「大阪21世紀協会」的なもの

吉本新喜劇ギャグ100連発、みたいのがあったじゃないですか。パチパチパンチとか、そういうのをひたすら繋いだ映像商品。

80年代に漫才ブームがあって、80年代終わりにダウンタウンが東京に拠点を移して成功したら、その直後に、「大阪にはもっとディープなんがいっぱいおる」という感じに、上岡龍太郎が東京の番組でも司会をするようになって、その頃100連発が出た、と記憶しています。

大阪が売り込んだのか(吉本興業が本格的に東京で事業展開するようになった時期ではありますよね)、東京が買い付けたのか、こういうのは、どっちがどっちとも言えないかもしれませんが、何かこう、どさくさまぎれの在庫一掃セールみたいな感じがあったのは否めない。(そういえば、月亭八方が「いいとも」のレギュラーになる、という珍事もあった。)

一連の騒ぎがあったから「役割としての大阪」のキャラが確立したのでしょうが(90年代末に出てきたナイナイになると、最初っから東京でしか仕事をしない大阪芸人ですもんね)、たかじんは一瞬東京の番組に出たんだけれども、すぐにやめちゃって、その後も、上沼恵美子のようにNHK大阪の番組のヒットで紅白の司会、ということすらなかったものだから、どんどん大阪で株が上がった、という感じなんだろうと思います。

(「ローカル・タレント」だけれども、その「ローカル」には、中央=東京との関係が、本人的にも周囲の支持にも読み込まれている。東京の番組に一切でない人の死の速報が全国放送で流れる、というのは、とっても、たかじんっぽいかもしれませんね。)

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改めて考えてみますと、同じ80年代に財界と大阪府市が一緒になって「大阪21世紀協会」というのを作って(名前のテイストから予想できる通りに小松左京ですよ)、御堂筋を一日歩行者天国にしてパレードをやったり、松下のツインタワーがある京橋のビジネスパークが整備されたり、鶴見緑地公園で「花と緑の博覧会」をやった頃ですね。

朝比奈さんが、大阪以上に東京で熱烈に評価されたり、米朝師匠がどんどん偉い人になった時期でもある。

「水都」という言い方で、それこそ、大阪という都市がダイレクトに世界へ向けて発信する、というような世界都市のヴィジョンがお役所的にはどんどん整備されていって、まあ、そういうのを信じるにせよ信じないにせよ、大阪のシンボルみたいな人・タレントを、(「世界」はともかく)とりあえず東京でしっかり売る道筋ができたと思えた時代だったのかなあ、と思います。

「そんなんは一時のもんや」と言う人がいてくれてよかった、ということじゃないでしょうか。

朝比奈さんや米朝師匠も、あれだけキャリアがあって、今さら周りにおだてられて舞い上がるはずもない人たちでしたから、そんなこんなで、この時期に「商品としての大阪」は随分大きくなったけれども、当事者は結構冷静だったような気がするんですよね。

それが「21世紀協会」な90年代だったのではなかろうか、と思います。

東京の人たちは、何にどんな風に反応するのか、とか、このときに、ノウハウはいっぱい集まりましたもんね。(そのノウハウをズルく運用しすぎである、といって、島田紳助はバッシングされてしまいましたけれども……。)

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ともあれ、「世界都市」とか、そういう大きな旗は、立ててるだけ・体面を維持するだけでもお金がかかりますから、うまくいかないんだったら、どこかで旗を降ろさないと仕方がなくて、それが改革派首長の登場、ということなんですよね、たぶん。これからは、自治体に頼ることなく、自分の旗は民間人が自分たちの責任・自力で立てろ、と。

で、そもそもの発端の80〜90年代のときに、そういう美味しい話に「のらなかった」のが、たかじんだから、この人を後ろ盾ということにしておくと、首長さんにとっては好都合なんだと思いますが、

(思えば上岡龍太郎も、周囲に担ぎ上げられた横山ノックに、漫才の相方としてツッコミを入れられる立場だったのが大きかったかも……)

まあ、それはテレビのなかの話ですよね。

「民間」が実際に動き出しはじめると、自治体は、もうそんなに頑張らんでも自然と影が薄くなりそうで、そうなると、もう、たかじん、あんまし関係ないかも。

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

諦めて、もう大阪は大きな地方都市でいいんだ、ということでもなくて、

色々試みてなかなか思うようにいかなかった長い歴史があることがこの本を読むとわかるし。これは腰を据えてじっくり取り組む長い話だとわかりつつある、ということではないかと思います。

(それにしても、この年末年始は、ほんとに「平成は終わった」感があるですね。)