ルサルカ歌って20年

23歳の若造が第一次大戦直後に書いたオペラがもうじき上演されますが、ドヴォルザークが還暦の年に初演して、辛うじて20世紀にひっかかっている「ルサルカ」のこと。

メトロポリタンのライブビューイングは、たいていの回の進行がこの人で、いってみれば、ルネ・フレミングの「番組」じゃないですか。だから、この人がタイトルロールというのは、タモリがフジテレビのお昼にゲスト席に座るような変な感じだなあ、と思ったのですが、どうやらルサルカは若い頃からのレパートリーで、おじいさんの一人がチェコ移民というような縁もあるみたい。

オットー・シェンクというと、ミュンヘンやウィーンのばらの騎士の人で、クライバーを連想してしまうのですが、1993年から20年、メトロポリタンではこの舞台をフレミングがやっているようですね。

木の上で幹と一体化して歪んだポーズで歌ったり、地上に上がってもすぐには歩けない人魚姫の定番のお芝居があったり、公女との対決はオデットvsオディールみたいだったり、マックス・ラインハルトの真夏の夜の夢みたいに森の動物たち(子役)の夢幻劇があったり、ラインの乙女のような皆さんが後半ではソロとダンスも披露して、「河庄」の前半の大阪仁輪加を思わせる森番とコック見習いの小芝居が、実はかなりエゲツナイ差別的な内容で、だから、あとで魔女のおばちゃん(こっちはこっちでふだんから人間どもを口汚く罵っている)との直接対決がなかなかの見どころになっていたりして……、よくこなれた鉄板に面白くなっている場面の連続で、フレミングのルサルカは、山本安英の夕鶴みたいなものなのかなあ、と思いながら、観ておりました。

いっつもよーしゃべるフレミングが第2幕は口のきけない設定になるのがキモだと思うのですが、そして直前の幕間のインタビューでは、案の定、舞台でしゃべれない分、いつもより余計にしゃべりまくっていたような気がしますが(笑)、

この人の口がきけないお芝居は、劇中の人間たちの台詞にあるような「青白く不気味なお人形さんのようにおとなしい」ではなくて、いまにもしゃべり出しそうに口が動きますし、しゃべれないことがもどかしくて仕方がない感じを身体いっぱいに表現して、「ほんとの私はこんなじゃないの」とアピールし続けるんですね。この人らしいし、ああ、こういうやり方があるんだあ、と思ったです。

で、第2幕を聴いていると、どんどん、いたたまれない感じがしてくるわけですが、この場面、単にお芝居としてルサルカが孤立しているだけじゃなくて、オーケストラも彼女には一切味方しないんですね。つまり、彼女のもどかしい心情描写みたいのはまったくなくて、ルサルカは、舞台上に実体として見えているのに音楽としては存在していないも同然で、かなり残酷なやり方で「表象されないもの」になっている。

バカ王子が熱烈に彼女に話しかけて、その答えを横取りするようにイジワル公女が歌い出すところは、「本当の私はこのメロディーを同じかそれ以上に立派に歌えるのに」というか、フレミングは実際に心のなかで同じメロディーを歌ってるんじゃないか、という風に見えて、切ないものでございました。

(結局、オーケストラは、イジメの「当事者」ではないけれども、状況の「参加者」になっているわけで、こんな酷い現場を目撃したら、そら、全身緑色のオトーチャンは娘を家へ連れて帰りますよ。学校(人間界)なんて、無理して行かなくていいよ。その原因を作った王子は最後にああいう結末になるわけですから、野島伸司も真っ青に初志貫徹のストーリーで、日本のテレビでは抗議が殺到して放送できないプロットかもしれませんが、そこがよろしい。マーラーが、サロメと並んで、是非ウィーンで上演したいと考えたのも納得できる作品ですよね。サロメ同様、マーラー在任中のウィーン初演は実現しなかったけれど。)

ドヴォルザーク的には、「ボヘミアの私」は外国へいくとこういう立場になってまうんや、というか、ボヘミアでも、長らく公用語はドイツ語だからこういう状態なんや、ということだと思いますが、

考えてみれば、新大陸では、新参の移民さんは誰もが思い当たるところがあって「刺さる」かもしれませんし、ドヴォルザークは、ニューヨークで「新世界」を書いたんですから、アメリカ人ではないけれども、アメリカのクラシック音楽の原点みたいなものかもしれないし、「フレミングのルサルカ」は、おそらく「アメリカの私たちのオペラ」なんでしょうね。

そら、この人、スーパーボウルで国歌斉唱する資格あるわ、と思った。

普通、フレミングのルサルカを目当てにニューヨークへ行く、という発想はないだろうと思うんですよ。ライブビューイングならでは、かもしれませんね。