンでエルザを歌った人)さんの資料音源を聴いたり、「未来の芸術 バイロイト祝祭劇100年」というシェロー/ブーレーズの1976年の指輪の直前にまとめられたドキュメンタリー映像を眺めたりしております。

笹田さんの資料は、昨日なんばのFM大阪へ行って、1986年にドキュメンタリー番組を製作した吉川さんから貸していただいたもので、

じゃあなんで昨日FM大阪へ行ったかというと、吉川さんが日曜深夜=月曜早朝25:15からやっている番組で、今年の関西のクラシックを回顧するから来い、ということだったのでした。

放送はもうすぐですね。NHKの「ラインの黄金」はもう終わって、トークコーナーになりましたから、

(おお、ゲストの宮本さんは関オペ、堺シティオペラからドイツへ行った人なのか!)

このあと、よろしければどうぞ。FM大阪25:15〜26:15です。

かなり雑にしゃべったような気がするので、番組が成立しているとしたら編集スタッフさんのおかげだと思われます。[追記:完全に「取って出し」でした。生放送同然と思ってしゃべらなければならなかったようです。]

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VHSやLDで出たあとDVDにもなっていたんですね。

「バイロイト100年」は、主にヴィーラント・ワーグナー時代の稽古や舞台の映像をつなぐ淡々としたドキュメンタリーですが、食堂で合唱団のみなさんが地域の寄り合いみたいな雰囲気で糸車の練習をしていたり、アニヤ・シリアが、足組んでやる気無さそうな感じにオーケストラとのリハーサルにつきあっていたり、立ち稽古で台詞がまだ入っていなくて、そのことを皮肉るかのように、直後にピアノで自主練してる姿が挿入されていたり(笑)、なんだか、色んな人が入り乱れる年に一度の村の祭りの準備みたいですね。

考えてみれば、実際そういうことなのでしょう。

イタリア人やフランス人が地中海の神話をオペラという名の祝祭劇として盛り立てているんだから、ドイツ人も北方神話のフェスティバルをやるべきだと思いついた男が台本と音楽を書いて、畑の真ん中に劇場を建てて、それを子孫が受け継いでいるのだから、本願寺のご真影を親鸞の子孫が守ったり、菅原道真・天神様を祀った海辺の神社が毎夏、船の形の地車で盛大に祭りをやるようなものなのでしょう。

ヴィーラント・ワーグナーの稽古は、思ったより細かく表情をつけて、本人もよく動くし、「具象を排して象徴的」というのがホントなのか。「無駄な動きをするな」とは言っていますが、現在の感覚で見ると動きが少ないのは、60年代のゼルナーのベルリン・ドイツ・オペラの映像だってそうですから、同じ時代の他の人たちの演出と並べて考えないと、いわゆる「新バイロイト様式」だけ取り出して論じたり、バイロイトのそれ以前やそれ以後と比べるだけだと、判断を間違ってしまいそうですね。

(1960年代のオペラの映像を見ていると、バイロイトにかぎらず、「舞台上でごちゃごちゃと動かれたら音楽に集中できない」→「音楽の邪魔をしないように、無駄な動きを排除する」という考え方でやらないと誉めてもらえなかった時代だったのは間違いないのかな、と思います。

ただし、テレビや映画になった映像は、演出者の意向と撮影の技術的な条件などが重なって、実際の舞台以上に動きが抑制されているように見える。

おそらくお客さんを入れずにカメラを何台も劇場に入れてZDFが撮影したと思われる60年代ベルリン・ドイツ・オペラの映像よりも、劇場の本公演を、お客さんの邪魔にならない位置から撮影している60年代70年代バイロイトの映像のほうが、むしろ、歌手の表情や演技は生き生きしているんですよね。

「新バイロイト様式」とは何だったのか。具体的に詮索するには、かなり手間暇かけないといけない気がします。)

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ナクソスの日本版はいつ出るのかな。
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こっちの、「ドン・ジョヴァンニ」や「ドン・カルロ」をドイツ語上演しているのが、私には興味津々です。

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あと、「村祭り」感満点の人たちがやっていたところに、ビルギット・ニルソンが登場したり、ヴィーラントが死んだ後、弟の時代に劇場が財団になって、オフィスで「社長」風にミーティングしているしている映像があるのは、「迫り来るビジネス化の波」ということなのでしょうね。

(ビルギット・ニルソンは、むしろ、ショルティの指輪全曲とか、レコードでイメージが定着した人なのではないかという気がするし、「夏のバイロイト」がワールド・ワイドに「聖地」化したのは、ウィーンのニュー・イヤーコンサートが世界同時中継されたり、カラヤンが映像に本格的に乗り出したりしたのと同じ1970年代以後の現象ではないかという気がします。「シェローの演出」も、最後の年に全編を収録して商品化されたこと抜きには、影響力を語れないだろうし……。)

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で、そのあと東欧などから劇場・演出の新しい発想がオペラ(ワーグナー上演)に入ってくるのは、「作品解釈」という風な縦軸で見るとおかしなことになって、60年代以後の演劇全般の動きと連動しているんだろうと思う。

オペラは劇場でやる色んな出し物のひとつなんで、そうなると、

「どうしてオペラのときだけ、作曲スタッフの意見が最優先じゃなきゃならんのか。だいいち、この譜面を書いた奴は、もう100年前に死んでいて、スタッフ・ミーティングには出てこれないわけだし、こいつ、俺たちの劇場の事情なんて、何も知らないじゃないか。そんな奴の言うことに従うなんて、スターリンの独裁じゃないか。指揮者と歌手とオーケストラのOKが出れば、音楽変えちゃっていいんじゃないの? 百歩譲って、譜面はそのままやるとしても、このト書きはいまどきダサすぎるっ」

ということだと思うんですよね。

出てきて当然のそういう疑問を、上手に「演出」として見せてるのがコンヴィチュニーとか、そのあたりの人なのでしょう。

(上意下達の「独裁」「個人崇拝」は嫌だ、という考え方を梃子にして、消費社会の欲望とリベラルなユートピア思想を手品のように絡み合わせる立ち位置は、いわゆる「新左翼」と似たところがあって……、というか、そのものずばりだと思いますが……、だから「演出の劇場」を日本に入れようとすると、いわゆる「サヨ」の自業自得と言えなくもないかもしれない人気凋落のなかで、どこにどう着地するか、オトナたちに「若造のいっときの流行」と処理されない工夫が要ることになるのでしょう。)

むしろ、起きていることとしては、「クラシック音楽だって、テレビで放映するときには、テレビ番組としてのノウハウを入れて制作しないと成立しない」というのに近いんじゃないかと思う。

「演出の劇場」は、オペラが現在の劇場でどうすれば上手く機能するか、という、いわば「環境問題」なので、音楽(の解釈)の歴史だけでは解けなさそう。

(町に劇場はひとつだけで、演劇もダンスもオペラも来るお客さんは一緒、という環境で演劇系スタッフの意向が強くなるのと、家族経営でやりくりする芝居小屋(兼式典実行委員会)がニューヨークの巨大資本に対抗して「世界」に商品を売るには、極東や南米の指揮者を呼んだり、映画やミュージカルの有名演出家を入れるカンフル剤が必要だと考えるのと、極東のお金持ちが情報誌片手に「あれが観たい、これも観たい」と指図するのを受けて、手配師が世界のあちこちに買い付けに走るのは、それぞれ意味が違うと思う。)