紛争の火種:ジョスカンvsパレストリーナ

記憶違いでなければ、シェーンベルクやウェーベルンは「新音楽」の歴史をジョスカンから説き起こしていたはずで、ネーデルランド(フランドル)中心にルネサンスを語るのが今では普通のことに思えるけれど、これはパレストリーナの圧倒的な権威へのアンチ、という意味合いがあったのではないかと思う。

具体的なことは私は何も知らないが、そんな風に「裏読み」するヒントになったのは、デ・ラ・モッテの対位法の本で、ここでは、序文で、パレストリーナを「敢えて使わない」と宣言してその理由が書かれている。

大作曲家の対位法

大作曲家の対位法

そして「反パレストリーナ運動」のようなものが20世紀ドイツにあったかもしれない、と仮定すると、ダールハウス(ダルムシュタットの運動をつかずはなれずのところで論評して、シュトゥッケンシュミットの後継者としてベルリンに職を得た)がジョスカンで博士論文を書き、調的和声の成立で教授資格を得た立ち位置も、偶然ではないと思えてくる。

パレストリーナかジョスカンか、というのは、おそらく20世紀音楽史(20世紀の古楽受容、古楽をどのようにして「現代」につなげるか)のひとつのトピックだったんだと思う。

北欧の人物が何を言ったか、そして色々あるなかで、なぜ柴田南雄は1950年代に他でもなくこの本を訳出したか、というのは、おそらく、純粋な「楽理」の問題ではないと思う。

陰謀論的に話を面白くするとしたら、パレストリーナ問題へ関心を誘導することは、ジョスカン問題が日本に本格的に導入されるのを回避し、芸大フランス派と東大ドイツ派の妥協点を探る「政治決着」にも見える。

パレストリーナ問題は、フックスを倒すだけでは片付かない。そしてこれは、日本の戦後の作曲書法教育が置かれていた歴史的な位置を見極めるために必須の脈絡のひとつに違いないと予測されるので、イケノウチについて何か発言したいのであれば、必要な資料として借金してでも持っておくしかなさそう。兵站を確保しないと戦争はできないヨ。

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