「かわいげ」なるもの

死んだ父は、資本主義と関係なく、いまだに法事の日が快晴になる「晴れ男」だが、それがどうかしたか?

むしろそこで問題になるのは、おそらく、「かわいげ」なるもののある/なしが商品の売れ行きに有意な差をもたらす世の中であることだと思われる。

強いて言えば、そういう現象は資本主義が稼働しているからこそ顕在化して目立っているのかもしらんが、その正体は、お稚児さん文化、みたいなものではないかとも思う。

「おまちかね」という、人によっては「うげっ」と思うであろう語感を案出して以来、日々、「かわいげ」に精を出し、今も「かわいい」発言を決める練習に余念がないのだなあ、この人は、ということで衆目の一致を見るであろう。なんといっても、キャッチコピーは「内田某の守護天使」だそうなので、エンジェルなキャラを大切に育てていると考えればいいようだ。

40過ぎてもアイドル路線まっしぐら!

確かにそういう人、おるわ、時々うっとうしなるけど、ある時代と環境を生きてしまった犠牲者みたいなものなんやろうな。(大学のおじさんたちは、異性に接するときにはハラスメント関係で色々気をつけなければいけなくて、その分、同性目下は、今まで以上に気を許せる人間で固めたいだろうからね。)

他人の迷惑にならへんとこでやってな。

わしらは、「かわいい」はもう十分間に合ってるし。