労音考(2):「ソーシャル・キャピタルが豊かな社会は“寂しい”」、という戦後日本のリベラルの逆説

「つながり」の戦後文化誌: 労音、そして宝塚、万博

「つながり」の戦後文化誌: 労音、そして宝塚、万博

最初に読んだ印象が強すぎましたが(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140121/p1)、
徐々に冷静さを取り戻しつつ長崎励朗『「つながり」の戦後文化誌』を再読。

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労音の盛衰を分析するキーワードは「キッチュ」。音楽だと、もともとは19世紀の平易な家庭用ピアノ小品(「乙女の祈り」とか)を指すのが一般的で、量産可能な工業製品がアートに「なりすます/成り上がる」現象が、産業革命による都市の拡大がもたらす一種の「症状」として発症した、という感じに使われる言葉だと思いますが、戦後日本の高度成長期に「キッチュ」を投入するのがお見事。たしかに、19世紀後半のドイツと似たようなことが起きたと言えないことはなさそうですもんね。

「なんちゃって」な「まがいもの」としてのキッチュ、というのは、現象というか概念として面白いので、言葉としては色々な場面で使われますが、宝塚・労音・万博(本文では石子順造を参照して、前衛いけばな、にも言及される)をキッチュ認定するのは、案外、この言葉のオーソドックスな用法かもしれませんね。(オーソドックス=正統的なキッチュ、というのもおかしな言い方ですが。)

日本・現代・美術

日本・現代・美術

そしてキッチュを拒否するとアートはどんどん症状が悪化する。そのことに、みんなもう気づいている。

戦後激増した地方出身高卒ホワイトカラーの皆様の「教養」や「創造」への渇望に応じる形で、当時はまだ十分に新しかった各種音楽(50年代初頭のクラシック、60年前後のポピュラー洋楽、60年代後半のフォーク)を、達意のプロデューサーたちがとても上手にそれらしいイメージに加工して成功を収めた、という労音成長期(1950〜60年代)の図式、そして労音が衰退していく過程に、「創造・変革」が経年変化でオーソライズ(正統化)されて色褪せていく様を指摘する「文化の生態史観」、どちらも鮮やかで、「若者文化」を考えるときに他でも使えそうだから、覚えておきたい。

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で、社会科学の論文としての大枠は、戦後日本の音楽文化における「つながり」(こういう、経済指標では補足できない人と人のネットワーク等々のことを「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」と呼ぶんですね、始めて知りました)のケーススタディなのだと思います。

折しも「絆・つながり」を論じるのはとても流行っていて、

本書も、社会の豊かさの指標として「ソーシャル・キャピタル」を各種データから数値化する『孤独なボウリング』への言及が最初にあるわけですが、

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

でも落ち着いて読むと、最後のところで、「つながり」が潤沢な社会は豊かな社会、という暗黙の前提をひっくり返して、高度成長期の労音の隆盛は、当時の都会の若者の「寂しさ」の裏返しではないか、と指摘しているんですよね。

創価学会の研究 (講談社現代新書)

創価学会の研究 (講談社現代新書)

創価学会と共産党は同じ階層にリーチして躍進した、という玉野和志の指摘に反対側からアプローチした格好ですね。

これが、20世紀の都市型リベラルの構造的な弱点、アキレス腱なんだろうな、という気がします。

リベラルは「寂しい」のである、と。

で、「寂しい」ものだから、それを克服した反対側、というか、羨望や希望や目的として「豊かなつながり」をポジティヴに設定してしまうところがある。

「つながり」(ソーシャル・キャピタル)は、そういうものとして流行ってるんですよね。つまり、「つながり」は、現に今そうである状態としてではなく、必死に獲得せねばならないもの、そこへ向けて努力すべき状態、みたいなニュアンスになっている。

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でも、この何かに追い立てられるようなメンタリティで生きていると、「寂しさ」をまぎらわせる誘惑に「釣られる」ことにもなりかねない。

たとえば、ソーシャル・キャピタルじゃなく、経済で言うところのリアルな「資本」は、しばしばそうやって、「寂しいフリーランス」を誘惑してコントロールしようとしたりする(笑)。

「寂しい個人」を上手に誘惑するのは、おそらく、20世紀タイプの「動員」の基本装備ですよね。ハニートラップとか(笑)。

そこまでして、つながりたいか(笑)。つながるところはつなげるに越したことはないにしても。

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

ノワールなハードボイルドが突き抜けてカッチョイイ感じがするのは、この種の「寂しさ=豊かなつながりへの渇望」の磁場にひっかからないからなんだろうと思います。

ただし、ソクーロフみたいに、芸術家の「孤独な魂」をあまりにも真面目に受け止めて神格化するのは違和感があり、やりすぎちゃうか、と思っちゃいますが……。この、孤立を恐れなさすぎるやりすぎ感を逃れる意味でも「ハードボイルド重要」と思ったりします。

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まあ、ハードボイルドな一匹狼は極端・極北な話すぎるかもしれませんが、「寂しさ」を抱えつつ「つながり」の手札をたくさん集める、というのは、本当に「豊かさの指標」になりうるのかどうか。

現実にそういう磁場・力学がある(あった)、という認識は大切にしながらも、そこにすがることを万人にお薦めするわけにはいかないかもしれない。

ソーシャル・キャピタルなるものが指し示す「寂しさ=豊かさなつながりへの渇望」の磁場は、「若者」が通る通過点くらいに留めて置いて、ひとりものはひとりものなりに、社交家は社交家なりに、それぞれの豊かさがあることがじんわり感じられるくらいに、ヌルい湯加減の世の中がええんでしょうな。

そんな「ええ湯加減」をこれから塩梅しようとするときに参考になるかもしれない事例として、労音がある、ということでしょうか。

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労音にあつまった若者たちは「寂しい」けれども、彼らに数々のコンテンツを提供したプロデューサーのほうは、有り余る「ソーシャル・キャピタル」のなかにいた人たちのように見える。大栗裕も、当人は円満な人で、都会でひっぱりだこに多忙な人だったからこそ、余暇は独りで山歩きしていたんですよね。

そのあたりのバランスシートが崩れて、プロデュースするほうも「寂しさ」を抱えた人たちだったりすると、たぶん、この種の事業は共倒れになる。次の世代の「全共闘的なもの」とか、ひたすら前のめりな開発主義には、ちょっとそんな感じがありますよね。

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……ということで、戦後大阪の「宝塚・労音・万博」は、現象としてまぎれもなくキッチュだし、「寂しい若者」が身を寄せ合う形での「つながり」志向ではあったけれども、プロデューサーの側に「阪神間山の手」とか「旧帝大卒」とか「商家の旦那衆」とか、全然寂しくないソーシャル・キャピタルが揃っていたから楽しく回ったんじゃないか、というお話でした。

万博が終わって、ひとしきり「ジャパン」を「ディスカバー」し終わった70年代後半以後、時代のキャスティングボードを「東京」が握る一極集中が一段と・急激に加速したわけですけれども、

ぶっちゃけ、こーゆー「大阪」に育った者の目には、「東京的なもの」とは、「寂しい人」が同じように「寂しい人」を支配する「形式」だけが拡大・精緻化する現象に見えてしまうわけですわ。

大阪は、「寂しい改革者」と言ってよいであろう市長さんの暴走を、無傷ではないけれども、どうにか一定のラインで食い止められそうな感じだと思うのですが、そんな2014年に、様々な「寂しさ」を胸に首長を志願する人たちがいて、東京も大変そうですね。