復元 = 現在の技術 + 空想の過去

杉本文楽は、古楽になぞらえるとしたら、とりあえず1898年パリ万博に楽器会社がチェンバロを出品したこと(=このときプレイエルが作ったやつがモダン・チェンバロの源流のひとつで、のちにこれを弾いて世に出たのが20歳でパリに出てきたランドフスカです(ベルリンで知り合った素性に不明な点の多い夫がやり手だったみたい)、ちなみに音楽家が立ち上げたベンチャー企業だったプレイエル社は、チェンバロ制作工房が発展したエラール社(万博には自社創業者が作った楽器のレプリカを出品)とちがって古い鍵盤楽器のノウハウがなく、二代目社長(才女の妻の音楽サロンで名を馳せた)がロンドンから仕入れて始めたピアノ作りの技術を応用するしかなかった、三人遣いの文楽の技術を一人遣いに応用するのはこれに似ている)、みたいのと、レスピーギがイメージとしての「昔」に惹かれて(=要するに、見たことも聞いたこともない遠くの世界への憧れ、実体・裏付けを欠いた過去を懐かしむ一種の倒錯として)「リュートのための古い舞曲と歌」という甘い音楽を書いた、みたいのの折衷だと思うけどな。

だから今のご時世で売れるのよ。(別にいいけど、話は遠い。)

落語でも歌舞伎でも時代劇でも、わたしらが「江戸時代」と思ってる芸能の多くは明治以後に様式化されている。だから、義太夫節のようにその前からのスタイルを色濃く残しているものが「わからん」のだろう。(私は劇場の大夫の台詞、普通に聞いてわかるけどなあ。)

むしろ、しんどいけど、こっちが歩み寄ってわかろうと努力するほうが実りが多いんじゃないかなあ。壊すことはいつでもできるけど、むしろ、お客さんが古い日本語や古い習俗に「目と耳になじませる」という選択肢があるはずやで。

ところでキミは、スコラで「もしもしカメよ、カメさんよ〜」を大夫が義太夫のスタイルで語ってみせた(太棹にあわせて)のは見たんか。あれ見たら、義太夫節って何なのか、目から鱗が落ちるで。別に不条理で意味不明な約束事にがんじがらめになった世界やのうて、語り物の土台は、すっと入っていける間口の広い芸能です。せやなかったら、シロウト義太夫がブームになったり(大正から昭和初期)、大阪のおばちゃんが劇場に通い詰めたりしまへん。大夫も、能や歌舞伎のような世襲ではなく、入門してから学ぶ制度になっておる。

関西訛りのセリフが、ツンと太棹が入ったその音を手がかりにして、うねうねっとくねる「うた」に変わって、またセリフに戻る。ああいうのが日本の語り芸で、その感じは、それほど特殊じゃないと思うけどなあ。すべてが目盛り・グラフにマッピングされてるんじゃなくて、目盛りにのったりのらなかったり、格子の間をぐりぐりっと生き物のように動き回ったり、春画の蛸みたいに(←エロご容赦!)、声がいろんなことをやりながら、こっちの懐へ入ってくるわけです。その面白さをアピールするのが先とちゃうやろか。

(その点、あのスタティックな写真を追い求めている在米アーチストさんは、随分とストイックですよね。客席と演者の間を無限の闇で隔ててしまう。こういうのが「意識の高いカシコ」で、義太夫節みたいのは「痴呆の芸術だ」というのは、与太話としては受けるだろうが、単純過ぎると思うけどな。光と闇の峻別が文化・文明を推し進める、というのは20世紀のナチスの美学やで。[まさか、劇場のチケットの買い方に戸惑って恥ずかしかったから、逆ギレして文楽を旧弊だと「敵認定」して今日に至る、とか、そんな子どもっぽい動機が今も生きているとは信じたくないが……。こっちがまず懐を開く、自分を開くのが第一歩だと思う。])

光と影のドラマトゥルギー―20世紀における電気照明の登場

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そういえば、フェスティバルホールは、1950年代末の旧ホール開館当時はザルツブルクの人形劇を招聘したりしたんだよね。あれは、戦後の人形劇ブームに多少は貢献したのだろうか。