10年ぶりの引っ越し(ヴァーチャルに)

iBook G4(と言って今はもう意味不明だろうか)がご臨終。10年使って、キートップはすり切れたり外れかけたりしていたので、天寿を全うしたと申し上げてよいでしょうか。

マーベリックなAirで父の一周忌を迎えることになりました。

データの引っ越しで事故がないためには、特殊な形式でなく極力ベタのテキストでもっておくのがいい、という原則はやっぱり変わらないなあ、と思った次第。

今時なら「クラウド」(でいいんですか?)があるわけですが、どこまで信用していいのかどうか。個人のアドレスやスケジュールは(私は恐くてやっていないけれど)どこかのサーバと常時同期でもしておかないと、手元には、安全に引っ越すことのできる形式のデータは残らない……。考えさせられますね。

サウンドトラックもそうですよね。iTunesでしか持っていない音源とか、プレイリストの構造とかまでそのままで引っ越すことを考えるとひどく面倒になる。

データ形式は標準化して、インターフェースを自由に着せ替え可能にするのがいい、という設計思想が、昔よりは広まっているとは思うけれども、肝心なところでつまづきそうになる。

PIMやサウンドトラックに固執すべき「自我」はない、とまでは割り切れていない、そこがおまえは古い、ということ……なのかなあ。むしろ、コンピュータに乗せない情報の意義、みたいなことを考える人が出てくることを意図せず促しているような気がしないではない。