歌曲とお祈り

「今から私の考えを皆さんに率直にお話します」というタイプのピアノだから、ピリスが日本でピアノを弾く人たちに好感を持って受け入れられるのは納得できる。「私も、ピリスさんのように自分らしく生きよう」という気になって、次の日から早寝早起きして、食生活を改めてしまいそう(笑)。

シューベルトの即興曲は、つまりは歌曲で、声(主旋律)を他がサポートしながら、とぼとぼ旅をしたり、木陰でつかの間の休息をとったりするお話をしているわけですね。リート歌手は、オペラのソプラノやテノールのように声を張り上げたり、大げさにすすり泣いたりしないので、おのずと音楽のサイズが決まってくる。(最近のリートは随分ドラマチックなステージ・パフォーマンスになり、逆にオペラ歌手が「等身大」のナチュラル・ボイス指向になっているような気がするけれど、それはまた別の話。)自然な呼吸、体温を感じさせるトーンで、「主旋律は声だ」という想定をここまで見事にやり遂げることのできる人はめったにいないと思うし(左手のオクターブに旋律が移ったときに、よくある「ドイツ的重厚さ」(オピッツなどが好むやつ)を狙ってオクターブの低い方の音を響かせるのではなく、高い方の「テノール」の歌が聞こえてくる)、たぶん本人にとって、「主旋律は声だ」は想定・フィクションではなさそう。疑いを差し挟む余地なく、「主旋律は声」なのでしょう。神が人をお創りになり、シューベルトのピアノは「声」を発する。春になれば花が咲き、冬になれば雪が降るように……。

同じシューベルトでも、ソナタはもうちょっとあでやかで、成立史から言っても、最後の3つのソナタはフンメル(同じサリエリに学んだ同門の出世頭)に憧れて、そのピアノ書法の影響を受けたと言われていますが、第2楽章や第3楽章で合唱のような「歌」が出てきて、その聖歌隊のような合唱が、歌の終わりをたっぷり時間をかけてまとめるところは、跪いて十字を切っているように聞こえる。「この人、今きっと本当に心の中でお祈りを捧げて、最後のカデンツでアーメンって言ってるよ」と思えたし、第3楽章のワルツの真っ最中に、トリオで再びお祈りを始めたのにはびっくりした。ブッ、とか、ボッ、とか、隣室の喧噪が漏れてくるように左手がランダムに邪魔しても揺るがない信心深さ。聖と俗。日課を欠かさず、信仰が生活に根付く。(ルプーのどこかしら作り物めいたエコとは性根が違う、かも。)

考えてみれば、ドイツの音楽家は18世紀から鍵盤楽器に「私の感情」を注ぎ込むことに熱中して、それがドイツ(とりわけプロテスタント圏)における啓蒙(自分の足で歩き、自分の頭で考える私)やギャラント(ありのままの自分の魅力を肯定すること)だったのだろうと思いますが、ベートーヴェンの後期のあたりから、ということはナポレオン戦争後の王政復古期から、緩徐楽章における「私の感情」が、聖者の受難めいた宗教的な気分に沈むようになっていく。「ハンマークラヴィア」をシューベルトなりに受けとめた音楽なのかもしれませんね。

前に戻って第1楽章で、展開部に入ったところで音色が変わって、フラットの調からシャープの調へ移るのは、天使が地上に墜ちて、平和なモノクロームが毒々しい総天然色に変わるような感じだったですし……。

それでも、ミサか教会の集会か、という感じのソナタの最後は、一応、楽師を呼んで宴会になるので、俗世を生きていこう、ということでしょうか。シューベルト本人はこのあとすぐに死んじゃいましたが……。

ドビュッシー「ピアノのために」は、一方でこういう曲も弾くんだなあ、ということですが、リスボン生まれで、ブラジルに住んでいるのだし、ご本人は、ウィーンのような北方の山に囲まれた寒い盆地に住む、とか、ちょっと考えられないのかもしれない。不思議な取り合わせでしたね。

(慎ましやかな美音、という方向での世評を目にしたりもしますが、実際にリサイタルで向き合ってみたら、途方もなく芯が強い/信が強い音楽じゃないですか。言うべきことしか言わない人。ボサノバ系か?)

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……と、まるで音楽評論家のような感想文を書いてしまった(笑)。無防備にこういう感想を書くだけでいいのなら、職業柄、そういうのは、やればできることになっているわけです。

ちなみに、シフは、昔から「ほんまにそんな偉い人か」と興味が持てなくて、今回その日は東京の「死の都」初日へ行きます。ほんまに彼は偉いのか、誰か他の人が聴いて忌憚なく言ってください。

(余談ですが、日下紗矢子のキャリア形成には、どことなく、往年の藤原紀香を思わせるところがありますね。十数年前は、留学先からときどき帰ってきて、京都やイシハラホールで弾いていたものだが、今や立派になって……。数年前久々に大阪でリサイタルを開いたときには、音楽の感じがちょっと変わっていて、ドイツのコンマスを経験してこういう風になったのか、と思った。強い人っすよね。)