オトナの善良で澄みきった瞳が子どもの「曇った」世界を眺めると発見があるらしい。ああナルシシズム。
親が子どもに何を教えるか、さじ加減が変わってきたから、国が子どもに伝えることも相関して変わってきた、ゆうことなんやろ。
国がしくみをちゃんと維持してくれてるおかげで、あまりお金をかけずに学校へ行くことができている、ありがたいこっちゃ、というのは、昭和の頃には、学生も言わんでもそう思ってたんちゃうか。
それを、思わんようになったことのほうがおかしいんとちゃうの。
そこは、八つ当たりしたらあかんと思うわ。
「豊かさ」ゆうのんは、つまりは、国の世話にならんでもやっていける領域がある程度広がってきた、ゆうことやったんとちゃうのかな。
だから、「いつかは国の世話にならんとやっていけるようになれたらいいけどな」と思いながら勉強する、ということで、特に問題はない気がするけど。
だって、学校の勉強って、「ああ、こんなに色々、世の中を維持していくにはやることがあるんだ」とひとつずつ教わる過程やんか。
本気でそれを拒否するなら、学校行かせるのを止める選択肢は、理論上、ありうるかもしれないけど。私塾とか。それもよし。
参考:旧士族が明治以来ずっと「国」の世話になって、その末にああいう人ができあがってんな、ということがわかる年譜 → http://homepage3.nifty.com/okatae/nenpu.htm
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