週刊誌ネタの入り口と出口

[追記あり]

週刊文春の記事を読みましたが、週刊誌がいい仕事をした一件になりましたね。火に油を注ぐような暴露スキャンダルというスタンスではない形で。

[追記その1]

ちなみに、件の交響曲のライヴは、純粋に曲の善し悪しの予測としては「どうせロクなもんじゃないだろう」と思いながら行って、実際、いろいろなところが中途半端な音楽だったので、この人の活動(この人の名義でなされてきた活動)については、純粋な曲の善し悪しとは別のところで、症例観察のつもりで眺めてきたつもりです。価値判断は、最初から脇においている。(そこまですっきり覚悟を整理できていたわけではなかったかもしれないし、後述するような思いもあり、弱いところを突かれた感じに動揺しながら、それでも、そのような一線を守れたらという気持ちはあったと思う。)

それから、代作を請け負った人の数日来の対応はたぶん今考え得るかぎりパーフェクトっぽくて、「贖罪の道」ということになるかと思いますが、そうなるとあとは、そうした「贖罪」が容れられるかどうかは、煎じ詰めれば、日本の作曲家業界が一種のギルドとして今も機能しているのかどうか、の一点にかかってくるわけで(罪を憎んで人を憎まず、みたいな)、そこは、もうほとんど私には興味がないです。代作を請け負いその事実を公表した方とその直接の関係者、それから作曲稼業で生きているご同業の方々の間のドメスティックな関係性の問題なので……。

今も作曲家のギルドは生きているし、そのいや増す発展に寄与するべく私は思考・言論しているのだ、と自負する方々であとはやっていただければ。

[追記その1おわり]

もうちょっと視野を広く取ったところで音楽の「専門家」に何かできることがあるのか、と考えると、私が今知りたいのは、

(1) まだ「全聾」を標榜していないし、パートナーも見つけていなかった30前後の無名でキャリアもない若者が、いくら「シンフォニーの小室哲哉になるぞ!」と野望を抱いたのだとしても、それだけで大きな仕事を受注できるとは思えない。そのあたりはどうなっていたのか、彼が最初に食い込んだのは、音楽業界のなかのどういう部分なのかしら?

ということ、そして、

(2) この先は、全部「なかったこと」にして幕引きなのだろうか、

ということ。

クラシック音楽が「音楽そのもの」を清く正しく慎ましく享受する小さなサブジャンルとして、これからは細々やっていく、というのであればそれでもいいけれども、「物語」の力を借りないでやっていけるとは思えないし、何らかの「物語」に吸引される人が、これに懲りていなくなるとは思えないわけで……。

私は、事実は事実として受け止めたいと思う一方、面白い「物語」は大好物だし、この2つは排他的な二者択一ではないと思うし、「だまし」と言われてしょうがない領域に落ちてしまったプロダクションがひとつあったくらいで、びくびくする必要はない気がする。

そういう意味でも、最初にもどって、人の縁を上手にたどってスクープをまとめあげた週刊誌ジャーナリズムが機能してくれてよかった、と思うんですよね。

芸大ガダニーニ事件で口火を切ったのがどこだったのか、経緯は知らないですが、「黛敏郎の芸大教授就任を阻む教授会!」みたいな週刊誌記事が出たりするくらいには、慎ましくない話題が時々あるくらいのほうがいい。そこへ食い込もうと野望を抱く人がいるのは、まだ「死んでない」ということなわけで。

シューベルト:冬の旅

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「冬の旅」だと、烏が「こんな奴は餌にもならない」と見放していなくなっちゃうし、死のうと思ってお墓に行っても自分が入る場所がない、とか、本当に希望がない状態はキツそう。世間の話題になっているうちが華だ。

[追記その2]

そしてやはり最後に問いかけてみたい。

(3) もし本当に全聾でなおかつ音楽への思い止みがたい人がいらっしゃったとして、その人が作品の設計図を言葉や図形で作成した企画を持ち込んできたら、それをスコアへと実装する仕事を受ける作曲家はいないものなのだろうか(共作等で名前が出る前提で)?

たとえば、そういう企画が持ち込まれた場合、吉松隆は条件次第では受けるんじゃないか、と思うのだけれど、どうなのだろう。

(スポーツ音痴だけれども野球の監督をやってみたいと思う人、というのは実際にいそうな気がするし、企業家がスポーツチームのオーナーになるなかには、その競技が好きで好きでたまらない、ということもありそうですよね。実際にやってみてうまくいくかどうか、保証の限りではないけれど。

そういえば、昔NHKで、作曲家・アレンジャーがスタンバイしていて、素人さんの鼻歌のメロディを採譜して、最後に生オケ伴奏で仕上げてお披露目する番組がありました。それのシンフォニー版みたいな感じのことをやるとどうなるか。

現に私は色盲ですが絵画にとても関心があるし、もし、誰かが美術展へ同行して、ひとつずつ、この絵はここが何色で、そこは何色で、だからこの組み合わせはこういう風な効果がある、等々と逐一説明してくれるのであれば、喜んでお願いしたいと常々思っている。

ただし、実際にはそれに似たことを人にお願いしたこともあるわけだが、そうすると何が起きるかというと、よほど絵画に通じた人でなければ、「本当にこういう説明でいいのだろうか」と責任を感じて、途中で心が折れてしまったりするようで、うまくいかなかった。

だから、18年パートナーシップが続いたというのは、曲を作らせるほうも、受けて立って作り続けたほうも、世間的に誉められる方向へ向かうプロジェクトではなかったけれども、率直にすごいこと、様々な条件がそろった希有なケースだったのだろうと思う。参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140205/p1