ガルミッシュの元帥夫人の傍らにいるのはどなた?(岡田暁生『リヒャルト・シュトラウスと〈バラの騎士〉の夢』文庫版あとがき)

最晩年のアリーチェ夫人が住むリヒャルト・シュトラウス家にスケッチ調査で通った思い出が、あとがきで披露されている。

「日本にも行きたいが遠すぎる。代わりに昨年インドに行ってきた。夫がいない哀しみを紛らわすために(um die Trauer zu zerstreuen)……」

「ばらの騎士」を愛する研究者が、その作曲者の死後何十年もお屋敷を守ってきた奥様(リヒャルト・シュトラウスの長男の妻)の口からこういう言葉を聞いたら、そこに元帥夫人の姿を見て、感に堪えないであろうことは想像に難くない。(←こんな紋切り型な言い回しの羅列で片付けるのではなく、原文はもっと上手に書いてあるので、感動を共有したい人は文庫本を買って読むべし。)

……はい、読みましたね。

では質問です。

アリーチェ夫人があたかも元帥夫人マリー・テレーズのようだとしたら、彼女が運転する車の助手席で、その言葉を受け止めた私(著者)は、「ばらの騎士」になぞらえるとしたら、どの役に相当するのだろうか。

カンカン?

そう考えるのが、このシーンを最も美しく、ばら色に輝かせる読み方だと私も思う。

著者は、日本のオクタヴィアン・マリーア・エーレンライヒ……なんちゃらかんちゃら伯爵として、白馬にまたがり、帰国以来二十数年、学問と評論の世界を駆け抜けた。そして今も、あの日ガルミッシュで耳にしたマリー・テレーズ(アリーチェ夫人)の言葉が耳に残っている……。

ーーここで音楽がどこからともなく響いてくる(ばらの騎士からお好みで)。

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でも、おそらくもう一つの読み方がありうる。

著者は、もしかすると、元帥夫人の寝室に朝食を運んでくる黒人のお小姓かもしれない。

アジアから来た学生が、邸宅に招き入れられた。聞けば父親は生物学者だと言うから、身元は確かなのだろう。甲斐甲斐しく働く姿、日本人の多くがそうであるように慎ましい態度(日本では自己顕示欲が強いと評される人でも、欧米の学生のなかに混じれば「控えめ」に見えるとよく言われる)だが、ちょっとした受け答えにも知性が感じられ、いやな気はしない。

ある日の午後、ショコラーデを運んできたお小姓を連れて散歩にでる気安さで、彼を伴って義父の墓参りに行った。

横顔を眺めながら思う。日本は遠すぎるわね……。

(「大統領の執事」がケネディの日常のちょっとしたしぐさを見ているように、その場ではヒトというより空気に近かったのかもしれない極東の青年は、その言葉を心に留めた。)

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著者の名前は、ゾフィーが繰り返し読んで暗記してしまったというウィーンの貴族の系図には決して載っていないのだから、オクタヴィアンではあり得ない。でも、極東にクラシック音楽が根を張って、はるばるガルミッシュまで青年が訪れるのは、決して悪いことではない。

ト書きでは、「ばらの騎士」の終幕に再び黒人のお小姓が登場して、愛らしくドラマを締めるわけだが、そこでもし、時空を飛び越えて成人した黒人が姿をあらわし、「私もこれから愛を育てるのです」といわんばかりの晴れやかなしぐさでフィアンセを紹介したら、マリー・テレーズは、カンカンとゾフィーに投げかけたのと同じ微笑みを彼らに贈るのではないだろうか。

子役・黙役にも人生があり、彼らにも時は流れる。ちょっといい話じゃないか。

著者が帰国した1991年大晦日のミュンヘンの大雪は、テレビのニュースで報じられた記憶がある。この冬マインツでは、年が明けてから一度だけうっすら雪が積もったことがあるだけだったが、ともあれ、誰の身にもそれから四半世紀の時が流れた。

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京都の駅裏の本屋(といってもまったくうらぶれてなどいない巨大ショッピングモールの最上階だが)でその文庫本を買い、地下鉄のなかであとがきを読みながら、そんな想像をめぐらしていたのだが、

コンサート会場へ行くと、生身の岡田暁生がいて、ちょっと醒めた(笑)。

そんなオチ……です。

共通一次を受けていないというから1960年のたぶん早生まれなのだと思う当年とって54歳は、まだ、「人生の終わり」を達観するには早かろう。