コレクションの先に何があるか

たぶん私は蒐集・コレクションの機微がわからない人間でございまして、

気がつけば、もう騒ぎが収束しているようなので人間は飽きるのが早いものだと思うわけですが、10年くらい前に大澤壽人が「発見」されて、その界隈(どの界隈?)でそれなりに評判になったことがあった。

で、その当初は、まさに高価で珍しいアイテムが見つかった、これは凄い、という感じに大澤壽人の「作品それ自体」がもてはやされて、確かにそういう風に音楽自体を面白いと思えなければ、(曲は難しいですから)演奏してもらえないし、お客さんも集まらないので、それは良い仕事だったと思うのですが、わたくしはどうしても、そこから先に何があるのか、そのアイテムを新たにゲットすることでどういういいことがあるのか、という風に思ってしまう。

橋本國彦をしのぐスピードと流線型のモダニズムの好例だ(片山杜秀)とか、関学ボーイが阪神間山の手モダニズムの凄さを知らしめた(岡田暁生)とか、というのがひとまずの発見の意義で、一方、わたくし的には、NHKや朝日放送で活躍した話が戦後のラジオにおけるクラシック(セミ・クラシック)の一例として面白いな、ととりあえず思えた。

そんな経験があったので、コルンゴルト祭りも、はじまると案の定コレクター的にそれ自体がいい、好き、というご意見が早速たくさん出てくるわけですけれど、その「次の矢」をどうするのかなあ、と思うんですよね。

ハプスブルク帝国やドイツ帝国の末期への関心が一段と高まってシュレーカーと聞き比べてみよう、ということになったりするのか、むしろ、コルンゴルトがコーンゴールドになった先に開ける華麗な映画音楽の世界をクラシック業界が受け入れて、映画音楽やセミクラシックを一段低く見る感じが払拭される未来が開けるのか。(マントバーニやコステラネッツの再評価、とか。少なくともポール・ホワイトマンは、もっとちゃんと見直されたほうがよさそうに思いますが。)

で、そっちへ展開するんだったら、ジョン・ウィリアムズが生きている間に話をつけて、なにか大々的にやっといたほうがよさそうですよね。

鉄は熱いうちに打て、とか、人の噂も……、と申しますから、やるなら早く動いたほうがいいと思う。

岡田暁生がジャズの本を出すらしいので、たぶん、そこである程度手応えを感じたら、次はきっと映画音楽に攻めてくるはず。ぼやぼやしてると、空き地と思ってたところの所有権を確保されちゃうよ(笑)。

(岡田暁生が「コレクション」としての価値を認めないであろう方面へ逃げるとしたら、スーザは既に徐々に調べられつつあるみたいだけれど、ルロイ・アンダーソンとかアーサー・フィードラーとか、あのあたりの人たちも、何がどうしてああなったのか、わかるようでわからない。何かありそうな気がする。)

CD&DVD51で語る西洋音楽史 (ハンドブック・シリーズ)

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