「持ち曲」巡業のインフラ

そういえば、全国各地でそれぞれの地元のオーケストラを使って巡回公演やるのって、どういう興行のインフラに乗っているのだろうか? 「彼」はその形態だったようなのだけれど、既存の何かがあって、その回路を使ったのか、それとも巡回公演のしくみそのものを独自開発したのか?

見た目が似て見える例としては、すぎやまこういち先生のドラクエコンサートというのがあって、毎年各地でご自身の指揮でいろいろなオーケストラがドラクエのオーケストラヴァージョンを演奏すると、毎回、確実にお客さんが入るらしい。

ソリストさんのなかにも、ほぼ「持ち曲」があって、それで全国を回る人がいる。フジコ・ヘミングが有名だけれど、ほかにも何人か、そこまでの規模ではなくてもそういう人はいる。

ただし、この場合はクラシック系のマネジメントや音楽ホールや楽団の横のつながりがあって、そのツテでネットワークが広がっているのかな、という感じではあるけれど。

で、こういう場合、「物語」で人が集まる=興行が成立するのか、それぞれの公演は「音楽としての意義」がそれぞれの公演ごとの事情にあわせて企画書的に提出されて動いているのか、グラデーションがあるんじゃないかと、具体的なことはわからないなりに、なんとなく想像してしまう。

(そして戦後で言えば、「労音回り」とか「親子劇場」とか、鑑賞団体の側で、そういう風に全国を桜前線のようにめぐっていく興行を「当地にもやってきた」と歓待する構えが、少なくともかつてはあったっぽい。そういう、ちょっと懐かしめの回路を動かしてみたら案外今でも使えた、みたいなところがあったりはしなかったのだろうか。)

「彼」の場合、もちろん、破格に話が大きくなった一番大きな外側の輪は、通常のクラシック音楽関連の現象では説明できない「音楽享受の現在」と共振しているのだろうけれど、シンフォニー規模の企画になると、人とお金が大きく動くので、それを動かせる事業体のようなものがないとおかしい気がする。それは誰・どこだったのかしら。

一連の報道のなかに出てきた名前のなかでは、ひょっとするとここかなあ、と思うところはあるけれど……。