もうひとつのシナリオ

おそらく川島素晴が緻密に解析しているように、障害者手帳の不正取得があったか否か、がこの問題の今後の展開の鍵になるのだろう。

不正取得があった、と立証するためには、耳が聞こえていたと証明せねばならず、もし、この判定が医学的な所見のみから判断されるしかないのであれば、私たちには直接できることはない。

しかしそうなると、パートナー氏の「とても彼が全聾だとは思えない、それは、彼に会った人なら誰でもそう思うはずだ」という発言が宙に浮く。

それが刑事案件になるのか、民事案件になるのか、私にはそこまで技術的な判断をする知識はないが、彼の不正をどこまでも追求したい、という立場を取る者がいるとしたら、パートナー氏(そして他にもいるならば、同様に彼の聴覚の実情を証言できる立場の人物)が、単に贖罪意識で反省するのではなく、彼を「追求する側」から協力を要請されることが出てくるかもしれない。その可能性は高いだろう。

川島素晴は、既にパートナー氏が社会的な責任を果たした、と立論するが、「彼」は、障害者手帳の不正取得はなかった、との立場で公式な発言をしているのだから、もし、このような「彼」の態度に異議がある、もしくは、「彼」がこのような態度を貫くことで具体的な不利益を被ると主張する人があらわれた場合、パートナー氏が「彼」と対決・対立する立場で、何らかの役割を果たすことが求められる局面になるかもしれない。

パートナー氏と、彼を支え、守ろうとする人たちが一番厳しい決断を迫られるのは、おそらくそのときだと思う。

もちろん、「もうそっとしておいてほしい」とそのような動きに協力しない立場もありうるだろうし、逆に、今の段階から、「私に協力できることがあるならば、できるだけのことをするので遠慮なく申し出てほしい」とアナウンスする、という立場もありうるかもしれない。

それは、パートナー氏自身が判断することだと思う。

仲間に刺された「釘」は、はたしてそのような判断において、どのように効くのか、効かないのか、それは実際に物事が先へ進まなければわからない。