時系列の整理

慌てて書いて、また間違うといけないので、まずはちょっと整理してみる。

手元の過去のスケジュールを確認してみたら、

佐村河内 京都コンサートホール
2010/08/14 14:30〜

という記載が自分のスケジュールのなかにあって、これが交響曲第1番の全曲初演だったみたい。

全曲初演は2010年8月14日、京都コンサートホールにおいて、秋山和慶指揮、京都市交響楽団により行われた。

交響曲第1番 (佐村河内守) - Wikipedia

私のスケジュール(iCalですが)では同じ時刻に他の用事が並んでいて、このコンサートには行っていないことが確認できた。

記憶では、別のコンサートでもらったチラシのなかに佐村河内演奏会のチラシが入っていて、そんな人がいるなんて初めて知ったので、とりあえず日時だけメモして、帰宅後、ネットで多少調べたような気がする。で、他の用事と重なっているし、行くほどではないか、と考えたのだと思う。

チラシやネット上の情報で、すでに「全聾」や「被爆二世」が謳われていたと記憶する。

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この4ヶ月前にこの曲の東京における初披露があって、

第1楽章、第3楽章のみの初演は2008年9月1日に広島厚生年金会館において、「G8議長サミット記念コンサート~広島のメッセージを世界に」の枠内で、秋山和慶指揮、広島交響楽団により行われた。その後第1楽章・第3楽章のみの改訂版初演が2010年4月4日に東京芸術劇場において、大友直人指揮、東京交響楽団によって行われた。

このコンサートを機に、吉松隆がレコード会社にこんな作曲家がいる、と教えたとされる。

その彼が書いた交響曲が2010年4月に東京初演されることになったと聞いて、付き合いの長いコロムビアのディレクター氏に「面白い作曲家がいるよ」と紹介し、それがきっかけで今回問題になったCDが生まれることになった。

続S氏騒動: 隠響堂日記

吉松隆は、本当にCDを作ることになったと知って驚いたそうだが、たしかにこの時点では、突然京都で大々的にコンサートをやると言われても戸惑いがあり、「ほんまかいな」という半信半疑な受け止めだったような気がする。

私が佐村河内守氏の存在を知ったのは、まだ彼が「独学で難聴の(無名の)作曲家」にすぎなかった5〜6年前。しかし、その頃から熱狂的な信者が大勢付いていて、ネットでしきりに「サムラゴウチこそ真の天才である。それに比べてヨシマツは…」と必ず私を引き合いに出して悪口を言われていたので(笑)名前を覚えることになった。

続S氏騒動: 隠響堂日記

とのことなので、吉松が佐村河内を知ったのは2010年よりさらに数年前なのだろうと思う。

週刊文春の記事によると、佐村河内は、ある日突然「全聾」になった、と新垣に言ったそうだけれど、それが具体的にいつ頃なのか、までは特定されていない。2007年には自伝が出て、2008年には広島で交響曲の一部が演奏されたらしいけれど、「5〜6年前」というのは、そんな2007、2008年頃を指すのだろうか。(だとしたら、すでに「全聾」を公言したあと、ということになる。上の引用の「難聴」の語は、その意味ですね、たぶん。)

[その後、吉松隆から佐村河内作品との最初の出会いについてのコメントが出た。必読。→ http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-c3d0.html ]

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交響曲のレコーディングは翌2011年の4月、発売は7月だったらしいけれど、そのことについてリアルタイムの記憶は私にはない。

そして2012年10月に大阪交響楽団が大友直人の指揮で、この曲を定期演奏会に取り上げた。大阪響は、児玉宏の就任以来、客演の人を含めて、指揮者にやりたい曲を存分にやってもらう方針で定期のプログラムを組んでいるので、これは大友の意向が強く働いたのだろうと思われる。

私はこの演奏会を聴きましたが、それは、今自分のスケジュールを確認してようやく思い出したのですが、芸術祭の審査員をしていて、この公演が芸術祭参加公演に採択されたからだったのでした。

それで、色々思い出しました。

公式な記録等はすでに出ているので、特に隠すことはないと判断して書きますが、芸術祭はまず事前の審査があって、その会議のときに、私は(先の京都公演のときに多少調べた経緯があったからだと思いますが)「この曲は純音楽的な理由で話題になっているわけではない節があると思われるのだが、大丈夫だろうか」という趣旨の発言をしたように記憶しています。他に特に発言はなく、とりあえず聴いてみて、それで判断すればいいのではないか、ということになったのではなかったかと思います。

で、公演後の賞選びの会議では、この公演を何らかの形で推す人はおらず、特段の話題にはならなかったように記憶しています。(文化庁が出しているこの年の「芸術祭総覧」という報告書を見れば、審査会で受賞者をどういう段取りで絞り込み、決めたか、報告が出ているはずです。この年、音楽部門・関西は大賞該当なし、優秀賞は邦楽関係のみ、新人賞はソプラノの方になりました。)

→ 平成24年度(第67回)文化庁芸術祭賞の決定について(PDF)  http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/media_geijutsusai_121221.pdf

私個人としては、「全聾の人が作曲に挑戦する」ということが本当にあったとしたらどんなことになるのか、そのような関心の持ち方が物語に毒されている、といわれたり、あるいは、そういう「身障者を売り物にする興行は昔から繰り返された手口だ」と言われようとも、あまり平静・無関心ではいられないところではありますが、

それはそれとして、仕事として聴いた経緯はそういうことになります。

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今回の「代作者の告白」がなされる以前の「ブーム」が仕掛けられつつあったのかもしれない頃に、この交響曲を音楽関係者がどのように聴いていたか。「曲としてよくできている(よくできすぎている)と思った」という声から、「色々問題があると思った」という声まで、様々な発言が出ていますが、実はかつてあの曲で芸術祭に参加した団体があり、あまり逃げ隠れできない形で審査されていた、ということで、もし一連の騒動を検証したいと思って資料などを集めていらっしゃる方には、ご参考にしていただけるかも、と思います。

(一般論として、オーケストラのコンサートは、(今まさにとりわけ関西ではそのことが話題になっていますが)やるだけで人とお金がかなりかかるので、公演ごとに助成や協賛などが入ることが多いですから、どういう経緯でその公演が実現したのか、丹念に調べるとある程度の経緯が公開された情報だけからでも推察しやすいのではないでしょうか。佐村河内作品の演奏履歴を地道に検証したい方がもしいらっしゃるとしたら……。

ひとつの公演=実績をもとに、「わらしべ長者」的に次のワンランク上の公演をもぎ取る、というよくある形でステップアップしていたのか(先日再演された「三井の晩鐘」の、イシハラホール10周年→佐治敬三賞→いずみホールでの再演、はその好例 *ただし公演の準備段階では何考えてるのかわからんつぶやきが関係者から漏れ伝わったりもしたハラハラものの結果オーライではあった、慢心は禁物、次の「動物もの」は……現段階では狙いがよくわからない)、それとも何か独自のやり方へどこかの段階で移行・離陸したのか……。)

NHKが「謝罪」なることをするに至ったドキュメンタリー番組が放送されたのは、その次の年、2013年の3月ですから、佐村河内ブームが本格的に大きくなったのは、そのあとのことですね。