「AとBは対立している。そしてAが勝者である」
もし、あなたが何らかの情報発信の手段をもっているとしたら、そのように「言う/書く」のは一瞬の出来事だ。
そしてもし、それがあなたの思い込みであったり、あやふやな根拠しかない発言・発信だったとしても、AとBの少なくとも一方がその発言・発信に乗ってくれたらシメタもの。事後的にそれは「現実」になってしまう(かもしれない)。
あるいは少なくとも、あなたとAとBの周囲に、それらしい空気の流れが生まれさえすれば、それだけでも十分に何かが起きる(かもしれない)。
「言う/書く」のは一瞬だから、とりあえず、ダメもとでやっちゃえばいいんだよ。メディアをもつってのは、そういうことなんだよ、という考え方も、ひょっとするとあるのかもしれない。
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まあ、しかし、やられたほうは、たまらんよね。
AかB、どちらか一方の立場になって考えてみればいい。何ができるか、何をしなければならなくなるか。(自分が望んだわけでも、言い出したわけでもないのに。)
いっそ、この機会に、ほんとに「対立」してみるか(笑)。しかし仮にそう思ったとしても、そう思わなかったとしても、相手がどう出るかわからないよな。まして、相手が、なんだか、ふらふらして、何考えてるのか要領を得なかったりすると、状況を見極めるのは面倒にならざるを得ない。
で、そもそも、連中はなんでそんなことを言い出し、けしかけているのか。これもまた、そう簡単にわかるもんじゃないよ、普通。
ああ大変。
もし仕事がらみでこんな状況に陥ったら、どれだけストレスフルになることか。
場合によったら、半年か、それ以上あっという間に過ぎるよね。
それでも、ほぼ状況がクリアになればいいようなものの、こういうのは二度とやめて欲しいとマジで思うわ。
人間、その場の思いつきで、相手の了解も得ずに好きなこと言ったらアカンよ。それは、おそらく「表現」とは別の何かだ。
(そして「プロ」は、普通そんなことを、いきなり何の予告もなく、しかもシャレにならん形でやったりはしない。根拠もなく、そんな当たるも八卦当たらぬも八卦な「乱射」をしていると、そのうち誰にも相手にされなくなるし、「やる」のは、よほどのときだけにしてくれないと、やっとれんよ。
半可通で物事に等級を勝手につけて、そんなもんが「卓越性」で、そういう等級づけが「創造する文化活動だ」みたいに言うのは、役人の書類の上だけの話。利用できそうなところは利用すればいいが、いちいち真に受けてやってるとバカを見るよ。)