シンフォニー奨励

あ、とりあえず、シンフォニーは、難しいこと言わずに、もしホントに書けるんだった、どんどん書いたらいいんじゃないか、と思う。

プロのオーケストラが定期でいきなりメインに取り上げるのは大変かもしれないけど、弾き甲斐のある曲で、ベラボウな演奏料を要求される、とかいうことがなければ、とりあえず、たとえば、大学とかのアマオケで、そんな曲があるならやりたい、と思うところが案外あるんじゃないだろうか。

逆に、アマオケが作曲家の先生に委嘱する、っていうのもアリなのでは。

偽ブラームスの交響曲第5番 ニ短調
チャイコフスキー3世の幻想序曲「マクベス」
ギュスターヴ・ラーマー 交響曲第11番「アルマ」(全4楽章すべてアダージォ、甘いのから怪奇趣味から民謡調・天国調を取りそろえて)
ショススタコーヴィチJr.の交響曲第16番「ペレストロイカ」

とか。

昭和の作曲家たちは1970年代以後、ご当地交響楽を色々書いていたのだから、今の作曲家が、交響組曲「六本木ヒルズ」をサントリーホールあたりの何周年かの記念に書いちゃいけない理由はない。かえってダサかっこいいかもしれない。

ほんとに余技でラクチンに書けるんだったら、演奏団体ともウィン・ウィンの関係を築けそうじゃないですか。

技術があるのに、いわゆる「シリアス」ではない曲を書くのが日陰者扱いされるのは、それこそ、先生・師匠が抑圧してると思うんですよね。そういうバカなことを止める、あるいは、そんなバカなことを言ってるジジイは無視する、というのがいいと思います。

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吹奏楽曲をこれだけおおっぴらに作曲する時代になって、オーケストラはダメっていうのは、なんかかなり歪んでると思う。

プロジェクト佐村河内も、そんな風な時ならぬシンフォニーブームの口火を切る役割を果たしたとなれば、浮かばれるのではなかろうか。

今後だれかが大交響曲を書いたとしたら、ほぼ間違いなく、好むと好まざるとにかかわらず、「プロジェクト佐村河内と比較してどうか」と、参照せざるを得ないじゃないですか。

やったことはやったこととして、その次の着手で、どんどん意味をかえていけばいいんじゃないか。