小さな世界

パソコンを引っ越して、使えなくなった周辺機器などを整理しながら、10年過ぎると変わったことはやっぱりあるなあ、と今更ながらに思う。10年前は、その段階ですでに古くさい記録媒体だったZipドライブとかも使ってましたから……。

いずれは世の中のありとあらゆる情報にコンピュータを使ってアクセスすることになるんじゃないか、そうなったらどうする、というような性急な物言いがあったのが、

今となっては、さしあたり仕事の範囲で考えても、たしかに紙からコンピュータでのやりとりに移行したことは色々あるけれども(原稿をFAXで送る、とか、今はもうないし、資料の楽譜もしばしばPDFで届く、曲目解説の準備が、その作曲家の伝記や作品表を紙の本からひたすら写すことからはじまる、ということも、マイナーな作曲家の場合以外ではなくなったし、音源はCDからリッピングしなくても音楽配信サービスでかなりの部分がカヴァーできる……)、そのことで、「ここから先にはネット上では届かない」という境界線もおぼろげに見えてきたように思う。むしろ、コンピュータではどうにもならない部分にどう対処するか、そこの「地力」みたいなものが大事な感じがある。コンピュータを通して拾えることだけでどうにかしようとすると、薄くなるんだよね。

そうして、そんな風に内と外の境界、物事の広がり具合の感じが改めて見えてくると、

ネット上(だけ?)で、しばしばひょっとすると「寂しい」のかもしれない人々が手作りの「コミュニケーション」を交わし合って事足りる範囲って、ものすごくちっちゃいんだ、ということも見えてくる。小さなことからコツコツと、という考え方もあるけれど、限られたインタフェースで無理矢理、情報の通路を小さくすることはなかろう、ということですね。そういう風に通路を限定して、コンピュータ特有の手法で情報をつなげ直すことによって、人の関係性をシャッフルする効用はたしかにあるけれど、そういう効果が及ぶ範囲は限定的だと考えた方がよさそう。

まあ、いわゆる「敷居」が低くなって、いろいろな人が「情報発信」するようになったからそういうことが見えてきた、という面もあるわけで、局面が変わった、という感じでしょうか。